第3話 死にゲー知識:最悪イベントの期限

石牢の天井は低く、息がこもっていた。水の落ちる音が一定の間隔で続き、時間の感覚だけを削っていった。

俺は壁にもたれ、膝の上で手を組んだ。手首の内側に、まだ縄の跡が残っていた。追放の判決は軽いようで重い。死刑ではない。だが、国の中心から切り離されるという意味で、背骨を抜かれたようなものだ。


扉の向こうで鉄の擦れる音がした。巡回の騎士が鍵束を鳴らし、無駄に存在を誇示していく。あの法廷で鑑定書がすり替えられた瞬間から、ここにいる人間は全員、同じ側だ。俺の側ではない。


机の上にあったはずの紙束も、金粉も、黒インクも、もうない。証拠を作る道具を奪うのは、罪を確定させるより手早い。

俺は指先で袖の内側を探り、そこに小さな硬さが残っているのを確かめた。銀の指輪。契約の印。これだけは奪わせなかった。奪われれば、俺は本当に一人になる。


袖の内側がもぞりと動き、ルゥが顔を出した。灰色の毛玉みたいな体が、湿った空気を嫌って震えていた。


「ねえ、アルト。ここ、臭い。腐ってる。人も、祝福も」


「分かっている」


俺は短く答えた。追放は終わりではない。むしろ始まりだ。俺は王女殿下の病が呪いだと突き止めた。だから消された。消された理由はひとつ。呪いが真実で、しかも権力の近くにあるからだ。


俺がここで折れれば、何も止まらない。王女殿下も、国も、ただ滑り落ちるだけだ。

その滑り落ち方を、俺は知っていた。


「アルト、顔が怖い」


「怖いのはこれからだ」


俺は目を閉じ、前世の記憶を引き寄せた。現代日本で、仕事帰りに薄暗い部屋で何度も繰り返したゲーム。死にゲーRPG『呪誓のレクイエム』。一手間違えれば全滅し、正解を覚えるまで死に続ける。理不尽が仕様で、優しさが罠になる世界。


この世界がその舞台だと確信したのは、王女殿下を鑑定した夜だった。病ではないと分かった。呪いだと分かった。救うために使った鑑定が、裁きの道具にされ、俺は追放された。


ゲームなら失敗してもやり直せた。だがこの世界では、一度死ねば終わりだ。だからこそ、俺が持っている資産は、死に続けて覚えた正解の束だけだった。


俺の頭の中で、イベントが並んだ。王女の成人式。白耀教の大聖堂で祝福が増幅され、国の象徴が最も眩しく輝く日。そこを起点に、祝福が反転する。

王女殿下が倒れ、王都が混乱し、教会が異端を狩り、騎士団が暴走する。最後に国王が倒れ、王家の祝福が消える。そこから先は、辺境まで呪いが滲み、村が一つずつ消えていく。


鍵は、呪いのアンカーだ。祝福を吸い上げる仕組みの中心。そこを壊せば、最悪の連鎖は止まる。

だが、アンカーは簡単には見つからない。証拠も協力者も、時間も必要だ。


時間がない。


「成人式まで、あと何日だ」


ルゥが片耳を立てた。


「聞こえた話だと、7日。王城の連中、今日も準備してるってさ。王女が寝てようが関係ないんだって」


俺は息を吐いた。7日。短すぎる。追放された俺が王都で動くのは無理だ。名前を消され、証拠を奪われ、監視の目が張られている。正面から戻れば、今度こそ消される。


「じゃあ、どうする」


ルゥの声が少しだけ真剣になった。


「別ルートだ」


俺は言い切った。


「王都の外から包囲する。救う人間を増やして、証拠を増やして、味方を増やす。最後に戻るときは、顔を隠す」


「顔を隠すって、なんで」


「俺の顔は、もう罪人の顔だ。罪人の顔で王女を救っても、また奪われる。なら、名前も顔も捨てて、ただの医者として入る」


「医者でもないのに」


「医者のふりならできる。鑑定師は病の前に立つ。あとは手を動かせばいい」


俺は頭の中で地図を広げた。ルインフェルド辺境。序盤に立ち寄る寒村、アッシュブルク村。薬草が採れ、川があり、古い祠がある。

あの祠には呪いの欠片が眠っている。触れれば死ぬ。触れなければ先へ進めない。だが突破口でもある。素材が揃い、手順が揃う。


そして法廷で学んだ。証拠は1枚では足りない。奪われる。なら、多重化して守る。

揃えば一気に崩れる形で、積み上げる。


「ねえ、アルト。名前は」


「グレイ」


俺は即答した。


「灰色だ。俺は今日、灰にされた。灰なら燃え残る」


俺は自分の顔を手で覆い、目の周りの骨の形を確かめた。仮面が必要だ。王都へ戻るなら、検問と視線をすり抜ける顔がいる。

ゲームの序盤で、白い焼き物の仮面が拾えた。装備すると、名札が変わり、敵の反応が鈍る。馬鹿げた仕様だが、権威の目は案外そういうものだ。

あの仮面が同じ形で存在するとは限らない。なら、作る。材料は辺境にある。焼き物の土も、窯も、職人も。


ルゥは鼻で笑った。


「変な縁起担ぎ。でも嫌いじゃない」


扉の外が騒がしくなり、鍵が刺さる音がした。扉が開き、騎士が無表情で言った。


「出ろ。追放の護送だ」



馬車の荷台は木の板だけで、座ると尻が痛かった。手枷は外されたが、縄は残っていた。

護送の騎士は3人。俺以外にも追放者が乗っていた。盗みで捕まった若い男、密売で捕まった女、借金で身を売った老人。彼らは俺を見て、目を逸らした。鑑定師の制服が、まだ権威に見えたのだろう。俺にとっては死装束なのに。


