異世界転移した俺の保護者は、国を背負う十四歳の神童でした

こま

一章 望まれたままここに来て、流されるままに至るということ

第1話 明日葉、猫に会う

嘗て誰かが言っていた。“神は死んだ”。

それに続く言葉を明日葉智浩は知らなかった。明日葉にとって神とは判然としない概念であり、神社仏閣に参拝する時にだけ僅かばかりの小銭とともに一方的な願いを投げつける相手であり、腹痛の時に懺悔を対価に救いを求める対象であるばかりだった。その存在を実感したこともない。それは心霊現象に似て、創作か第三者の語り口から興味本位で楽しむ対象でしかない。神に祈るほど切実な願いも、神を恨むほどの絶望も未だ経験のない明日葉にとって、神の存在はそれほど取るに足りない己には関係のない存在であったのだ。


「やっと見つけた。お前、そう、お前だ」


吹き抜ける熱風に枯れた水田を埋め尽くす雑草が、その長いからだを一様に傾いでいる。まるで神に頭を垂れる人々のように。彼らが傾ぐその先に、それはいた。

誰もいない田舎道、4月には例にない真夏日、異様に撓んだ電線の上で、巨大な三毛猫が笑っている。あまりのことに通学鞄を取り落とす明日葉を見下ろし、その猫は確かに笑っていた。

だから、明日葉はふと考えたのだ。

己が知らないばかりで、神は存在したのだと、その時ふいに、確信した。

明日葉智浩は特に目立った才覚も産まれもない普通の高校生であった。そこそこに勉強して、そこそこに友人関係を育み、そこそこの反抗期を経て、ゆっくりと大人への階段を登る最中であった明日葉にとって、今日と言う日は取るに足りないある日でしかなく、だからこそこんな非現実は想定していない。

けれど巨大な猫が言う。


「お前、お前、血族だろう?」


状況を理解できない明日葉は物語の定例に倣って頬をつねった。夢を見ている一分の可能性は消え去り、だからこそ理解ができない。何せ身に覚えがなかった。関東の片田舎に暮らす彼の両親や年の離れた姉をとってみても、特別な才能や血筋であるようにはどうにも思えず、その例に漏れず明日葉だってそうだった。強いていえば山奥に引っ込んでいる父方の祖父だけが、この現代では類を見ない原始的な生活を送り、思春期に差し掛かる頃から正月にそこへ行くのが嫌になってしまったくらいで、だからといって父の家系が特別であるかと問われれば、親戚を手繰ってみてもやはり一般から出ないように思う。

だが同時に脳裏に過った覚えのない記憶が、明日葉の息を詰める。

森の中に住まう祖父が、いつだか焚き火を炊いてくれた記憶がある。周囲は木々が生い茂り、焚き火の他明かりのない夜のこと。何故そんな事をしたのか、何故そんな話になったのか、少しも覚えていないのに、祖父が語った言葉を鮮明に思い出した。


「智浩、神は確かに居る。宇宙に、その外側に。人は彼らに決して及ばず、それでも何かを成し得たいならば、きっと対価が必要だ。いいか智浩、忘れていないなら“それ”はあったのだ。誰もが忘れていたのなら、それは神の御業の一部であり、だからこそ、もう語ってはならない。尊いそれはきっと成し得た。お前はそれをおぼえていればそれでいい。そうして語るな。人は神に決して及ばず、もしお前の前に理解できない存在が現れるならば、その時は従う他ないのだから、お前に差し出せるものなど命の他ないのだから、知らなくて良いことは、当然、知らないほうが良いのだ」


俄に浅くなる呼吸。明日葉は答えを用意できなかった。人のいない田舎道、目眩がするほどの晴天、蜃気楼、巨大な猫、脳内に響く声、未知なる存在、覚えのない、けれど確かな記憶。何一つ理解できない。何一つ受け入れられない。

猫が笑う。


「ああ、いいよいいよ。驚かせたな。この世の人は神を見ないのだったな。なに、お前を探していたのだ」


猫はそう言い募り、ふと電線の上で踏み切った。音も風もなく、明日葉の目の前に降りてくる。懐かしい匂いがする。晴れた日に干した布団のような香りをした猫の金の目が明日葉を覗き込んでゆっくりとそれを細めた。


「なあお前、魂の故郷を救ってくれやしないか」

「…………」

「ただ少し、行って帰ってくるだけで良い。お前はあそこにいるだけで良いのだ」

「なんで、俺に」

「お前が良いと、私が選んだ」


要領を得ない。明日葉が呆然とする中、猫は前足を伸ばし、明日葉の右手を取った。柔らかな肉球の感覚。手の甲にちくりとした僅かな痛み。見下ろしたそこには、幾何学模様の花に似た図形が記されている。

猫が、ほら、と呟いた。


「お前、お前、やはり血族だ。なあ、救ってやってくれ」

「救うって……俺、別に何もできな……」

「それで良い。真に必要であるのは力ではない。知っているはずだ。同じ轍を踏ませるわけには行かない。お前は知っているはずだ」

「何の話だよ……?」


身に覚えがない。猫の話は靄がかかったように判然としなかった。

けれど、猫は知っていると言う。まるで一人と一匹の間に共通の秘密があるとでも言うように。

脳裏に過る残像。それが形になる前に、猫は空を見上げて息をついた。


「お前が忘れていても、それは鍵をしているだけだ。なあ、お前、あの子を救ってやってくれ。望まれて産まれ望まれず生きるあの子を。私ではもう足り得ないから、お前、どうか救ってやってくれ」


猫がじっと明日葉を見ている。金の目が、吸い込まれそうなほど澄んでいて目眩がするようだった。

否、目眩がしている。気が遠くなる。見上げた空が異様なほどに青い。晴天の空、茹だるような午後。薄れゆく意識の中で、明日葉は最後に猫の声を聞いた。



「私は運命神ミュラ、彼方に置いてきた血族を憂う者。ああ同胞よ。私はきっと報いて見せる。──だから、どうかお前、同胞を救ってやってくれ。最早お前だけが頼りなのだ」


そんな器ではない。

何かを救うなどというだいそれたことは、一般人には決してなし得ない。明日葉はそう信じていた。だが望まずとも賽は投げられ、4月のある日、明日葉は文字通り、ただ行って帰るだけの長い長い旅に出ることになる。


 

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