クラスの美人ギャルに懐かれたが、「角刈りブリーフの小さいおじさん」が恋のアドバイスをしてくるせいで集中できない
駄駄駄
第1話:そのおじさんは、ブリーフ一丁で脳内に現れた
人生なんて、平穏が一番だ。適度な成績、目立たない人間関係。クラスの集合写真で「あ、これ俺だっけ?」と自分自身でさえ判別に時間を要するような、薄い存在感。それが、俺こと
なぜそこまで平穏に固執するのか。それは俺が、かつて「目立とうとして手痛い失敗をした」という、どこにでもある、けれど本人にとっては死ぬほど恥ずかしい古傷を抱えているからだ。
中学時代、中途半端に文化祭の実行委員なんて引き受けて、盛大にスベり、周囲の冷ややかな視線に焼かれたあの日。俺は決意したのだ。二度と、目立つような真似はしない。舞台の主役ではなく、書き割りの中の「通行人A」として、この3年間を無風でやり過ごすと。
5月。午後の現代文。窓から差し込む初夏の陽光は、暴力的なまでの白さで机を焼き、逃げ場のない眠気を誘う。教壇では、定年を間近に控えた老教師の単調な読経が響き、教室全体がぬるま湯に浸かったような、緩慢で、それでいてひどく重たい空気に支配されていた。
俺は教科書の隅に、自分でも正体のわからない抽象的な幾何学模様――というか、出口のない迷路のような螺旋を書き殴りながら、この退屈で、けれど安全な日常を噛み締めていた。
すぐ隣の席には、この教室における「絶対的な太陽」。
派手な金髪は光を反射して眩しく、耳元でジャラジャラと鳴る数多のピアスは、彼女が背負う「自由」と「奔放さ」の象徴のようだった。そして、クラスの男子たちの理性をじわじわと削り、思考をマヒさせるような、甘ったるい香水の匂い。
彼女は、教室という閉鎖された生態系の頂点に君臨する、美しき捕食者だ。俺のような、その他大勢の草食動物とは、一生言葉を交わすことさえ許されない。その「絶望的なまでの格差」こそが、俺の平和を守る鉄壁の防壁だったのだ。
はずだった。
《……おい。おい、陽太。聞こえるか。おーい。死んだか? 生きてるなら返事しろ、このモヤシ野郎》
脳ミソの裏側を、泥のついた太い指で直接こねくり回されるような、耐え難い不快感。濁った、ひどく生活感の漂う中年男性の声だった。
「……え?」
思わず、小さく声が漏れた。老教師がピクリと反応し、眼鏡の奥の目を光らせたが、幸いにも視線は黒板に書かれた「羅生門」の解説へと戻った。
《いい返事だ。だが声に出すな。心の中で喋れ、心の中で。左を見ろ。正確には、お前の机の左斜め45度だ。そこに俺がいる。……ほら、意識を集中しろ。ピントを固定するんだ。ぼんやりしてると、俺の存在がお前の記憶の彼方に溶けて消えちまうぞ。それはお前にとって、世界が滅ぶより損失だ》
幻聴にしては、あまりに質感が強すぎる。解像度が高すぎる。
俺は恐る恐る、自分の意識の焦点を机へと向けた。そこには、異様な光景が広がっており――その中心に、「絶望を形にしたような存在」が鎮座していた。
定規で引いたように一分の隙もない、頑固一徹を絵に描いたような角刈り。重力に抗うことをとっくに諦め、だらしなく三段に重なった、脂ぎった肥満体の腹。そして何より、殺意すら感じるほどに眩しく、不自然なまでに糊のきいた純白のブリーフ。
(な……何なんだよ、あんたはッ!? 誰だ!? 俺の脳内に不法侵入して、不法占拠してんじゃねえよ!)
脳内なら、叫んでも誰にも聞こえない。俺は必死に精神的なバリアを張ろうとした。かつて読んだ漫画の修行シーンを思い出し、こいつを脳の外へ押し出そうと念じた。だが、その角刈りおじさんは、俺の思考の海に、俺の机にどっしりと、テトラポットのように根を張って動かない。
《俺か? 俺は……そうだな。世間じゃ『小さいおじさん』なんて呼ばれてる都市伝説の一種だ。まあ、幸運を運ぶ妖精とでも思っておけ。その方がお前の情緒も安定するだろ?》
(嘘をつけ! 妖精はもっと、こう……キラキラした粉を撒き散らして、甘い花の蜜とか吸いながら、ハープとか奏でてるもんだろ! あんたの周囲から漂ってるのは、加齢臭とカップ麺の残り香と、絶望的なまでの生活感じゃねーか!)
