第5話 呪い鑑定:外れ鑑定の真価

朝の空気は硬かった。納屋の隙間から差し込む光が白く、藁の上の霜がきらりとした。

俺は指先で霜を払って立ち上がり、診療鞄の代わりに小さな布包みを手に取った。中身は昨夜のうちに揃えた。布、紐、木の棒、陶器の欠片。全部、村の中にあるものだ。足りないなら作る。追放者にはそれしかない。


ルゥが藁の上で丸くなり、耳先をぴくりと動かした。


「寒い。あと、臭い」


「黒祝は寒さに似ている」


俺は納屋の外へ出た。村の広場ではもう薪割りが始まり、斧の音が乾いていた。村長ゲオルグがこちらを見る。


「少年はどうだ」


「夜は眠れた。だが黒い線は残っている。原因を断たないと戻る」


村長の顎が僅かに引き締まった。


「祠か」


「祠だ。だが手順なしに近づけば、こっちが食われる」


俺が言うと、村長は短く頷き、小屋の方へ顎を向けた。


「ミーヤを付ける。薬草の場所も知ってる」


呼ばれたミーヤが小走りで来た。薬籠を抱え、目だけが妙に鋭い。


「グレイ。あんた、昨日の蒸し薬の配合、どこで覚えたの」


「本で読んだ。今は質問より準備だ」


ミーヤは不満そうに唇を尖らせたが、すぐに薬籠を掲げた。


「乾燥ヨモギと、塩と、布。あと木炭。村の鍛冶場からもらった」


「十分だ」


俺は小屋へ向かい、少年の様子を確かめた。熱は少し下がっていた。呼吸も昨夜より楽そうだ。だが首筋の黒い線は薄くならない。薄くならないどころか、線の周りに小さな枝が増えている。


俺は少年の手首に指を当て、脈を数えた。速い。祝福の流れは弱い。黒い線が、白い線を押し退けている。


「治療は二つある」


ミーヤが眉を上げた。


「二つ」


「目の前の体を守ること。もう一つは原因を断つこと。今は前者だけだ。後者をやる」


村人の視線が集まった。期待と恐れが混ざった目だ。俺はそれを背中で受け、息を整えた。


祠へ向かう前に、やることがある。俺は布包みから布を取り出し、口元に巻いた。鼻と口を覆い、結び目を耳の後ろに作る。仮面の代わりだ。焼き物の半仮面はまだない。だがこれで粘つく臭いを少しだけ遮れる。


次に、ミーヤが差し出した木炭を受け取り、乾いた紙切れを探した。村長が渋い顔で薄い紙束を渡してきた。古い帳簿の切れ端だ。


「書き物か」


「記録だ。証拠になる」


村長は何も言わなかった。信じたのではない。必要だと思ったのだ。


俺は紙の端に小さく線を引き、癖を刻んだ。左端を二度なぞる。二度なぞるのは、俺の印だ。二度なぞるのは、奪われた日の反省でもあった。



祠へ向かう道は、村の裏手から森へ入る。地面は湿り、落ち葉が濡れて滑る。

ルゥが俺の肩に乗り、鼻をひくつかせた。


「近づくほど刺さる。目が痛い」


「目を閉じるな。足を取られる」


祠が見えた。石の表面が霜をまとい、月明かりの代わりに朝の白い光を跳ね返している。近くにいるだけで皮膚が冷える。自然の冷えじゃない。内側から削られる冷えだ。


俺は距離を測り、木の棒を前に出した。棒の先に布を巻き、紐で縛る。手を近づけないためだ。黒祝は触れても、吸っても、染みる。染みたものは人を食う。


「昨日、石を投げたら弾かれた。結界がある」


「結界ってより、口だな。餌に反応する」


ルゥが言った。俺も同感だった。祠は閉じた場所じゃない。開いた口だ。近づくものを待っている。


俺は棒の先で地面の石を突いた。何も起きない。次に、祠の前の土を浅く掘った。土が黒く湿り、嫌な臭いが立つ。棒を引くと、布の先端に黒い粉が付いた。煤に似ている。だが煤ではない。粉が空気の中で微かに脈打っている。


