ep リボン


 からんからんと鐘が鳴り、今日もお客様が訪れる。


 まほろば異境喫茶店。本日も営業でございます。


「いらっしゃいませ」


 ぺこりと軽く頭を下げるお客様は、どうやら学生さんのよう。

 少し折られたプリーツスカートが膝の上で揺らめいている。少し不安げに胸元ですり合わせるように指先が揺れる。


「どうぞ、お好きな席へおかけください」


 目を合わせて安心させるように微笑み、示すように手を緩やかに泳がせる。その仕草につられるように目線が動き、少しの逡巡のあと、小さなガラステーブルの席へ。

 恐る恐る椅子を引き、ちょこんと控えめに腰かける。


 その様子を視界の端に捉えながら火を止めてしゅんしゅんと音を立てるやかんをを手に取る。

 ティーポットにさっとお湯を通して温めると、適量の茶葉を入れて新しいお湯を注ぐ。

 透明なポットの中を茶葉が泳いでいる。蒸らしている間も温度を一定に保っていてくれるこのポットはかなり重宝している。おいしいお茶を楽しむためには、適切な温度管理は欠かせないけれど、その手間が省けるのはありがたい。

 もちろん冷めてしまうからこその便利な道具、特にキャンドルタイプのティーウォーマーも揺らめく炎が美しいので好きなのだけれど。


「おっと」


 そんなことを考えているうちに、充分な蒸らし時間が経ったようだ。せっかくの香りや味を損なわせないように温めておいたカップへそっと注ぐ。

 淡くピンクに色づく紅茶の水色を余さず堪能できるよう、今日使うのは白磁のカップ。


「おまたせいたしました。本日のドリンク、ピーチティーでございます」


 ちいさなガラステーブルの席に着いたお客様に、そっとカップを滑らせる。


 とっておきのこの茶葉は、丁寧に仙桃で香りをつけた上で大きめにスライスされた仙桃のドライフルーツが入った贅沢な桃のフレーバーティー。

 瑞々しい香りとあまい桃の味が人気の茶葉だ。


 そっと伸びた指先がほんのりとあたたかなカップの取っ手をつまんで、まだ温かい湯気の立つカップの表面をふうふうと冷ましつつ、ひと口。


「ん…熱いけど、ほんのり甘くて、すっごく美味しい!」

「ありがとうございます」


 お気に召していただけたようでなにより。


 ふうふう、こくり。

 ほっと息をついて余韻に浸り、また間を空けてはふうふう、こくり。


「あの」

「はい」


 半分ほどそうしてピーチティーを味わい、ことりとソーサーの上にカップを戻す。

 まあるい目がうかがうようにこちらを見る。


 豊かな桃の香気に包まれ癒されるお客様は、さてどういった悩みを抱えていらっしゃるのでしょう。


「表に書いてあった記憶を買い取る、って…わたしの記憶だけなんですか?」


 おや、これもまたよくあると言えばよくある質問だ。


「ええ。まことに残念ながら、さようでございます。こちらを訪れるお客様以外の方の記憶をどうこう、というのは当店では行っておりません。あくまでこちらにいらしたお客様と1対1での契約となっておりますので」

「そう、ですよね」


 しゅんと肩を落とす。

 そこに落胆とほんの少しの安堵を感じ取って、水を向ける。


「…お客様はなにかお悩みのご様子。よろしければお伺いしてもよろしいでしょうか。もちろん無理にとは言いません。しかし、話すことで整理できることもございましょう」

「…」

「それにここは夢の中。ここで話したことが現実に漏れ出すこともございません。どうかお気を楽にして下さい」

「…そうですよね」


 揺らぐ眼差しをそっと伏せ、そうしてぽつりぽつりと話し出す。

 唇を湿らせる桃の甘美さが後押ししているのだろうか。


「…えっと、わたし友達とケンカをしちゃって。最初はちょっとした意見の行き違いっていうか、かるい口喧嘩だったんですけど…」

「お互いに熱が入ってしまった、と」

「はい。どんどんヒートアップしちゃって、もう引けなくなっちゃって、それで、つい、大っ嫌い!もう顔も見たくない!…って」

「なるほど」


 ただでさえ多感な時期。

 些細なきっかけで心にもない言葉を言ってしまい、後悔しているというわけでしょう。

 熱くなっていればその分視野も狭くなり、相手の声が聞こえなくなる。そうすれば普段は何とも思わないような些細な言動にも目が行き、やり玉に挙げてしまう。…よく“体験”した(しった)流れです。


