第4話 道に迷った氷山と夕暮れの帰り道

文化祭の準備は、悠太と雪緒の妙なる連携のもと、目に見えるスピードで進んでいた。


コーヒースタンドのポスターは雪緒が手描きしたものだ。淡い青の背景に銀色の線でコーヒーカップの輪郭を描き、そばにピンクの桜の花びらを散りばめ、右下には少し崩れた字で一行の小字が書かれていた——「桜が丘高校二年A組 限定コーヒー」。悠太は雪緒が作ったリストに従って資材調達を担当し、新鮮な牛乳や上白糖、飾り用のカラフルなシュガースプリンクルやミントの葉まで購入してきた。


昼休みの時間、二人は廃墟と化した活動室の長机に向かい、肩を並べて資材の確認をしていた。


「牛乳の賞味期限は文化祭の後まであるから、大丈夫だね」雪緒は一箱の牛乳を手に取り、パッケージの日付を確認しながらささやくように言った。

「シュガースプリンクルとミントの葉も全部そろったよ。あとチョコレートパウダーも多めに買ってきた、誰かモカが飲みたいかもしれないし」悠太は袋の中からチョコレートパウダーを取り出し、机の上に置いた。


窓から差し込む陽光が、雪緒の垂れる髪の毛に降り注ぎ、淡い金色の光を纏わせていた。彼女がチョコレートパウダーを取ろうとして手を伸ばした瞬間、指先が悠太の手の甲にうっかり触れた。二人は同時に動きを止め、また慌てて手を引き戻した。


「ごめん」雪緒の声が少し低くなり、耳たぶがほんのり紅潮した。

「いや、俺の方だ」悠太は慌てて手を振り、机の上の資材を確認するふりをしたが、胸の中では心臓がどきどきと跳ねていた。


活動室の中にはまだコーヒーの香りが漂っていて、陽光の温かさと混ざり合い、空気の中には言葉にできない曖昧な雰囲気が満ちていた。


「そうだね」雪緒が何かを思い出したように、顔を上げて悠太を見つめながら言った。「文化祭の当日は、スタンドの準備のために一時間早く集合することにしよう。コーヒーメーカーのチェックと材料の準備をするんだ」

「了解。メモしておく」悠太は頷きながらスマホを取り出し、メモ帳に一行を打ち込んだ——「文化祭当日 朝6時半 スタンド集合」。


雪緒は彼がまじめにメモを取る姿を見て、気づかぬうちに口角が緩んでいた。


ここ数日の付き合いで、彼女は少しずつ心の中の防衛線を緩めていた。長谷川悠太は見た目は少し人見知りな印象だけれど、実はとても心配りができる人だと気づいたのだ。彼女がストロベリー大福が好きなことを覚えていてくれたり、窓拭きをするときにティッシュを差し出してくれたり、コーヒーの知識を教えるときに真剣に聞いてくれたり——こうして人に気にかけてもらえる温かさは、とても嬉しかった。


午後の最後の時間は自由活動だった。悠太が校庭の木陰に歩み寄ると、雪緒が数人の女子生徒に囲まれているのを見かけた。


その中には隣のクラスの班花である鈴木紗織がいて、彼女は雪緒に対して少し挑発的な口調で言っていた。「綾瀬さん、長谷川くんと内緒で付き合ってるってホント?それに廃棄された活動室で二人っきりで……」


「私たちはただ文化祭の準備をしているだけよ」雪緒が彼女の話を遮り、冷たい目つきで少し距離を置いた。

「文化祭の準備に、林の中の活動室に隠れる必要があるの?」鈴木紗織は明らかに信じていない様子で、一歩前に出て雪緒に迫ってきた。「長谷川くんにはもう少し距離を置いた方がいいんじゃない?彼はあなたみたいな人と……」


「鈴木さん」突然悠太の声が響いた。彼は早足で雪緒の横に駆け寄り、彼女の前に立って盾になった。「私と綾瀬さんはただのパートナー同士です。他人の関係を勝手に憶測するのはやめてください」


