第5話 『太陽を喰らった狼』

 二年前のことだ。

 後に『イグドラシルの乱』と呼ばれる歴史的な出来事が起きた。『太陽』を自称し、破竹の勢いで周辺国を征服する南方の大帝国・ニヴが神聖ソレム帝国に領地拡大のため、攻め込もうとする事態があった。


 当然軍は対策を模索するが、芳しい作戦が出ない。頭を抱えた。

 そんなある日、一人の中尉が進言した。

 いくら神聖ソレム帝国陸軍士官学校を卒業して二年目の出世頭エリートと言えど、いち中尉の作戦が採用されるなど異例だ。その軍人が、名門貴族出身ゆえだろう。


 内容は以下のとおりだった。

 帝国の末端に六つあるうちの一つ以外の要塞を守り、冬になるまで攻め落とされることのないように防衛戦に徹する。ただし、残った一つの警備を緩める。そこに敵を誘き出す。シンプルな作戦だった。

 そして開戦する。

 ニヴの軍勢が分散し、五つの要塞を落とそうとするが──完璧に守られ、侵略は難航した。


 攻防戦は長期化する。

 周辺にはろくな補充地もない、兵糧は減っていく。

 敵軍も愚かではない。諜報部隊からの報告により一つだけ警備が手薄な要塞があることを知っていたが、誰でもそれが罠だと分かるだろう。

 戦略的撤退か、残った兵で罠の要塞に攻め入るか──敵軍は手柄を立てることを急ぎ、後者の手段を取った。


 北方の要塞・イグドラシル。

 ニヴの軍勢はそこに入った──本当の恐ろしさを知らずに。


 季節は一月。盆地の内陸国である神聖ソレム帝国の気候の特徴。夏は灼熱のような暑さで、冬は肌を突き刺すような寒さになる。イグドラシルは気温が氷点下三十度近くにも及ぶ極寒の地。着ている軍服だけではなく髪や唾液、鼻水は凍りつき、ときに金剛石ダイアモンドを砕いたような氷の塵が空中浮遊しているような天候が連日続く。

 ニヴの軍勢も防寒対策を行ってはいたが、その予想を上回る寒さだった。南方人はこれに耐えられず、凍傷などの戦傷者も相次いだ。

 当然、そんなところでまともに手足を動かせるわけがない。敵兵はこの地域出身ゆえに機敏に動ける兵士たちや、イグドラシル周辺の地理に明るい現地人で構成された義勇軍という神聖ソレム帝国の部隊と迷彩ゲリラ作戦を目の当たりにして大勢戦死し、退却した。


 終戦後、地理を生かし最小限の犠牲で大国に土をつけたこの作戦を考案した中尉は二階級特進し少佐になった。国中から英雄と讃えられた。

 敵軍からは『死神』、味方からは彼の家の紋章に描かれる動物にちなんで、『太陽を喰らった狼』と呼ばれた。


 その人物こそ、ジュリエッタの目の前にいる男。

 御三家であるスクルド公ルピナス家次男にして神聖ソレム帝国陸軍少佐、アンドレア・ルピナスである──。


「……久しぶりですね。アンドレア」

「あ、まあ……そうだな。勲章授与式では軽く挨拶したくらいか……。こうやってまともに話すのは幼学校の頃以来だな」

「そうですわね」


 アンドレアは照れくさそうにはにかみながら答えた。

 二人で茶請けの干し葡萄が入ったパウンドケーキを食べながら、紅茶を飲む。


「二年前は大義でした。あの泣き虫で剣の稽古も嫌がっていたアンドレアが、こんなに立派な貴族軍人になるとは思いもしませんでした。少女時代に戻って、幼い頃のわたくしにこんな将来を話したら、おそらくお腹を抱えて笑い『あのアンドレアが? 信じられない』と言うでしょう」

「よせよ、それ昔の話だろ……。お前だって……ガキの頃は家の庭に出てきたヘビを掴んでぶん回してたくせに」

「ふふ、懐かしいですね」


 思い出話に花を咲かせる。

 アンドレアを揶揄うと、彼は少し不貞腐れた。人生で一番心の底から楽しいと思えたのは、おそらくアンドレアといた幼学校の時だけだったような気がする。その頃に戻った心情になった。

 心に日が差し込むような気分になり、ジュリエッタはくすくす笑った。

 すると、アンドレアは途端に更に頬を赤く染めて、落ち着かない様子で目が泳ぐ。


「……ジュリエッタは、その……美人になったな。今俺は、実はすごく緊張してる……」

「……はあ?」

「あ、いやその……幼学校の頃もとびきり可愛い女の子だったけど……今は、ますます綺麗になったというか……」


 突然、口説き文句のようなことを言われてジュリエッタは素っ頓狂な声を出してしまった。

 この国では年増にあたる二十五歳の女、しかも離縁しただけでなく『負け犬令嬢』という悪名のある自分なんかに、何故こんなことを言い出したのだろうか、と。


(英雄さまはおべっかも上手いのね……)


 家柄も頭もよく、その上美男子のアンドレアだ。このような男に甘い言葉を吐かれて、町娘や他の貴族令嬢なら信じ込んでしまうだろう。だが、ジュリエッタは違う。


「……お世辞はやめてください」

「お世辞じゃない、本心からだよ」


 ──この蛇のような容姿の女のどこが綺麗に見えると?

 貴族社会や元夫に自尊心を傷つけられ、自信をなくしたジュリエッタは不愉快に思った。すぐにアンドレアから否定されるが、皮肉な笑みを浮かべて続ける。


「年増の女にそんなことを言って何の得になるのですか……。しかもこんな『負け犬令嬢』に。そもそもあなたがとびきり可愛いと褒めてくださるわたくしの幼少期だって、あなたの方が愛らしい顔立ちだったではありませんか。初対面の方たちには下半身に履いているものがスカートかズボンか判明するまでは、いつも男女逆だと思われていて……」

「やめろ、気分が悪い」


 アンドレアに剣呑な声で咎められ、睨まれた。

 さすが、百戦錬磨の軍人……。『太陽を喰らった狼』の異名どおり、さながら獣が獲物を定めるかのような鋭い視線にジュリエッタは減らず口を叩くことをやめた。代わりに、彼女は咳払いをする。


「……まあ、折角旧友に会ったのですから、わたくしもくだらない諍いは起こしたくはありません。やめましょう。ただ、何故急にこの屋敷に来たのですか。用件を言いなさい」

「……お前に、申し込みをしに来た」

「……申し込み?」


 ジュリエッタが不思議そうに尋ねると、アンドレアはふう、と息を吐いて決心したような面持ちになった。

 

「俺と、結婚してくれ」

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