幸福保存説
雪溶晴
幸福保存説
人は幸福を失うとき、まるでそれが最初から存在しなかったかのように振る舞う。
写真は色褪せ、言葉は意味を失い、名前だけがポツンと残る。思い出そうとすればするほど、記憶は指の隙間から零れ落ちていく。私は長いあいだ、それを「記憶の摩耗」だと考えていた。時間が削り取り、感情が薄め、やがて何も残らなくなるのだと。
しかし研究を続けるうちに、別の仮説が私の中で形を持ちはじめた。
――幸福は消えない。ただ保存されるだけだ。
保存される場所は、人の心でも、時間でもない。もっと外側、私たちの想像できない世界の縁に近い場所だ。そこでは因果が緩み、意味が固定され、失われたはずの幸福が、失われないまま留め置かれる。
私は地方都市の外れにある、使われなくなった文書館で働いている。正式な肩書きは資料整理員だが、実際の仕事は忘れられた記録を箱に詰め、番号を振り、棚に整理することだ。誰にも読まれない場所で、誰にも読まれない文書を、誰にも読まれないまま保存する。無意味の見本市のような場所だった。
文書館は、戦前に建てられたコンクリートの建物で、外壁には蔦が絡まり、窓の半分は埃で曇っている。利用者はほとんどいない。時折、郷土史研究家か、迷い込んだ学生が訪れる程度だ。静寂は厚く、時間の流れは異様に遅い。
その日、私は地下書庫で、埃を被った木箱の底から一冊の薄いノートを見つけた。背表紙はなく、表紙は指でなぞると崩れそうなほど脆い。表には鉛筆で、幼い字が書かれていた。
『しあわせのほぞん』
子どもの落書きのようでいて、なぜか目が離せなかった。私は作業台に腰を下ろし、ゆっくりとページをめくった。
――きょう、母がわらった。
――雨がやんで、犬が走った。
――スープがあたたかかった。
日付と、短い一文。それだけだ。取るに足らない、しかし確かに幸福と呼べる瞬間がそこにはあった。だが読み進めるほど、胸の奥が冷えていく。言葉が記録しているのは幸福そのものではなく、幸福がすでに失われた殻のように感じられたのだ。
読み進めていくと途中から、文章の癖が変わる。字は整い、迷いがなくなり、感情の揺れが消える。
――記録完了。
――移送準備。
最後のページに、異様に整った文字で、こう書かれていた。
――保存は完了した。
その瞬間、私は自分が覗いてはならないものを覗いたのだと理解した。
その夜、私は奇妙な夢を見た。見知らぬ部屋で、見知らぬ人々が白衣を着て並び、ガラス瓶に何かを詰めている。瓶の中身は光でも液体でもなく、ただ温度だけを持っていた。触れると、指先にかすかな温もりが残る。
誰かが言った。
「これは昨日の夕暮れです」
別の誰かが答える。
「こちらは、初めて名前を呼ばれた瞬間」
瓶は棚に並べられ、番号だけが振られていく。感情の名前は記されない。名前を与えた瞬間、意味が変質するからだ。
目が覚めると、胸にぽっかり穴が開いたようだった。何かを失った感覚だけがあり、何を失ったのかは思い出せない。私はその時確信した。あのノートは、単なる日記ではない。幸福を世界の外に移送するための、操作記録だ。
翌日から、私は文書館に残る個人記録を片端から読み始めた。
最初は義務感に近かった。異常を見つけた以上、調べずにはいられない。それだけの理由だった。だが数日もしないうちに、私は作業に没頭している自分に気づいた。記録を読むたび、胸の奥が微かに温まり、すぐに通り抜けていく。それは幸福ではない。ただ、幸福が通過した痕跡だった。
ある女性の日記には、毎日の天気と食事が几帳面に記されていた。感情の記述はほとんどない。それでも、ある一週間だけ、文章がわずかに揺れている。
――今日は風が気持ちいい。
――洗濯物がよく乾いた。
その次の日付で、日記は終わっていた。事故死。書類の余白に赤字で追記されている。幸福が最も静かな形で存在していた時間だけが、切り取られたように残っていた。
