第2話 おいてかないで

あるところにママと女の子がいました。

奔放で男好きでいい加減なママでしたので、女の子のパパは誰か分からず、母と娘の二人暮らしでした。

お金はないけど、愛に満ちた、幸せな生活。

とは程遠い毎日でした。

ママは常に不機嫌な顔をしていて、女の子にキツく当たります。

どうしてこんなこともできないの。早くして。ほんとグズなんだから。いい加減にしろよ。鬱陶しいんだよ。なんでお前なんか産んだんだろ。

女の子なりにママに好かれようと、一生懸命にしていたのですが、ママはそんなこと汲み取ってくれません。

言いつけを守らない、食べ物をこぼした、トイレを失敗した、目つきが悪い、そこにいるだけで邪魔。

そんなことを理由にぶたれる毎日でした。

だけどそんなママでも、女の子に優しく接してくれるときがありました。

それは新しい男ができたときです。

連れてくるのはどれもガラが悪く、下品で、およそカタギではない男たちでした。ママの過去の男をまとめれば、ダメ男の見本誌が出来上がることでしょう。

どの男たちもある程度は女の子に優しく接してくれました。ママに下心があるので当然のことです。言わばおこぼれの優しさ。

気まぐれにくれるお菓子やジュース。それに頭を撫でたり、抱っこしてくれる大きな手。

それでも女の子にとっては優しさであり、嬉しいことでした。

そしてなによりも、ママにぶたれず、あまり叱られず、可愛がってすらもらえるのは、女の子にとって何よりの喜びでした。

ずっとこのときがつづけばいいのに。

そうは思っても、嫌なことだってありました。

「ちょっと入ってて」

ママと男がくっついて、何か変な感じがしてくると、女の子は押し入れに閉じ込められました。暗くて狭くてカビ臭い押し入れは、恐怖の場所でした。

暗がりからおばけが出てくるんじゃないかと、ビクビクしながら過ごしていると、やがて音と声が聞こえてきます。

湿っぽくて何かをぶっているような音。獣のように荒くなっていく、ママと男の息使い。そして悲鳴のような、ママの声。

徐々に激しさを増していくそれに、女の子は必死に目をつむって耳をふさいで、耐えていました。

絶対に戸を開けてはならないと、ママから言いつけられていたからです。

嵐が過ぎ去るのを待つように震えていると、戸が開き、ママが気だるい笑みを浮かべて抱っこしてくれます。

その瞬間が、女の子にとって一番の幸せでした。

ママは私をちゃんと迎えに来てくれるんだ。

そう思って安心して、いつもママの胸の中で眠ってしまいます。


だけどあるとき、押し入れの時間が異様に長いときがありました。

音も声も尋常ではなく、これは変だと思い、女の子はそっと戸を開けてしまいました。ママの言いつけを破って。

女の子が目にしたものは、だいたい想像がつくでしょう。語る必要のない、人間らしい営み。

ですが初めてそれを目の当たりにした女の子にとって、それは理解不能な、グロテスクな光景でしかありませんでした。

組み敷かれて、獣のように肌と肌をぶつけ合う、二人の生き物。

「ママっ!」

それを見た女の子が、ママがいじめられていると思って、止めに入ってしまうのは無理もないことでした。

「おいなんだよ!」

「ちょっと、なんで出てきてんの!?」

ママを助けようと、必死に男にしがみつく女の子。こうなっては仕切り直しなんてできるはずもなく、男は白けた顔をして、服を着て帰ってゆきました。

「もう二度と来るかよ」

そんな捨て台詞を残して。

泣きながら男に追い縋り、突き飛ばされたママが鬼の形相で女の子を睨みつけます。

「お前なんているから」

ママは乱暴に女の子を担ぎ上げると、外へと連れ出しました。

電車に乗って、適当な駅で降りて、寂れた知らない町に着くと、ママは女の子をまた担ぎ上げて歩き回りました。

黙っているママと、小刻みに鳴るヒールの音が、女の子には不吉に思えてなりませんでした。

やがて人気のない路地にたどり着くと、女の子は地面に投げ出されました。まるでいらないものを、放り投げるように。

硬いアスファルトに呼吸が一瞬止まり、すぐに痛みがやってきて女の子は泣き出してしまいました。

「そこでずーっとそうしてろ」

ママは吐き捨てると、背中を向けてヒールの音を響かせました。

「ママ!まってママ!」

女の子は立ち上がり、ママを追いかけようとしました。

「ついてくんなよっ!」

背中越しに怒鳴りつけると、ママはバッグからイヤホンを取り出して耳を塞いで、再びせっかちなヒールの音を響かせました。

言葉の刃が突き刺さろうとも、女の子は走って、その背中に追い縋ろうとします。

「いたっ」

でも裸の足にアスファルトは硬く、靴を履いていれば気にならない小石やガラス片が鋭く突き刺さります。

「いたい、いたいよお、まってえ、ママまってえ」

泣きじゃくりながら、女の子は必死に足を進めます。血が滴り、ジクジクと痛む足で、ママに追いつこうと。

ひたっ、ひたっ、ひたっ、と、裸の足で。

痛いの痛いの、飛んでいけと、ママがしてくれたおまじないを思いだして、健気に痛みに耐えようとします。でも痛いのはどこにも飛んでいってくれなくて、ますます涙が溢れ出ます。

涙で滲む女の子の目には、遠くなってゆくママの後ろ姿しか映っていません。

高いヒールの音を響かせて、耳にはイヤホンをつけた、ママの後ろ姿しか。

その先には赤くなった信号が待っているのに、女の子は足を止められませんでした。

鋭いクラクションと、急ブレーキの音。

そして、女の子が弾き飛ばされて、地面に叩きつけられる、鈍くて重たい音。

けれどその音すらもママには届かず、女の子の最後の思いも、届くことはありませんでした。


ママ、おいてかないで

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おいてかないで みそ @miso1213

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