《見た目で判断するなよ。これでもお前、未来のお前には、涙を流して感謝されてる存在なんだぜ? 今の俺があるのは、お前のおかげ。お前の未来があるのは、俺のおかげ。Win-Winの関係ってやつだ》
おじさんは、おもむろにブリーフのゴムの隙間に太い指を突っ込んで、豪快に股間を掻き始めた。
ボリボリという、鼓膜を内側から直接攻撃するような生々しい音が脳内に反響する。しかも、なぜかその映像が、4K画質を超えた超高解像度で脳内モニターに投影されていた。産毛の一本一本まで見える。最悪だ。脳が汚染されていく感覚に、俺は吐き気を覚えた。
(未来の俺に感謝されてる? 意味がわかんねーよ。いいから今すぐ出てけ! ログアウトしろ!)
《まあ待て。せっかくコンサルしに来てやったんだ。お前のその、湿気たマッチ棒みたいな人生を、大輪の花火に変えてやるよ。まずは手始めに、お前の隣に座ってる『一ノ瀬莉愛』。あの女を攻略させてやる。お前、さっきからあいつの事、スケベな目で見てるだろ?》
(見てねえよ! せいぜい『今日も脚が長いな、人間離れしてるな』って美術品を見るような目で感心してる程度だ!)
《それをスケベって言うんだよ。下心のない鑑賞なんて、この世には存在しねえんだぜ? 安心しろ。今の俺には見える……一ノ瀬の脳内に浮かぶ、切実で、哀れな思念がな》
おじさんは、脂ぎった指でパチンと指を鳴らした。すると、俺の視界の端に、まるで動画配信サイトのリアルタイムチャット欄のように、一ノ瀬の「心の声」が字幕として流れ始めた。
『あー……マジで死ぬ。喉乾いた。てか口の中が地獄すぎる……。昨日、なんであんな激辛ポテチ一袋全部食っちゃったんだろ、私。バカじゃん。……口の中リセットしたい。フリスク……フリスクはどこ? カバンの中、ごちゃごちゃしてて見つかんないし……。あー、マジ詰んだ。誰か、私にミントの奇跡を……』
(……え? これ、本当に一ノ瀬さんの心の声……なのか?)
《そうだ。昨晩の深夜テンションによる暴飲暴食のせいで、あいつの口内環境は今、焦土と化している。彼女のプライドが、この不快感に耐えきれず悲鳴を上げているんだ。『あー、マジ最悪。フリスク食いてぇ……。でも今さらカバンをぶちまけるのもダサいし……』。これが今の一ノ瀬莉愛のすべてだ。さあ陽太、今こそお前の筆箱の奥底で、半ば化石になりかけている湿気たフリスクの残骸を差し出す時だ》
(……無理に決まってるだろ。いいか、おじさん。俺は『通行人A』なんだ。話しかける勇気があれば、最初からモブなんてやってねえんだよ! そもそも、いきなり渡して『なんで私がフリスク欲しいって分かったの?』って聞かれたら、なんて答えりゃいいんだよ! 『脳内の角刈りブリーフが言ってた』なんて言えるか!)
《適当に『俺にはお前のことが筒抜けだ』ってニヒルに笑え。ミステリアスな男を演出するんだ。……おい、佐藤陽太。やるのか、やらないのか。決断しろ》
おじさんの目が、すっと細くなった。その瞬間、脳内の空気が一変した。不気味なほどの、圧倒的な威圧感。それと同時に、おじさんがブリーフのウエストゴムを両手で掴み、ぐいっと引き下げようとした。
《やらないなら、お前の視界全体、網膜の隅々まで使って、俺の『ブリーフ一丁・全力反復横跳び』を強制上映する。最高速度で跳び続けるぞ。いいのか? お前の脳が、俺の腹の肉が揺れる残像で焼き切れるぞ? 一生のトラウマになるぞ?》
(わかった! わかったから! やればいいんだろ、やればあああ!)