別の箱には、手紙の束が入っていた。差出人と宛先は同じ名前。書いては出さず、書いてはしまわれた手紙だ。内容はほとんどが謝罪だった。よろよろとし文字がびっしりと記されている。だが最後の一通だけ、文面が違う。鮮明に記されている。
――今日は、何も怖くなかった。
それきり、続きはない。その人物は後に行方不明になっている。幸福が恐怖を一時的に上書きした、その瞬間だけが保存されたのだろう。
私は気づき始めた。幸福保存説は、劇的な幸福を対象にしていない。むしろ、人生をかろうじて支えていた、壊れやすい幸福だけを選別している。失えば生きられないが、持ち続ければ壊れてしまう、そういう種類の幸福だ。
記録を読み進めるにつれ、時間感覚が曖昧になった。時計を見ると、いつも深夜だった。文書館の外では、誰かが普通の生活を送っているはずなのに、私は世界の外側に取り残されている気分になった。
それでも手を止められなかった。幸福が奪われた痕跡を知ることは、同時に、自分が何を失っているのかを知ることでもあったからだ。
日記、手紙、メモ帳、音声記録。幸福について直接書かれたものだけでなく、些細な日常が綴られたものを探した。
そして気づいた。
幸福が最も濃く記されている文書は、必ず途中で終わっている。失踪、事故、破産、離別。書き手の人生が折れた地点で、記録は途切れる。まるで、その先を書く必要がなくなったかのように。
代わりに、文書館の奥、立ち入り禁止の区画に、番号だけが振られた瓶が並んでいることに気が付いた。中身の記載はない。ただ、微かな温もりだけが残っている。
私は一本の瓶を手に取った。ラベルには、あのノートと同じ、癖のある数字。
――保存対象:三十四。
触れた瞬間、世界が反転した。夏の午後、畳の匂い、遠くで鳴る蝉、台所から漂う味噌汁の香り、笑う母。ノートに書かれていた断片が、完全な情景として浮かび上がる。私は膝から崩れ落ちた。
幸福は、確かにここにあった。
だが同時に理解した。これらは返却不能だ。保存とは、奪取に等しい。幸福を保存することで、人は生き延びられる。しかし、保存された幸福を失った世界は、その空白を二度と埋めることはできない。
私は管理簿を見つけた。革表紙の分厚い帳簿だ。
だが帳簿に至るまでに、私はいくつもの「途中」を通過していた。
地下書庫のさらに奥、地図にも記載されていない小部屋があった。そこには瓶ではなく、紙の束が無造作に積まれている。保存に失敗した記録だと、直感的に分かった。
最初の束は、ある研究者の日誌だった。彼は幸福保存説の初期実験に関わっていたらしい。内容は次第に支離滅裂になっていく。
――幸福を回収した。彼女は救われた。泣かなくなった。だが、私が思い出せない。彼女の声を、顔を、名前を。
幸福を奪われたのは対象者だけではない。周囲の人間からも、その幸福は同時に削除される。幸福は共有物であり、個人に帰属しない。その原則を、彼は最後まで理解できなかったのだろう。日誌は、白紙で終わっていた。
二つ目の束は、家族の日記だった。母、父、子。それぞれが別々のノートに、同じ一日を書いている。
母の記録には、ささやかな安堵があった。父の記録には、理由の分からない苛立ちがあった。子の記録には、空白だけがあった。幸福が保存された日、その家族は壊れてはいない。ただ、噛み合わなくなっただけだ。帳尻の合わない人生は、静かに人を摩耗させる。
私はそれらを読みながら、何度もページを閉じた。幸福保存説は、単なる理論ではない。無数の「耐えられた代わりに失われた人生」の集積だった。
さらに別の記録もあった。保存に反対した人物の供述書だ。名前は黒塗りされ、要点だけが残されている。
――幸福は人を壊すが、同時に世界を結びつけている。それを切断すれば、人は孤立したまま生き延びるだろう。