 くっと残りの紅茶を飲み干した彼女は何気ない仕草で髪に触れ、結ばれたリボンの先を指に巻くように絡める。


「小さいころからの親友で大好きだから、言っちゃったことがずっと頭がぐるぐるしちゃって。あんなこと、言わなきゃよかった…」


 青いリボンがくるくると後悔の指先に巻き付いてはほどける。

 くるくる、しゅるり。


 その様子を見るに、おそらくはそのご友人との思い出深いリボンなのでしょう。

 白い指先に目の覚めるようなブルーが揺らいでいる。絡まってはほどける様も、なんだか暗喩のようで面白い。


「でも、無理ですよね。わたしがそれを忘れちゃってもユイは覚えてる。それじゃあ別のケンカになるだけだし…」


 まさしくその通り。

 残念ながらその願い事は、少女の望む根本的な解決に至らない。

 一方の記憶が失われてもどうにもならないどころか悪化の一途を辿ることになるでしょう。


 …本来ならば。


「かしこまりました」

「えっ?」

「どうぞわたくしにおまかせください。お客様のお悩みは、今回限りはどうにかなる、いえ、どうにかできるといったほうが正しいでしょうか」

「それって、どういう…」


 不安から困惑に色を変えた彼女に、本を差し出し畳みかけるように声をかける。

 例外的なケースであり、はっきりと理由を述べられない以上、深く尋ねられる前に片を付けたい。

 上手くいくことは、もう決められているのだから。


「さあ両の手でしっかりとこの本を持って、思うままに開いてください」

「え、わ、はい…!」


 焦る彼女に本を握らせ、魔法の言葉をひとつ。


『Anoixis』


 パラパラと開かれた本から光があふれ、彼女は眩しさに目をつぶった。


「わたくし、ハッピーエンドが好きなものでして」


 ぽつりとつぶやかれた言葉は、必死な彼女の耳をすり抜けていった。



 鐘の音が鳴ったのは、営業の札を出してすぐ。

 扉に目を向けるとそこには勝気そうな眼差しの少女が立っていた。


「いらっしゃいませ」

「どうも。…席、どこでもいいですか」

「ええ、もちろん。お好きな席へどうぞ」

「ありがとうございます」


 少女は迷いなく足を進めるとすとんとソファに腰かけ、乱れたスカートを整えるように手で正した。

 凛として迷いのないように見えて、すこし力んで上がった肩が緊張を表している。


「どうぞ。本日のドリンク、ピーチティーでございます。熱いので気をつけてお召し上がりください」

「ありがとうございます」


 先日補充したばかりのとっておきの紅茶は、芳醇な桃の香りとほんのり甘い桃の風味がすばらしい人気のフレーバーだ。

 カップを持ち上げた手が満足げな笑みと共に降ろされるのを見て、カウンター越しにそっと微笑む。

 静かな店内に緊張のほどけたため息がひとつ。


「よくわかっていませんが、ここは記憶を買い取れるお店、なんですよね」

「はい、さようでございます」


 幾分か落ち着いて柔らかさの増した声に返す。

 肩口で切りそろえられらショートヘアーがさらりと流れる。


「わたしと親友の、ケンカした記憶を買い取ってほしいんです」


 サイドにひと房編み込まれた赤いリボンが、鮮やかに黒い髪を彩っている。


「ケンカですか」

「はい。…些細な事だったんです。でも、わたしは自分で言うのもなんですが気が強く、譲れない性格なので…」

「なるほど」

「距離を置いて時間を空けて、今はちゃんとわかっています。あんなに揉めるような内容じゃなかった。…後悔しているんです」


 親しい友人間でのトラブル。

 お互いに話し合い譲り合い、許し合うのが一番の解決方法ではありますが…。


 この短時間でもわかるくらい、真面目で責任感の強い方だと見受けられるお客様が客観的に思い返してみても、その出来事はなかったことにした方が良い、と思うほどに行き過ぎてしまったのでしょう。


