まほろば異境喫茶店

みよし たもつ

ep 赤い花


 からんからん、と軽やかな歓迎の音が鳴る。

 そろうりと恐る恐る進んでくる影はカウンターの高さにすこし満たない。本日のお客様はどうやら小さなお客様のようだ。


 火を止め、くつくつ温めていたミルクパンを揺らして口の大きなマグにゆっくりと注いでいく。仕上げにたっぷりの雪蜜を垂らすと熱々のホットミルクがほんのりと冷めてちょうどいい温度になる。


 さて、これで準備は万端。とエプロンの腰ひもを結わえなおして支度は整った。


「あのう」


 手が届かなかったのだろう、カウンターではなく椅子に手をかけてぐっとかかとを上げ、まるい瞳がこちらを見上げてくる。高い声が不安そうに震えていて、けれどしっかりとした意思が握りしめられたこぶしから感じられる。

 安心させるように目を合わせて微笑んでから、そっとカウンターを出て小さなお客様の近くに膝をつける。

 近くてすこし遠い2歩分の距離。

 ゆっくりとした動作と上から感じる圧が無くなったおかげか、ほんの少し肩から力が抜けた様に見えた。


「えっと、ね」

「はい。ゆっくりでよろしいですよ。しかし、せっかくお話をして頂けるのです。よろしければお席へどうぞ」

「ありがとうございます!」


 とことこ歩幅小さく歩いて、奥のソファ席へ。

 揺れる小さな頭に赤い花が咲いている。少し不格好な束ね方を見るに、おそらくは慣れないピン止めの付け方に苦戦したこと伺える。


「わあ…!」


 高いカウンター席の前からふかふかのソファに。しっかりと腰を落ち着けて事を確認して、そっとマグを差し出す。

 淹れたての、けれど適温のホットミルク。


「雪のとても深い地域で三日だけ咲く特別なお花からとれるあまーい蜜をお入れしたホットミルクでございます。どうぞ」

「ありがとうございます!…おいしい!」


 温かくて甘い飲み物を飲むと、体が温まる以上に心がほっとする。という経験則に基づくこの喫茶店でのスタンダードなもてなしに、本日のお客様も例にもれず心を落ち着けて下さったようだった。

 くぴくぴとホットミルクを飲む姿になごみつつ、お客様へ圧や不安を抱かせないよう、反対側のソファへ腰かける。ただでさえ身長の高い相手が、少し離れているとはいえ立ったままというのも気を使わせそう。かといって屈むのもどうかと思うわけなので。


 自らも腰を落ち着けながら思案する。

 このお客様のお話はどういったお味だろうか。


 ことんとテーブルにマグが置かれる。

 不安からか安心からか、思いのほか早く飲み干されたホットミルク。ほんのりと赤みが差した頬。


「あの、ごちそうさまでした。えっと、」

「わたくしのことはマスターとお呼びください。小さなお客様(リトルレディ)」

「マスターさん?あの、ゆうちゃ、じゃなくって、わたしはゆうかってお名前です。」

「ゆうかさんですね。本日はどうなさいましたか?」

「このお店って、わたしの思い出をお金にしてくれるんですよね…?」


 恐る恐るといったように伺いの声がかかる。

 どうやら店の入り口にそっと置かれた案内板の文字をきちんと読んで下さったらしい。難しい漢字や内容にならぬようにシンプルな文言を心掛けてはいるけれど、こうして小さなお客様にもある程度理解できているならよかった。


「ええ。このお店はそういう特別なお店でございます。ですので今回わたくしはゆうかさんの思い出を買い取り、つまり、思い出をもらう代わりにゆうかさんにお金を渡します。ここまではよろしいでしょうか」

「はい」

「その場合、わたくしがゆうかさんにもらった思い出はわたくしのものとなりますので、もうゆうかさんのものではなくなってしまいます」

「はい」


 一度の説明で意図が伝わるとは、本当に聡明なお客様だ。

 もちろん、記憶か対価。そのどちらか、あるいは両方を望む心がなくてはこのお店を見つけることも入ることもできないのだけれど。


「それはつまり、その思い出をゆうかさんはこれから思い出すことが出来なくなってしまう、ということなのです」

「もう、思い出せない…」

「はい。思い出、記憶というものは繊細なものでございますから本来ならば一部分のみいただくということは出来ないのですが、そこはまあ夢でございますので」


 とても都合のいい、夢。


「ゆめ、なんだ。やっぱり」

「はい。ここは夢の路地裏にある記憶の買取屋、まほろば異境喫茶店でございます」


 1杯のドリンクをサービスに、記憶というその人の世界の一部をいただく契約。対価は相当量の金品としている。

 もちろん夢から物質を持ち帰ることは出来ない為に、実際の対価の支払いはお客様が夢から覚めた後、何らかの形で手元に巡ってくるようになっている。


 どんな世界(ほし)のどんな人でもいつでも来れるしいつもは気づけない。

 そんな狭間(ゆめ)の場所。


「あの!わたし、お母さんが病気で病院にずっといなくちゃいけなくて、でもお金がたくさんあったら手術っていうのができて家にかえれるんだってかんごしさんから聞いて!だから、わたし、どんなくらいに思い出がいるのかわからないけど、ぜんぶあげるからお金がほしいんです!」

