追放された死にゲー外れ鑑定師、仮面の辻ヒーラーで王女を救い辺境スローライフ
ヒトカケラ。
第1話 プロローグ:鑑定書
王城の石廊下は、夜の冷えを溜め込んでいた。松明の火が壁を舐め、影が長く伸びていた。
俺は炭色のロングコートの襟を立て、半仮面の内側で息を吐いた。息は白くならなかった。ここは暖炉と魔導灯で温められていたが、空気だけが冷たかった。
仮面をつけるたびに、俺は自分の名前を置いてくる。置いてこなければ、生き残れない。王城の中で素性は武器にもなるが、刃はたいてい持ち主を先に切った。
「グレイ先生。こちらです」
先導する騎士が振り返らずに言った。俺の素性を確かめようともしない。確かめる暇がないのだろう。王都エルセインの中心で、王族が倒れたときの動きは速い。速すぎるほどに。
ルゥが俺の診療鞄の取っ手で銀鈴を鳴らした。
「王城って、空気がまずいよな。嘘の匂いがする」
「匂いだけで済めばいい」
俺は小声で返し、扉の前で足を止めた。白い扉の向こうから、祈りの声と、抑えた泣き声が漏れていた。
騎士が扉を開けた。
医務室は香の匂いで満ちていた。白い天蓋の寝台に、セレナ王女殿下が横たわっていた。唇は紫に寄り、細い喉が苦しげに上下していた。
鎖骨のあたりから、黒い蔦のような紋が伸びていた。紋は脈打ち、祝福の光を押し返すように肌の内側を這っていた。祝福の光は弱々しく揺れ、掻き消されそうになっていた。
「……ごめんなさい。私の祝福が、届かない……」
リリアが膝をつき、祈り珠を握り締めていた。涙が頬を伝い、床に落ちた。白耀教の神官たちが周囲を固め、王立医務院の医師が薬草の瓶を並べていた。胸元の名札にはレオンハルト・キーツとあった。
その医師が俺を見て、眉をひそめた。
「宰相閣下、これが……例の辻ヒーラーですか。こんな者に王女殿下を任せるなど」
低く整った声が割り込んだ。
「我々に残された手は少ない。王女殿下が死ねば、国が揺れる」
宰相マグヌス・ローデンが、黒と金の礼服の裾を揺らして俺を見下ろしていた。温厚な笑みが口元に貼りついていた。指に光る金の指輪が、灯りを反射していた。
俺は一礼だけで済ませた。
「呼ばれたから来た。患者を見せてくれ」
「口が利ける立場か。貴様の素性は不明だ。万一、呪具を持ち込めば、白耀教は黙っていない」
神官の1人が頷き、祈りの言葉を低く唱えた。祝福の光が室内に薄い膜を作った。守りの結界だ。守りと言えば聞こえはいい。監視でもあった。
「だったら最初から呼ぶな」
俺は寝台へ近づきながら言った。
「王女殿下の容体が持たない。今この瞬間、余計な儀礼で死なせる気か」
騎士たちの手が剣の柄へ伸びた。医師が顔を赤くした。
「貴様……!」
ルゥが宙でくるりと回り、わざとらしく肩をすくめた。
「ねえ、病人の前で怒鳴るの、よくないと思うけど」
「黙れ、精霊」
誰かが吐き捨てた。ルゥはにやりと笑った。
リリアが俺の袖を掴んだ。声は小さかったが、震えは隠せなかった。
「アルトさん……お願い。助けて」
その呼び方に、医師の目が僅かに動いた。宰相の笑みが、ほんの一瞬だけ固まった気がした。
俺は視線でリリアを制し、指先を王女殿下の手首に当てた。ひやりと冷たかった。脈は乱れ、祝福の流れが途切れかけていた。
俺は息を整え、目を細めた。世界の輪郭が一段、剥がれ落ちた。
祝福の線が見えた。白く細い糸が、王女殿下の胸元へ集まっていた。だが、その上から黒い糸が絡みつき、吸い上げていた。黒い糸は、細いのに重かった。触れれば指を裂く。そんな予感がした。
黒い糸の先は、寝台では終わっていなかった。
医務室の空気の中を、粘りつくように伸びていた。
俺は視線を辿った。
糸は、宰相の指輪へ繋がっていた。
俺の指先が僅かに痺れた。黒祝は触れるだけで皮膚の奥へ染みる。俺はその痺れを表情に出さず、脈拍だけを数えた。
「……やっぱり臭うと思った」
ルゥが鼻先をひくつかせた。
俺は声に出さず、答えを固めた。ここで感情を出せば、全員が敵になる。俺は証拠だけを積み上げる。
「リリア。祝福の共鳴を貸せ」
「は、はい」
リリアが寝台の脇に立ち、祈り珠を胸に当てた。淡い光が彼女の指先から溢れ、俺の手首へ絡みついた。冷えた指先に温度が戻った。
俺は診療鞄から細い針を取り出し、王女殿下の指先を浅く刺した。赤い一滴を、金粉を撒いた紙へ落とした。祝福紋が淡く浮かび、黒い糸の形を写し取った。
医師が息を呑んだ。
「血で……呪いを写すのか」
「写すだけだ。断ち切るのはこれからだ」
宰相が一歩踏み出した。
「貴様、王女殿下に何をするつもりだ」
「治療だ」
俺は短く返し、鎖骨の黒紋へ指を置いた。中心に、結び目があった。結び目は、虫の口のようにわずかに開閉していた。
