初詣と憂う神

おとど鶯

初詣と憂う神

 ——世界が平和になりますように。


 今年十九になる娘は初詣でそう願うと決めていた。

 去年は『受験合格』と、『お年玉が沢山もらえますように』で迷った記憶があり、それより前はまるで覚えていない。


 娘は自身が自分勝手だと自覚していた。正月を迎え年が変わる度、いつだって己の利益を心の中で唱えていたからだ。

 反面それが悪い事や恥ずべきことと思ってはいなかった。人間なのだから己の幸福を願うのが普通だと。


 ——今年は他人の為に祈るんだ。そしたらなんかこう、大人っぽいっていうか、皆より精神年齢一歩リード、みたいな。


 決めていた清らかな願い事とは裏腹に、彼女は自身の腹の中が真っ黒な事に自覚がない。

 人の中に眠る原罪ともいえる、他人と比べる事で優越感に浸るべく初詣に赴く不届き者。

 娘はそういう人間だった。



◇ ◇ ◇



 三が日も終え社会人は会社に、学生は学校に通い始めた週の金曜日。

 漸く参拝客も落ち着いてきた賽銭箱前で、神は不快に眉を歪ませながら嘆息した。


「どうしたんですかクスノキ様。さっき帰った娘に呆れられておりましたが」


「全く度し難いと思ってな。私は暇があれば氏子共の思考を眺めているのだが、あやつはつい先日まで『戦争がなくなり平和になることを願う』と心に決めておったのだ」


 狛犬から着物姿の子供に変化した神使へ、楠の木霊から昇華した神が語る。

 神使は頭髪代わりの枝を揺らす神の隣に座ると、感心した風に腕を組み娘を讃えた。


「見越した御仁じゃあないですか。あのくらいの年頃ならいい男と出会いたいとか、俗物なら高価なバッグが欲しいだなんて願いますからね。自分でどうにかすべき事を願うような大バカ者よりずっと人が出来ている」


「箪笥の角で小指をぶつけても痛くならないようにしてください、だとさ」


「……えっ……と。……はあ?」


 神使は言葉に窮し、一拍あけてから気の抜けた声を挙げた。


「世界平和はどうなったので?」


「記憶を観た所、今朝まではそうだった。しかし朝飯を食い終わり食器を片付ける時に強かにぶつけてな。それで願いを変えたようだ」


「……あの娘にとって小指の痛みが世界平和より重用なので?」


「そうらしい。全く度し難い。ああ、全く度し難いものだ。分不相応ながら無垢な願いゆえ、偶には気合を入れて願いを叶えようと方々に根回しをしておったというのに、まるで無駄になってしまった」


 初詣で願った事が必ずしも叶う訳では無いということは人間も知っている。そもそも神社での祈りは『何か行動を起こすから見守って欲しい』とかそういった物であって、間違っても欲しい物やご利益を得るために来るものではない。

 クスノキは金にがめつい邪教と資本主義に圧され、そういった願い事をする者が大半の現状が痛ましかったが、しかし出来ることはしてやろうとも思っていた。


「根回しっていうと、何をされたので?クスノキ様は確か豊穣神とかだったような」


「コマよ、使えている神の役目くらいは覚えておけ。私の役目は実りだ。努力した者に、その努力に応じた成果を間違いなく与える」


「そーでしたそーでした。ではあの娘が世界平和の為に働けば、それだけ平和な世になる加護を与えるつおつもりだったのですね」


「ああ、全くその通りだ。安寧や災いの神共に話を通しておったというに、よもや徒労に終わるとは。今更なかった事にしてくれなど様が悪いにも程がある」


 コマと呼ばれた神使が「どんまいです」と返し、それを受けたクスノキは再び深い々々溜息を吐いた。


「あ、クスノキ様!娘が帰ってきましたぜ!立て続けに願うなんて、なんと欲張りな!」


「さて今度はなんだろうな。味噌汁でも溢して二度と服が汚れないようにとでも願いに来たか?」


 娘は人の身では見えぬ一使一柱の間に立ち、手も合わすことも無く頭を下げそそくさと立ち去る。

 作法としては下も下であったが、その顔は先刻とはまるで違う、誠意の籠ったものであった。


「今度は随分あっさりでしたね」


「……ああ、全くもって度し難いものだ」


「またくだらない事だったのですね。で、今度は何と?」


 神使に尋ねられ口癖のように度し難いと呟いたが、その口許は僅かに綻んでいる。

 神は神使に「留守を頼む」とだけ告げ、急ぎ足で許容と医療、そして伝聞を司る神共の元へ向かうのだった。



◇ ◇ ◇



「お母さんお願い!ちょっとの間だけだから!」


「しょうがない子ね。拾って来ちゃったものは仕方ないし、貰い手もちゃんと自分で探すのよ?」


「わかってるって!さしあたってこの仔の病院代を」


「お年玉あげたばかりでしょ?」


 ——この仔にいい飼い主が見つかります様に。


 そう願ったばかりの娘は腕の中の子猫の熱と一万円など天秤にかけるまでもないと、迷いなく選択したのだった。

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