縄の擦れる痛みを誤魔化すように、俺は荷台の木目を眺めた。木目の節が、地図のように見えた。

指先で節をなぞりながら、王都から辺境までの距離を頭の中で刻む。2日。雨なら3日。成人式まで7日。計算するたびに、時間が音を立てて減っていく気がした。


馬車が城門を抜けた。王都エルセインの白い壁が遠ざかり、代わりに冬の空が広がった。

空は薄い灰色だった。グレイ。俺は無意識にその色を追いかけた。


街道の脇には、白耀教の祠が点々と立っていた。旅人が手を合わせ、祝福の無事を祈る。祝福は確かに人を救う。だが、その祝福が餌になっているなら、祠は餌場にもなる。


ルゥは俺の肩に張りつき、外の景色を見ていた。


「辺境って寒い?」


「寒い。だが寒さは敵じゃない。敵は呪いだ」


そう言ったとき、俺の視線が追放者の腕へ吸い寄せられた。若い男の前腕に、黒い線が薄く走っていた。血管のようで、血管ではない。皮膚の内側を這う、蔦の影。


俺は反射的に身を乗り出した。


「見せろ」


男が怯え、腕を引いた。騎士が睨んだ。


「余計なことをするな」


「余計じゃない」


男が小さく言った。


「これ、昨日からだ。痒い。熱い。俺、呪われたのか」


俺は指先を浮かせ、触れずに見る。鑑定師の癖だ。

だが鑑定の感覚が、いつもと違った。黒い線の周囲に、薄い歪みが見えた。空気が、そこだけ重い。


「……見える」


ルゥが小声で言った。


「黒祝。まだ浅い。でも広がる」


「どこで拾った」


「知らねえよ。城の裏門の牢屋だ。そこにいたら、急に寒くなって……」


牢屋。城の裏門。王都の端で、呪いがもう滲んでいる。

俺の背中が冷えた。成人式まで7日。王女殿下だけじゃない。呪いはすでに動き出している。


騎士の1人が馬車の縁に肘をつき、追放者たちを見下ろした。


「その線、掻くな。広がる」


騎士の手元に、薄い黒い染みがあった。煤の汚れに見える。だがルゥの耳がぴくりと動いた。


「アルト。あいつも臭う。薄いけど、同じ臭い」


護送の騎士が黒祝に触れている。知らないのか、知っていて隠しているのか。

どちらにせよ、王都の外にも目が伸びている。



日が傾き、護送隊は街道脇で野営の準備を始めた。火が起こされ、鍋が吊られた。湯気が立ち、空気が少しだけ柔らかくなる。

俺は火から少し離れた石に腰を下ろし、聞こえないふりをして騎士たちの会話を拾った。


「成人式は中止しないらしい」

「王女が倒れてもか」

「中止したら、不安が広がる。だからやる」


短い会話だった。だが十分だ。7日が確定に近づいた。


俺は石で地面に数字を刻み、7と書いてから一本線で消した。残り時間を見える形にしないと、心が逃げる。

指輪を握り、次は同じ失敗をしないと誓った。証拠は分け、隠し、守る。守れない証拠は、ただの紙だ。守れる形に変えなければ、真実も死ぬ。


俺は若い男の腕を見た。黒い線が昼より濃くなっていた。治療道具はない。薬草もない。俺にできるのは観察と記憶だけだ。


若い男が火の側で腕を押さえ、歯を食いしばっていた。掻くなと言われても、痒みは命令を聞かない。

俺は声を潜めた。

「冷やすな。布を当てて、掻く代わりに押せ。熱が上がったら言え」

それが限界だった。治せない。治すための何もない。悔しさが喉の奥に溜まり、飲み込めなかった。


2日。王都から辺境まで、馬車で2日。雨が降れば3日。残りは最大で5日。

5日で、祠に辿り着き、素材を集め、手順を組み、仮面を手に入れ、王都へ戻る道筋を作る。


無茶だ。だが、無茶でもやるしかない。


俺は灰色の空を見上げた。雲は厚く、星は見えなかった。

その雲の向こうで、祝福が増幅される日が迫っている。


7日。死にゲー最悪イベントまで、7日。


【鑑定書】

対象:王女成人式までの期限

分類:時間制約および進行イベント

症状:期限接近に伴い呪いが拡散し、関係者に黒祝反応が出る

原因:黒祝寄生呪式『祝福喰い』が祝福増幅に同調する

発動条件:成人式の祝福増幅で共鳴が最大化する

解除条件:アンカー特定と破壊、祝福回路再接続の準備完了

危険度:極高

推奨処置:残り7日で辺境ルートを確立し、証拠と素材を確保する

備考:正面突破不可。仮面と偽名で再侵入する

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