異世界帰りの勇者ですが、現代日本で会社はじめました。ブラックな業界を物理でホワイトにします
藤宮かすみ
第1話「終焉と始まりの空」
空が割れていた。
視界を埋め尽くすのは、毒々しい紫色の雷光と、燃え盛る紅蓮の炎だ。轟音が鼓膜を叩き続け、肌を焼く熱風が絶え間なく吹き付けてくる。ここは異世界アルカディアの最深部、魔王城の玉座の間――だった場所だ。今はもう、瓦礫の山と化している。
俺、レオンハートは、砕け散った魔剣の柄を握りしめたまま、荒い息を吐き出していた。全身の筋肉が悲鳴を上げ、魔力回路は焼き切れる寸前だ。視線の先には、黒い霧となって消滅しつつある魔王の姿があった。
『見事だ、勇者よ……』
魔王の最期の言葉が、頭の中に直接響く。恨み言ではない。どこか満足げですらあるその声に、俺は顔をしかめた。
「満足してんじゃねえよ。こっちはヘトヘトなんだ」
俺は地面に唾を吐き捨てるように言った。強がりではない。本当に限界だった。15歳で聖剣に選ばれ、泥臭い修行と終わりのない戦いの日々。仲間との別れ、裏切り、理不尽な要求。それら全てを飲み込んで、俺はようやくここまで辿り着いたのだ。
『だが、貴様の物語もここで終わる』
魔王の残滓が、不吉な笑いを含んだ波動を放つ。
『我を滅ぼしたエネルギーは、世界の理(ことわり)を歪める。貴様という異物は、この世界から弾き出されるのだ』
「……は?」
俺が眉間のしわを深くした瞬間、魔王の消滅した地点を中心に、空間がガラスのようにひび割れ始めた。
ピキキ、パリン。
乾いた音が響き渡り、そこから覗いたのは、暗黒の虚無ではない。見たこともない、しかしどこか懐かしい色彩の渦だった。強烈な吸引力が俺の体を引っ張る。
「おい、冗談だろ!? 俺はまだ報酬も貰ってないんだぞ! 王女との約束も、宴の予約も残ってるんだ!」
俺は足に魔力を込め、瓦礫にしがみつこうとした。だが、指先が触れた石柱は、触れた端から砂のように崩れ去っていく。世界の拒絶。魔王の言った通りだ。役割を終えた勇者は、この世界にとってただの強すぎるバグでしかないのか。
「クソッ、ふざけんな!」
叫びは虚しく吸い込まれ、俺の体は重力から解き放たれたように宙へ浮いた。視界の端で、遅れて到着した騎士団の連中が何かを叫んでいるのが見えた。彼らの顔にあるのは、感謝か、それとも畏怖か。あるいは、厄介払いができて安堵しているのか。
そんなことを考える余裕すら奪い取られ、俺は光の渦へと飲み込まれていった。
***
感覚が裏返るような強烈な吐き気。
上も下も、右も左もわからない。時間の感覚すら曖昧な中で、俺はただ自分の存在を保つことだけに集中していた。魂が削り取られるような負荷。だが、俺は勇者だ。この程度の圧力で消滅してやるつもりはない。
『身体強化・最大出力』
『精神防壁・展開』
無意識のうちにスキルを発動させ、俺は嵐のようなエネルギーの奔流に耐えた。どれくらいの時間が経ったのか。一瞬のようにも、永遠のようにも感じられたその旅路の果てに、唐突に「出口」が開いた。
ドォォォォン!!
背中を強打する衝撃。コンクリートの硬い感触。
鼻をつくのは、腐った土と血の匂いではなく、排気ガスとアスファルト、そして微かな湿気を含んだ匂いだった。
「……っつぅ……」
俺は呻き声を上げながら、ゆっくりと身を起こした。全身が軋むが、骨は折れていない。回復魔法をかけるまでもない程度の打撲だ。
視界を確保するために、俺は埃を払って顔を上げた。
そこは、路地裏だった。
湿ったゴミ捨て場。乱雑に置かれたポリバケツ。壁には読めない文字のスプレー落書き。そして、路地の隙間から見える、天を突くような高い建物と、夜空を焦がすようなネオンの光。
「ここは……」
俺は立ち上がり、路地を抜けて大通りに出た。
途端に、洪水のような音と光が俺を襲う。
車の走行音。大型ビジョンから流れる軽快な音楽。行き交う人々の話し声。
誰も剣を持っていない。鎧も着ていない。
その代わり、誰もが小さな板のようなものを覗き込み、耳に奇妙な詰め物をして歩いている。
「日本……?」
その単語が、記憶の底から浮かび上がった。
そうだ、俺はかつてここにいた。トラックに撥ねられそうになった子供を助けて、代わりに死んだはずの高校生。その記憶がおぼろげながら蘇ってくる。
「戻って、きたのか?」
俺は自分の手を見た。ゴツゴツとした、剣ダコだらけの手。身につけているのは、異世界の素材で作られた漆黒のコートと、腰に差したままの聖剣(今はただのボロボロの剣に見えるよう偽装魔法がかかっているが)。
体は勇者レオンハートのままだ。ステータスを確認しようと念じると、視界の端にお馴染みの半透明なウィンドウが浮かんだ。
【名前:レオンハート(獅子堂 玲音)】
【職業:勇者(元)】
【レベル:99】
【状態:疲労、空腹、所持金ゼロ】
「……マジかよ」
思わずつぶやいた声は、周囲の喧騒にかき消された。
俺は異世界を救い、そして無一文の不審者として、かつての故郷・日本に帰還したのだ。
腹の虫が、間の抜けた音を立てた。魔王との戦いで全エネルギーを使い果たした体は、猛烈にカロリーを求めている。だが、ポケットを探っても出てくるのは異世界の硬貨だけ。これではコンビニのおにぎり一つ買えやしない。
「とりあえず、現状把握が先決か……」
俺は重たい足取りで歩き出した。
すれ違う人々が、奇異な目で俺を見る。ボロボロのコートに、腰に下げた剣。コスプレか何かだと思われているのだろう。
その時だった。
街の空気が、ピリリと変わった。
この感覚は知っている。魔力の澱み。空間の歪み。
俺が足を止めた直後、すぐ近くのビルから悲鳴が上がった。
「ダンジョン・ブレイクだ!!」
「逃げろ! モンスターが出てきたぞ!」
人々がパニックになり、逃げ惑う。
ビルのエントランスガラスが砕け散り、そこから飛び出してきたのは、全長2メートルほどの巨大なトカゲ――リザードマンだった。
「……は?」
俺は呆然とした。
ここって、魔法のない平和な日本じゃなかったのか?
リザードマンは逃げ遅れた女性に狙いを定め、その鋭い爪を振り上げた。
体が勝手に動いた。
思考するよりも速く、俺は地面を蹴っていた。
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