祠の胡桃割り人形

魔王の囁き 

第1話

帰り道、夜の祠はやけに静かだった。

 街灯の届かない石段の途中、供え物の横に置かれた古い胡桃割り人形が、月明かりに照らされて立っていた。


「……なんだよ、こんな所に」


 苛立ち紛れに足が当たった。

 軽い衝撃のはずだったが、人形は石段を転がり落ち、鈍い音を立てて止まった。左足は折れ、右手は根元から外れている。


 一瞬、胸がざわついた。

 だがそれだけだった。


「知らない」


 そう呟いて、家に帰り、何事もなかったように眠りについた。


 ――目が覚めた時、違和感があった。


 天井が、やけに遠い。

 視界は狭く、首を動かすたびに木が擦れるような音がする。布団から降りようとして、足に力を入れた瞬間、体は前につんのめり、床に倒れた。


「……え?」


 視線を落とす。

 そこにあったのは、人の足ではなかった。


 艶のない木製の脚。関節は金具で繋がれ、ぎこちなく曲がっている。慌てて立ち上がろうとし、鏡台にぶつかった。


 鏡の中に、胡桃割り人形が立っていた。


 その姿は、王冠。大きく裂けた口。左右非対称の手足だった。

 恐る恐る腕を動かすと、鏡の中の人形も同じ動きをする。


「……あ、あ、ああああ!」


 理解が追いついた瞬間、悲鳴が喉から溢れた。


 その時だった。


『――罰を与える』


 頭の奥に直接響く声。男とも女ともつかない、冷たい響き。


『帰路の祠に供えられたものを穢し、奪った罰だ』


「奪ってなんか……!」


『壊した。等しく同じことだ』


 声は断定的だった。


「戻してくれ……! お願いだ、元に戻してくれ!」


 床に転がり、木の体で必死にもがく。しかし、どれだけ足掻いても、体は人には戻らない。


 沈黙の後、再び声が響いた。


『三つの試練を与える』


 空気が重くなる。


『壊したものを、直せ』

『奪ったものを、返せ』

『見なかったものを、見よ』


 意味を問おうとした瞬間、視界が歪んだ。


 次の瞬間、主人公は知らない場所に立っていた。

 木の体は重く、関節は軋む。それでも、歩くしかない。


 折れた足で外れた手で胡桃割り人形から元に戻れる保証など、どこにもなかった。


 それでも――進まなければ、永遠に祠の供え物のままだ。


 主人公は、ぎこちない一歩を踏み出した。

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