鈴木紗織は悠太が突然現れるのを予期せず、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに冷笑して言った。「長谷川くん、本当にこの氷山のような人が好きなの?彼女は誰とも話をしないでしょ?」


「綾瀬さんはとても優しい人です」悠太は彼女を見つめながら、眼差しを堅くして言った。「あなたよりずっと」


鈴木紗織の顔が一瞬青ざめた。彼女は悠太と雪緒に睨みをかけ、仲間たちを引き連れてふんぞり返って去っていった。


校庭の木陰には、悠太と雪緒の二人だけが残された。


そよ風が吹き抜け、雪緒の前髪の切れ毛をそっとなびかせた。彼女は顔を上げて悠太を見つめ、眼差しの中に感謝の気持ちが滲んでいた。「ありがとう」


「どういたしまして」悠太は笑いながら言った。「あんな人の言うことなんて、気にする必要なんてないんだ」


雪緒は頷きながら、何も言わずに悠太の横顔を見つめていた。胸の中には温かい気持ちが広がっていた。


夕日が西の空に沈み始め、金色の光が校庭に降り注ぎ、二人の影を長く伸ばしていた。


放課後のベルが鳴ると、悠太と雪緒は肩を並べて校舎を出た。


「送っていこうか?」悠太が思わず口にした。


話が出た瞬間、後悔した。これは少し積極的すぎるのではないか?彼女を驚かせてしまったらどうしよう?


雪緒も一瞬動きを止めた。彼女は悠太の頬が少し紅潮しているのを見て、少しためらった後に、そっと頷いた。「ね、お願いしたい」


悠太の胸の中には、ピンク色の桜の花びらが舞い踊っているような気分になった。


二人は並んで放課後の道を歩いていた。言葉を交わさなくても、全く気まずいという感覚はなかった。道端の桜の木からはまだ花びらが舞い落ちていて、ピンク色の花びらが二人の肩にそっと降り積もり、まるで優しい雪のようだった。


「君の家はどこにあるんだ?」悠太が率先して沈黙を破った。

「桜町の桜通りだよ」雪緒はささやくように答えた。


悠太は少し驚いた。彼の家も桜通りの近くだった。「へえ、俺の家もその近くだよ。偶然だな」


雪緒も少し驚いた様子で、口角を少し緩めた。


二人は桜通りに沿ってゆっくりと歩いていた。通りすがりのクラスメイトが二人を見て、驚きや八卦な眼差しで見てくることもあった。以前の悠太なら、そんな視線を気にしてひっそりと離れようとしただろう。だけど今は、雪緒が隣にいるだけで、そんなことなんてどうでもよくなった。


