第37話



でも、宗一さんが言っていたことは胸に引っ掛かる。

村の人達が俺を連れ戻すかもしれないって、どういう意味だろう。


疫病神のように扱われていた俺が村を出ていって、むしろ安心してるんじゃないのか?

現に、親戚からは誰一人連絡がない。幼い頃はよく集まっていた叔母達も、今はどこで何してるのかさっぱりだ。


昼過ぎになり、家事を終えてから薬指にペアリングをはめた。


「……行ってきます」


誰もいない家に向かって声をかける。

宗一さんや雅冬さんの言う通り、俺はこれから新しい人生を始める。

両親に対する呼び方も今日をもって変えよう。

ここまで育ててくれた父さんと母さんへの感謝は忘れず、……あの屋敷で育った俺は死んだのだと心に刻む。

黒のパーカーを羽織り、白のキャップを目深にかぶった。


まだちょっと緊張するけど、スニーカーを履いてマンションから出た。雲ひとつない青空、後ろから吹き抜ける陽気な風。

緑の遊歩道に、子ども達が駆ける音。全部が気持ちいい。


「……よし」


行こう。

スマホを胸ポケットに入れ、まずはマンションの近くを散策した。


不安だった電車も、とりあえず乗ってしまえば後は目的地に着くまでじっとしてるだけ。怖いこともなく、緩やかに運ばれていく。

皆スマホに視線を落としてるのが印象的だったけど、逆を言えば誰にも見られてない。その解放感は良かった。

前も思ったけど、他人を気にしてる暇なんてないんだろうな。学生もスマホやタブレットにかじりついてて、なにかを調べたりしてる。


俺も、熱中できるなにかを見つけたい────。


当面は家事と、宗一さんのサポート。そして就活だ。

何とかアルバイトをしたい。大変だと思うけど、日雇いとか短期のバイトで応募できないかな。


大きな図書館に行って、久しぶりにたくさんのジャンルを耽読した。社会人としての基本とか、働く上での心構えとか。活字を読むのは久しぶりだから目が痛かったけど、内容自体はすごく興味深かった。

集中し過ぎて独り言を言いそうになり、休憩を挟んだ。

カフェがついてる図書館で、皆休憩にコーヒーを飲んでいる。


「いらっしゃいませー!」

「あ、ええと……」


レジの店員が笑顔でこちらに向いた。自分と同じ歳ぐらいの青年だが、金髪にピアスを何個もつけてて、中々派手な印象だ。

「じ、じゃあこれを」

正直どれも違いが分からなくて、メニュー表で目にとまったコーヒーを指さした。

「ホットとアイスどちらにしますかっ?」

「ア……アイスでお願いします」

よく考えたら、これは人生で初カフェ。初注文だ。うわ、何だか緊張して気持ち悪くなってきた。


ちょっと本気でコーヒーを飲める感じじゃない。でも今さら注文取り消しするのも悪いし、堪えよう。

「お会計四百五十円です」

「あ、ええと……すみません、これで払いたくて」

スマホの電子決済を開いたはいいものの、支払い方に不安がある。慣れない手つきで操作してると、レジの青年は身を乗り出し、親身に教えてくれた。

「あー、そうそう。そこを押して……はい、残高あるからここにかざして」

「ありがとうございます」

歳下だと思われたのか、突如フランクになった。でも彼のおかげで、無事に支払いは完了した。


……はぁ。緊張した……。


まだ心臓がばくばく言ってる。駄目だ、具合悪いから今日はもう帰ろう。


支払いができたことに安堵して、ドアの方へ向かう。そんな白希を見て、レジの青年は驚いて後を追った。

「ちょちょ、お客様コーヒー忘れてますよ!」

「はっ! すみません!」

支払い終わった段階でもう用意されてたのに、普通にスルーしてしまった。恥ずかしいし、申し訳ない。

慌てて振り返り、彼の持った紙コップを受け取る。その時、手先に激しい電流が流れた。

痺れるような、鈍い痛み。


「あっつ!」


その瞬間、紙コップが凄まじい熱さに変化した。俺も彼も驚き、手を離してしまう。コーヒーはその場で床に落ち、黒い水たまりをつくった。

「アイスなのに、何で……」

青年は不可解な状況に首を傾げ、空になったコップを拾い上げる。そしてこちらを見上げた。


「大丈夫ですか? 火傷してません?」

「あ……い、いえ。ごめんなさい…………!」


気が動転して力が働いてしまった。幸い、彼も火傷はしてないようだ。それでもコーヒーを台無しにして、床を汚してしまったことが本当に申し訳ない。

また息が苦しくなってきた。こんなことで狼狽えてたら駄目なのに……。

「あ、ふ、拭きます!」

「大丈夫ッスよ、それより服にかかってません?」

「大丈夫です。あ、あなたは? 大丈夫ですか?」

自分はユニフォームなんで、と彼は雑巾を持ってきた。それを受け取ろうとしたが、「だめだめ」と言ってさっさと拭いてしまった。

最低だ。結果的に迷惑をかけてしまった……。


周囲がちりちりと、熱が上がったことに気付く。


あ。

……まずい。


靴の裏側にまで熱を感じた時、急いでこの場から離れないといけない、と思った。

この青年に危害が及んだら大変だ。徐に一歩下がろうとした時、……彼は自分にしか聞こえない声で呟いた。


「大丈夫だから、落ち着いて」


一瞬、聞き間違いかと思った。

何故ならそれは、“あの人”が動揺する自分によく言ってくれる言葉だから。



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