俺は陶器の欠片を取り出し、布の先の粉を削ぎ落とした。欠片の内側に黒い粉が溜まる。蓋はない。だから布で包み、紐で縛った。簡易の試料だ。


その瞬間、祠の影が僅かに揺れた。空気の温度が落ち、耳の奥が痛んだ。

黒い糸が一本、こちらへ伸びた気がした。見間違いじゃない。ルゥが毛を逆立てた。


「来るぞ」


「来させない」


俺は試料を胸に抱え、踵を返した。走らない。走れば転ぶ。転べば触れる。触れれば食われる。

背中の冷えが追ってくる。祠が、獲物を逃がすのを嫌がっている。


「戻る」


「え、もう?」


「ここで鑑定すると持っていかれる。村でやる」


ルゥが舌打ちしたが従った。俺たちは祠に背を向け、森を抜けた。背中が冷え続けた。祠が視線を向けている気がした。



村へ戻ると、俺は納屋の隅を借り、床に布を敷いた。試料の包みを布の中央に置く。ミーヤと村長が距離を取り、息を飲んだ。


「何をする」


村長が言った。


「鑑定だ。外れ鑑定の真価を見せる」


ミーヤが腕を組んだ。


「外れ鑑定って、宝石の値段も当てられないやつでしょ」


「そう言われていた」


王城で俺が担当していたのは、壺の価値でも、剣の銘でもない。人の状態だった。だがそれは地味で、評価されない。地味だから、切り捨てやすい。


俺は布包みを解き、陶器の欠片を露出させた。黒い粉が欠片の内側に貼りついている。目を凝らすと、粉の粒がほんの僅かに動いている。生き物みたいに。


俺は指先に唾を付け、掌で擦った。乾いた皮膚では感覚が鈍る。次に、指先を欠片へ近づける。触れない。触れるのは最後だ。


「ここからは近づくな」


ミーヤが一歩引いた。村長も頷いた。


俺は息を止め、欠片に指先を当てた。


冷たい針が、皮膚の奥へ刺さった。黒祝が噛みつく感覚。噛みついたまま、俺の体温を吸う。

指先が痺れ、爪の根が白くなる。長く触れれば、こっちが弱る。だから時間を決める。三呼吸だけ。


一。

二。

三。


世界の輪郭が剥がれ、線が見えた。


白い線が細く流れ、黒い線が絡みつく。黒い線は粉の中心から伸び、祠へ繋がっている。祠からさらに、一本の太い糸が伸びていた。森の外へ、王都の方向へ。遠すぎて見えないが、方向だけははっきり分かった。


「……アンカーがある」


口元の布の下で、俺は呟いた。


「アンカー?」


ミーヤが囁く。


「呪いの支点だ。ここは漏れ口。支点は別にある。王都だ」


村長の顔色が変わった。王都という言葉だけで、辺境の空気が重くなる。


俺は欠片から指を離し、掌を布で拭った。拭っても冷えは残る。だから塩を溶かした湯で指を洗う。塩がしみて痛い。痛みは生きている証拠だ。


「外れ鑑定は、物の価値を測るだけだと思われている」


俺は紙切れに木炭で線を引きながら言った。


「だが本当は、状態を読む。状態を読むなら、病も呪いも読める。読めれば、手順が作れる。ただし万能じゃない。触れて、試料を取って、ようやく見える。だから俺は祠に近づかなかった。近づけば終わる」


ミーヤが目を細めた。


「じゃあ、あの子も治る」


「治る。だが祠を封じないとまた出る。だから順番だ」


村長が低く言った。


「封じる方法は」


「封じるには素材が要る。塩、清めの水、祝福の共鳴。最後の一つが足りない」


村長が眉をひそめた。


「聖女か」


「そうだ。今はいない。だから代替を探す。白耀教の祝福水でもいい。だが手に入れるのは簡単じゃない」


ミーヤが口を開きかけたが、村長が止めた。余計なことを言えば、祠の話が広がる。広がれば教会が来る。教会が来れば、村は焼かれる。そういう怖さがこの村にはある。


俺は紙に書いた線を見下ろした。左端の二重線。俺の印。奪われないための印。


「俺は鑑定書を残す。村のための証拠だ。俺が消されても残るように、分けて隠す」


ルゥが鼻を鳴らした。


「今度は奪わせないって顔だな」


「奪わせない」


俺は欠片を布で包み直し、紐をきつく縛った。試料は一つでは足りない。だが一つでも、方向は見えた。王都。支点が王都にあるなら、王女殿下の呪いとも繋がる。繋がるなら、ここでできることは増える。


残り時間を頭の中で刻む。7日。今、1日目が終わる。残りは6日。祠の封鎖、仮面の作成、証拠の多重化、祝福水の確保。やることが多すぎる。だが目を逸らせば、最悪イベントが始まる。


俺は立ち上がり、村長を見る。


「村の井戸を見せてくれ。媒介が水なら、先に止める」


村長が頷いた。


「ついて来い」


ミーヤが薬籠を抱え直し、俺の横に並んだ。恐怖と好奇心が同じ目の中にあった。


「グレイ。あんた、本当に何者」


「追放者だ」


「それだけ?」


「それだけで十分だ。今は治す」



井戸の水面は静かだった。だが静かさは安全の証明にならない。俺は桶で水を汲み、指先を濡らす。冷たい。普通の冷たさに見える。だが線が見えた。黒い線が微かに混じっている。祠の方向へ、細い糸が引かれていた。


「当たりだ。水が媒介だ」


村長が歯を食いしばった。


「じゃあ飲めねえのか」


「煮沸すれば薄くなる。だが根を断たないと終わらない。まず今日から煮る。村中に伝えろ」


村長が走り出した。村が動く。小さな村でも、正しい方向に動けば強い。


俺は少年の小屋へ戻り、湯気の上がる鍋を見た。ミーヤが蒸し薬を続け、村人が交代で布を絞っている。動きが揃い始めていた。


「水は必ず煮ろ。飲み水も、粥もだ」


俺が言うと、村人が頷いた。言葉が伝わる。伝わるのは、結果が出始めたからだ。


俺は帳簿の切れ端に木炭で短く書き、二枚に裂いた。一枚は村長へ渡す。もう一枚は納屋の梁の隙間へ差し込む。証拠は一つにしない。学んだ。


空を見上げると、雲の隙間から光が差し、祠の方向に細い筋を作った。光は白い。だがその白の下で黒が伸びている。


王都へ伸びている。


俺は口元の布の下で、息を吐いた。


【鑑定書】

対象:アッシュブルク村の石祠の黒祝粉

分類:黒祝汚染および寄生呪式『祝福喰い』の前駆反応

症状:冷え、刺す臭い、井戸水への微弱混入、感染者の黒線

原因:石祠が汚染源として黒祝を漏出し、水で拡散している

発動条件:汚染水の摂取、皮膚接触、免疫低下時の侵入

解除条件:汚染源封鎖、媒介遮断、祝福回路の補助による再接続

危険度:極高

推奨処置:井戸水の煮沸徹底、試料の保全、祠封鎖の準備

備考:黒祝の太い糸が王都方向へ伸びる。支点は別に存在する

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