「たしかに、お互いの記憶からそのケンカをした記憶そのものを切り取ってしまうのもひとつ確実な方法ではございますが…」

「していただけますか?」


 うーん。

 そもそもわたくしの仕事はこの喫茶店を訪れるお客様との1対1の個人契約。彼女はともかく、ご友人の方の記憶をいただくことは出来ないのですが…。


 事実でもある為、不可能だと切って捨てるのは簡単ではあるものの、しかしこの場合はどうやんわりとお声がけしようかと頭を悩ませていると、ふとまた別のお客様がいらっしゃる気配を感じた。


 反発し、絡まり合う縁の気配。

 なるほど、これなら。


「かしこまりました。本来であれば難しいご依頼ではありますが、今回は時の流れも良くございます。お受けいたしましょう」

「本当ですか!」

「はい」


 ここへ来て初めて見せる明るい笑みにぱっと染まる様を見て、ゆっくりとカウンターを出て本を取り出す。


「こちらを」

「本、ですか」

「ええ。お客様の望みを叶えるための特別な本でございます。さあこちらを両手でしっかりと持ち、思うページを開いてください」

「…わかりました」


 少女の手に、ぶ厚い革の装丁本が握られる。

 いつもの通り、しかしいつもより少し急ぎ気味に。もう夢から覚める時間です。


『Anoixis』


「眩しい…!」


 まばゆい光が彼女の目を貫いて、おもわず瞼が閉じられる。

 それでも落とさないように、本を握る手に力がこもった。


「さて、本日は忙しい日になりますね」



 なんだかすっきりした目覚めで、いつもより早く学校へ。

 お母さんはなんだか変な事を言っていたけれど、なんだったんだろう。誰かと間違えてるのかな。


「あっ!ユイ~!おっはよ~!」

「おはよう、サキ。今日は早いじゃない?いつもはゆっくりなのに」

「も~!わたしだって早起きな日くらいあるよ~!」

「ふふ、そうかもね」


 いつもより少し早い、いつも通りの朝。

 お互いの髪を結ぶ、赤と青のリボン。仲良しのしるし。


「あ、なんかね、朝お母さんが変なこと言っててさあ」

「それってもしかして、わたしとサキがケンカしてるって話?」

「えっ、なんで知ってるの?!ユイってまさかエスパー?!」

「ばか。わたしも今朝、母に言われたのよ。ユイちゃんと仲直りはしたの?って。わたしたち、ケンカなんてしてないのにね」

「そうそう!あ、それよりもね~」


 他愛のないやり取り。

 すこしの違和感もまた違う話になればすぐに忘れてしまうような、そんなひととき。


 上へ吹き抜ける風が、髪を空へと遊ばせた。



 バイトくんがまとまった休みを取ったため、ひとりっきりでの営業中。

 日課で趣味のカウンター磨きを終えて、コーヒーを片手にひとりブレイクタイム。


 赤と青の絡み合う鮮やかなリボンの切れ端を指で軽く遊んでから、新しい小瓶の中へ。

 ラベルを張ってケースにしまうと、またからんからんと音が鳴る。


「本日は稀に見る盛況日ですねえ」


 めでたしめでたしのお約束は一旦お預け。

 飲み干したカップをシンクに置き、お客様へ声をかける。


「いらっしゃいませ。まほろば異境喫茶店へようこそ」


 いろんな夢と重なっては、覚めて離れる喫茶店。

 まほろば異境喫茶店は本日も営業しております。


 さあ、こちらのお客様はどのようなお味になるでしょうか。


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