その人物は、その後の記録から完全に消えていた。保存対象になったのか、それとも排除されたのかは分からない。
私はようやく理解した。文書館とは、幸福を保存する場所ではない。幸福を失った世界を、無理やり成立させるための緩衝材だ。
その理解に至るまでに、私はさらにいくつもの記録を読んだ。
ある男性の録音データがあった。古いカセットテープで、音質は悪い。だが声だけは妙に鮮明だった。
「今日は、普通だった」
それが、彼の最後の言葉だった。普通であることに安堵し、それ以上を望まなかった瞬間。その直後に録音は途切れている。事故でも事件でもない。ただ、それ以上記録する必要がなくなったという事実だけが残されていた。
別の箱には、学校で回収された作文がまとめられていた。子どもたちに「いちばんうれしかった日」を書かせたものだ。多くは途中で文章が途切れ、最後まで書かれたものはほとんどない。
――うれしかった。けど、なんでうれしかったのか、わからない。
教師の赤ペンで「もっと具体的に」と書かれている。その指示に応えた作文は、一つも存在しなかった。
幸福は説明できない。説明しようとした瞬間、すでに保存の対象になる。その事実が、子どもたちの文章から滲み出ていた。
私は次第に、幸福保存説の選別基準が人為的なものではないと気づいた。誰かが恣意的に幸福を奪っているわけではない。幸福そのものが、一定の密度に達したとき、自動的に回収される。
幸福は安定を拒む。長く留まれば、人の人生を固定してしまう。だから世界は、幸福を外に逃がすことで均衡を保っている。保存とは、その副産物に過ぎない。
だが、その均衡の上に立つ人間は、幸福を失った理由を知らない。ただ理由のない欠落だけを抱えて生きる。
私は管理簿を開く前に、自分の過去を思い返そうとした。だが、どれだけ探っても、決定的な幸福の記憶に辿り着けない。思い出せないのではない。最初から存在しないかのように、空白が横たわっている。
その空白こそが、保存された証拠なのだと、そのとき初めて理解した。
そして、その核心に、この管理簿がある。
幸福保存説――提唱者不明。
目的:人類存続率の向上。
方法:個体が耐えられない幸福を回収し、世界外縁に保存する。
副作用:回収後、当該幸福は現実から完全に消失する。
誰かが、人類のために幸福を間引いたのだ。
幸福は、人を壊す。過剰な幸福は喪失の痛みを増幅させ、絶望は連鎖する。それを防ぐために、幸福そのものを奪う。理屈は理解できた。だが納得はできない。
私は選択を迫られた。保存を続けるか、破壊するか。だが破壊すれば、世界は保存された幸福の重さに耐えられないだろう。解放すれば、人は一瞬で壊れる。
その夜、私は自分の名前が書かれた瓶を見つけた。
――保存対象:私。
震える手で瓶を抱えたとき、理解した。私はすでに、自分の幸福を失って生きてきたのだ。だからこそ、他人事として研究できた。空白に慣れすぎていたのだ。
私は決断した。保存を終わらせる。ただし破壊ではない。再定義だ。
瓶を一つずつ棚から下ろし、文書館の外へ運び出す。夜明け前、世界の縁に立ち、瓶を並べる。空は薄く明るみ、境界は曖昧になる。
管理簿に、最後の追記をした。
――幸福は保存されるべきものではない。共有されるべきものだ。
瓶を開けると、温度は霧となって広がった。誰のものでもない幸福。奪われない幸福。世界は一瞬、静まり返り、次の瞬間、遠くで誰かの笑い声が聞こえた。
私は自分の瓶を最後に開けた。何が失われていたのか、まだ思い出せない。ただ、今ここに立っていることが、かつての幸福と地続きだと分かる。
幸福は保存されない。
それでも、消えはしない。
世界は今日も、不完全なまま、続いている。
幸福保存説 雪溶晴 @yuki_doke
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