「今から呪いのアンカーを引き剥がす。痛みが走る。押さえてくれ」
騎士団長が寝台の脇へ回り、王女殿下の肩を支えた。リリアの光が強くなった。祈りの声が震え、医務室の空気が揺れた。
俺は結び目を摘まんだ。指先に、冷たい針のような抵抗が刺さった。黒い糸が噛みついてきた。
「アルト、噛まれてる」
「分かっている」
俺は祝福の光で、噛みつく冷たさを焼いた。黒い糸が震え、嫌な音を立てた。結び目の奥で、何かが慌てて逃げようとしていた。
逃がさない。
俺は指先の感覚だけで、結び目の芯を探った。祝福の線と黒祝の線が絡まり、結び目を作っていた。そこを断てばいい。だが乱暴に切れば、王女殿下の祝福回路ごと裂ける。
「リリア。共鳴を少しだけ弱めろ。強すぎると焦げる」
「……はい。少しだけ」
淡い光が、ほんのわずか弱まった。俺はその隙間に指を差し込み、芯だけを引き抜いた。
ぷつん、と何かが切れた。
同時に、宰相の指輪がひび割れた。
「なっ……!」
宰相の声が掠れた。指輪の金が、内側から黒く染まり、亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていった。宰相は反射的に手を隠そうとしたが遅かった。灯りが黒い染みを照らした。
寝台の上で、セレナ王女殿下の胸が大きく上下した。黒い紋が薄れ、肌の色が戻っていった。
医師が呆然と呟いた。
「……息を、している」
リリアが両手で口元を押さえた。涙が止まらなかった。
宰相が一歩退いた。礼服の袖が揺れ、黒い糸の残滓がその腕へまとわりついた。黒い紋が、今度は宰相の皮膚へ刻まれ始めた。
「違う。これは……違う。私は……」
「鑑定書を出す」
俺は診療鞄から紙束を取り出し、黒インクを走らせた。金粉で祝福紋を封じ、光の筋を残した。改竄しようがない形で、結果を固定した。
宰相が声を荒げた。
「貴様の戯言だ。仮面の正体不明が、王女殿下を騙し、国を混乱させる気か」
医師が宰相へ同調しかけたが、視線が指輪の黒へ吸い寄せられ、言葉を失った。
俺は紙束を掲げた。
「王女殿下の呪いは『祝福喰い』。アンカーは宰相の指輪。解除は完了したが、派生が残っている。これが証拠だ」
騎士団長が宰相と俺を見比べた。剣が僅かに抜かれた。
宰相の温厚な仮面が剥がれ、焦りが覗いた。
そのとき、セレナ王女殿下の瞼が動いた。
王女殿下はゆっくりと目を開け、室内の顔を順に見た。最後に宰相の手元で視線が止まった。
「……宰相。あなたの指が……」
宰相が息を呑み、笑みを貼り直そうとした。だが黒い染みが、その努力を嘲笑っていた。
俺は静かに言った。
「王女殿下。今は体を休めてくれ。裁きは、証拠で行う」
ルゥが肩の上で、わざとらしくため息をついた。
「ほら。証拠って便利だろ?」
俺は最後に、鑑定書の1枚を宰相の足元へ落とした。
「治療は終わった。次は鑑定書で裁け」
◇
――それより少し前。
俺は半仮面を持っていなかった。王城の鑑定師の制服を着ていた。袖口は白く、胸元には王立医務院の紋章ではなく、鑑定師の小さな印が縫い付けられていた。
法廷の真ん中で、俺は罪人として立たされていた。
「アルト・ヴァレン。お前は王女殿下に呪具を持ち込み、祝福を汚した疑いがある」
裁判官が淡々と告げた。宰相が隣で頷き、医師が視線を逸らした。神官が祈りの言葉で空気を固め、逃げ道を塞いだ。
俺は手にした紙束を差し出した。俺の鑑定書だった。王女殿下の病は呪いだ。アンカーは権力の近くにある。そう書いた。そう書くしかなかった。
俺は金粉で封をし、祝福紋の筋を残した。改竄を防ぐための手癖だった。だが、相手が権力なら、手癖程度では足りなかった。
だが次の瞬間、役人の手が伸びた。
「提出物を預かる」
紙束が俺の指先から離れた。紙の角が、爪を削るように擦れた。嫌な予感がした。
宰相が優しく言った。
「安心したまえ。正しく裁かれる。君が潔白ならばな」
その言葉が、俺の背中を冷やした。
俺はその場で気づいた。俺の鑑定は、正しいだけでは足りない。証拠は奪われる。書き換えられる。だからこそ、俺は証拠を残すしかない。
そして数日後、俺は半仮面をつけて王城へ戻っていた。
【鑑定書】
対象:セレナ・アーデルハイト王女
分類:黒祝寄生呪式『祝福喰い』
進行段階:終末前
症状:祝福回路の枯渇、呼吸困難、黒紋の進行
原因:呪具アンカーにより祝福を吸収されていた
発動条件:王族祝福への接触と儀式日に共鳴
解除条件:アンカー破壊+祝福回路の再接続
再発リスク:高。アンカーが残れば再付着する
危険度:極高
推奨処置:聖女の共鳴補助下で呪結び目を切断
備考:アンカーの所在は権力中枢に近い可能性が高い
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