俺は半ば自暴自棄になり、筆箱の中を漁った。消しゴムのカスや折れた芯にまみれて、いつ買ったかも覚えていないフリスクのケースがあった。中身を確認する余裕なんてない。
指が、笑えるくらいにガタガタと震えている。膝が笑い、奥歯がガチガチと鳴る。もし失敗すれば、明日からの俺のあだ名は「フリスク変質者」か「予言者(キモい方)」だ。
俺がこれまで必死に築いてきた「平穏」という名の城壁が、砂の城のように崩れ去る。高校生活の終了。人生の汚点。
だが、脳内で反復横跳びの
先生がチョークを走らせる、カッカッという乾燥した音が教室に響く。静まり返った教室内で、俺の心臓の鼓動だけが、重低音のドラムのように爆音で鳴り響いている気がした。
俺は意を決して、隣の席に向けて、まるで不発弾を処理するような慎重かつ絶望的な手つきで、ゆっくりと手を伸ばした。
「……一ノ瀬、さん」
指先で、彼女の細い肩を、ほんの、ほんの少しだけ突く。シルクのような制服の感触が指先に伝わり、俺の心拍数は限界を突破した。一ノ瀬莉愛が、ゆっくりと首を傾けて、こちらを向いた。
「……あ? ……なに?」
鋭い。長く整えられたまつげの奥にある、吸い込まれそうなほど大きな瞳が、獲物を定める猛禽類のように俺を射抜く。俺は蛇に睨まれたカエルどころか、巨大なブラックホールに吸い込まれる塵屑のような存在になり果てながら、掌の上の小さなプラスチックケースを差し出した。
「これ、もしよかったら……食べて。……いるかなと思って」
一ノ瀬の動きが、完全に止まった。彼女の視線が、俺の顔と、俺の震える掌の上のフリスクを、何度も往復する。
沈黙。一秒が、永遠のように長く感じる。教室内を流れる空気が、一瞬にして極北の氷河のように凍りついた気がした。俺の脳裏には、明日からの「ぼっち飯」の光景が走馬灯のように駆け巡っていた。
「……は?」
冷ややかな、地を這うような低い声。彼女の唇が、ゆっくりと、軽蔑を形にするように動く。
「……キモ。なんで私が今、これ欲しいって分かったの? あんた、ずっと私のことガン見してたわけ? ……ストーカー? マジで、鳥肌立ったんだけど」
(ほら見ろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!)
俺は脳内の角刈りに向けて、魂の底からの絶叫を叩きつけた。
(終わった! 俺の青春、完全終了! 打ち切りだ! 責任取れよ角刈りブリーフ肥満野郎! あんたのせいで俺の人生は今日から暗黒時代だ!)
《落ち着け。呼吸しろ陽太。二酸化炭素を吐いて酸素を吸え。……いいか、一ノ瀬の耳元を見てみろ。お前のその節穴をかっぽじって、よく、よーく観察しろ。この童貞め》
おじさんは脳内で、鼻クソを器用に丸めて指先でピンと飛ばしながら、悠然と言い放った。言われるがままに、俺は一ノ瀬の刺すような視線から逃げるように視線を逸らし、金髪の隙間から覗く、彼女の小さな耳たぶを凝視した。
(え……?)
赤かった。夕焼けをそのまま絵の具で塗りつけたように、耳から、そして隠しきれない首筋にかけて、真っ赤に染まっている。
《あいつは今、パニックなんだよ。『なんでこの地味で目立たないはずの男が、私が心の中で叫んでた口内事情を、このタイミングでドンピシャで当ててくるの!? 私のこと、本当は私以上に理解してるの!? 恥ずかしい!』ってな。これは拒絶じゃねえ。……防衛機制な、動揺だ》
一ノ瀬は「チッ」と、静かな教室の隅々まで聞こえるほど、わざとらしく大きく舌打ちをした。
しかし。彼女の白く細い指先が、迷いながらも、震えながらも伸びてきて。俺の手から湿気たフリスクを、奪い取るような勢いでひったくった。
「……まあ、もらうけど。……サンキュ。あんた、意外と、気が利くんだね」
彼女はそのまま、ガリリと音を立ててフリスクを噛み砕く。そのままぷいっと前を向いた彼女の横顔。一瞬だけ見えたその頬には、怒りでも、軽蔑でも、拒絶でもない。春の柔らかな陽だまりのような、不器用で、ひどく照れくさそうな、少女の微笑が浮かんでいた。
《ひゅ〜! 青春だねぇ! おじさん、ブリーフ一丁で感動のあまり失禁しそうだよ。見てくれ、この腹の肉の歓喜の震えを。これこそが、お前の新しい人生のファンファーレだ》
(見たくねえし、聞きたくもねえよ! ……でも、なんだよ、これ。なんなんだよ、一体)
あの一ノ瀬莉愛が、俺に、お礼を言った。あんなに顔を赤くして。
脳内のおじさんは、満足げに自分の三段腹を太鼓のように打ち鳴らしている。ドンドコと不快なリズムが脳に響く。俺はといえば、あまりの緊張と、想定外すぎる結果の反動で、もはや鉛筆を握る力さえ残っていなかった。
一人の美しきギャルと、脳内に棲みついた一人の角刈りおじさん。俺の平穏だったはずの、そして退屈なだけだったはずの日常は。この日、音を立てて派手に崩壊し――そして、俺の知らない、けれど少しだけ熱を帯びた色に染まり始めた。
「佐藤くん。一ノ瀬さん。そこ、授業中だぞ」
老教師の静かな注意が、俺たちを現実に引き戻す。一ノ瀬は気まずそうに髪をいじり、俺はあわてて教科書に目を落とした。
……けれど、俺の脳内では。おじさんが、勝利のポーズとして「ブリーフ一丁でのVサイン」を決めながら、ニヤニヤと笑い続けていた。
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