「ふむふむ、なるほど。ご病気のお母様を治すための代金を欲している、と」

「おねがいします…!」


 こちらを貫く真剣なまなざしが、つっかえつつもこぼれ出る想いをきらめかせる。

 声が震えて、すこしおぼつかなくなる。


「おかあさん、前まではゆうちゃんのことおきて待っててくれたのに、きのう、は、ねてて、しんどそうで…」


 ぽたり、ぽたりと雫がこぼれる。

 すがれるものを探してぎゅっと抱え込んだ空っぽのマグが小さな指先を白くしている。

 泣くまいと握りしめた力をそっとほぐすように包み込んで、そうっとハンカチで頬を拭った。


「かしこまりました。もちろん可能でございます」

「ほんとうですか…!」

「ええ、もちろん。それがわたくしのお仕事でございますので」

「よかった…」


 安堵に指先や肩のこわばりが薄くなるのを感じ取って、手からそっとマグを抜き取る。


「それでは早速ですが、思い出の選別を致しましょう。さあ、この本をしっかりと持って」

「はいっ」


 マグを受け取ってテーブルの端に置き、代わりに差し出したのはぶ厚い革張りの装丁本。

 店内の照明を反射して金の縁取りがきらめく。


 手渡されたそれを膝上でしっかと両手で握り、ひき結んだ唇が今か今かと待っている。


「さあ、魅せて頂きましょうか。あなたの記憶、心、世界(ほし)の輝きを」


『Anoixis』


 魔法の言葉が紡がれると、本に変化が起こり始める。

 重く、温かく、その存在を増していく。


「どんどん本が、重くなってく…!」

「落とさないように気を付けて。さあ、本を開いて。あなたがここだと思うページで!」

「え、えいっ!」


 矢継ぎ早に指示が飛んで、焦りと興奮でぎゅっと目を閉じた少女が無心で手に力を籠める。

 開かれゆくページの隙間からあふれんばかりの光が漏れて、店内を染め上げた。



 ぴぴぴぴ、と軽い電子音が鳴り響く。

 耳元のうるささに思わずぎゅっと眉を寄せ、しかめっ面になりながらもぞもぞ手探りで音のなる場所を探る。


「うーん…、あっ!」


 眠気眼をこすりながらなんとかベッドを這い出して、部屋を見る。

 学習机の上にのったリボン結びのまあるい筒を見て、いそいで支度を整える。


 今日は土曜日。

 学校のない日だけれど、でもずっと特別な、待ちに待った日がやってきたんだった。


 寝癖もそのままにパジャマを着替えて、靴下は手に持ったまま裸足で駆け下りる。


「おはよう、ゆうか。そんなにあわてているとこけるぞ?」

「わ、おはようお父さん!」


 とと、急ブレーキをかけてストップ。

 靴下を履いたらテーブルへ。大好きないちごジャムトーストも、今日はゆっくり味わってなんかいられない!


「お母さんのお迎えは10時だから、あと30分くらいしたら家を出ようか。あ、でもせっかくだからいつものお花を摘んでいく?」

「お花?」

「そうそう、ゆうかとお母さんが公園に行くといっつも持って帰ってくるあの赤いお花。たぶん今なら咲いてるだろうし」

「赤い、お花…」


 そんなこと、あったっけ。トーストをかじりながらうーんと頭を悩ませても、あんまり思い出せません。

 けれど、お花を摘むのはいい提案です。公園は病院まで歩く途中にあるし、とっておきのプレゼントと一緒に渡したらお母さんきっと喜ぶだろうな。


「道端の雑草だし小さいけれど、赤くてかわいいもんなあ。どうせ帰りはタクシーを使うし、そんなにすぐ萎れないだろうから」

「うん!そうする!」


 朝ご飯を食べたら、少し早いけれど出発することに。

 お父さんの手を握り、てくてく歩く。ほんの少し、スキップしてしまうのは仕方のないことだから。


 ちいさな赤い花を一輪、そっと握りしめて駆けだす。


「おかえりなさい!お母さん!」

「ただいま。ゆうか」


 病院の入口で明るい笑顔がはじけた。



 どこかの星で、親子の再会があった。

 大病を患い入院していた母親は、しかしとある名医の新たな治療法の確立により臨床患者となることでその命を救いあげられたという。

 本来ならば途方もない額を支払って、それでもすこしの痛みとそれなりの延命処置しかなかったはずだった。そしてそんな大金、1人の平凡な少女のこれまでの人生のすべてをささげたって、到底足りるはずもなかった。けれど。


 いずれ少女が大人になったとき、世間はこの奇跡的で感動的なストーリーを知ることになるだろう。

 まるで黄金の光に包まれるように、美しいハッピーエンド。

 もちろん、彼女たちの物語は続いていく。


「めでたしめでたし」


 コーヒーを落としながらカウンターを磨く。

 つややかな飴色の輝きが深みを増していく、この作業がとても心地よいと感じる。


 磨かれたカウンターの上、小さなガラスの一輪挿しに活けられた赤い花。

 いつかどこかで見たような、小ぶりで可愛らしい花だ。


 ふわり、と風が通った感じがした。

 やわらかな春の風だった。

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