ある分岐点に来たとき、雪緒は突然足を止め、眉間に少し皺を寄せた。


「どうしたの?」悠太が疑問に思って尋ねた。


雪緒の頬がほんのり紅潮し、蚊の鳴くような小さな声で言った。「私……道に迷ってしまったみたい」


悠太は一瞬呆然とした——「え?」


彼は目の前で東西南北も分からない氷山の美少女を見つめ、自分の耳を疑ったような表情を浮かべた。


「桜通りに家があるんでしょ?」悠太が思わず尋ねた。

「うん、桜通りの終わりにあるんだけど……」雪緒は頭をさらに下げて、少し恥ずかしそうに言った。「この分岐点の方向が分からなくて……」


悠太はこの時、やっと気づいたのだ。この何でも知っているように見える氷山の女神様が、実は方向音痴だったという事実に。


彼は笑いをこらえながら、左側の道を指して言った。「こっちの道を行けば、桜通りにつながるよ。右側は公園に向かう道だよ」


雪緒は顔を上げて左側の道を見た後、また悠太を見つめ、少し恥ずかしそうな様子で言った。「ありがとう。いつもここで迷っちゃうんだ」


「大丈夫だよ」悠太は笑いながら言った。「家の前まで送ってあげるよ」


雪緒は頷きながら、悠太の後ろについて歩き始めた。


夕日の光が二人の背中を照らし、影を長く伸ばしていた。雪緒は悠太の背中を見つめて、胸の中に安心感が湧き上がっていた。


彼女は小さい頃から方向音痴だった。両親がいつも仕事で家を空けているので、誰も道を教えてくれる人がいなかった。だから彼女はできるだけ家にいて、外に出ることを避けていたのだ。今日は悠太が送ってくれなかったら、多分この分岐点でずっと迷っていただろう。


「以前もよく道に迷っていたの?」悠太が突然振り返って、笑いながら尋ねた。


雪緒の頬がさらに紅潮し、小さく頷いた。「うん。小学校の時、遠足で迷子になったこともあるんだ」


「へえ、そんなことがあったの?」悠太は驚いた様子で言った。「意外だな、君が迷子になるなんて」


雪緒は少し不服そうに口を噘らした。「方向音痴なんて、選択肢じゃないんだから」


悠太は彼女の可愛らしい様子を見て、心底から笑った。こんな一面を見せる雪緒は、教室で冷たい表情をしている彼女とは全然違って、とても可愛かった。


「じゃあ、これから放課後は毎回送ってあげるよ」悠太が思わず口にした。


話が出た瞬間、彼は自分の頬があつくなっているのを感じた。これは少しストレートすぎるのではないか?


雪緒は足を止めて、顔を上げて悠太を見つめた。夕日の光が彼女の瞳の中に映り込み、まるで細かい星屑が散らばっているようだった。


「ね、お願いする」彼女はささやくように言った。


悠太の心臓が一瞬飛び跳ねるような感覚に陥った。


彼は雪緒の紅潮した頬と、口角に浮かぶ微かな笑顔を見つめ、胸の中には花火が打ち上がるような、華やかで温かい気持ちが広がっていた。


二人は桜通りの終わりまで歩いていくと、白い壁の小さな一軒家が目の前に現れた。


「これが私の家だよ」雪緒は足を止めて、悠太を見つめながら言った。

「うん。じゃあ、ここまでだね」悠太は頷いた。


雪緒は玄関の前に立って、悠太を見つめながら少しためらった後、突然ポケットから小さな箱を取り出して彼の前に差し出した。「これ、あげる」


悠太は箱を受け取って開けてみると、中には銀色のコーヒーカップの形をしたペンダントが入っていた。ペンダントの裏側には一行の小字が刻まれていた——「桜が丘コーヒー 限定」。


「これは……」悠太はペンダントを見つめて、驚いた様子で言った。

「自分で作ったんだ」雪緒の声が少し低くなり、耳たぶが紅潮していた。「ここ数日、お世話になったお礼に」


悠太はペンダントを気をつけて手に取ると、指先に冷たい金属の触感が伝わってきた。彼はペンダントに刻まれた精巧な模様を見つめながら、胸の中が温かくなっていた。


「ありがとう。とても気に入ったよ」悠太は顔を上げて雪緒を見つめ、眼差しの中に笑顔が満ちていた。


雪緒の口角が緩んで、手を振って言った。「じゃあ、入るね。明日、学校で会おう」

「うん、明日ね」悠太も手を振った。


雪緒が家の中に入って玄関の扉を閉めるのを見送った後、悠太はようやく足を運び始めた。


彼はペンダントを手のひらに握りしめて、夕日の光の中を歩いていた。口角に浮かぶ笑顔が、どうしても消えなかった。


誰が思っただろう、氷山のような彼女が方向音痴で、照れ屋で、自分で手作りのプレゼントをくれるなんて。

誰が思っただろう、意図的に保とうとしていた距離が、知らない間に温かい時間に埋められてしまっていたなんて。


悠太は家に帰る道を歩きながら、胸の中に思いが浮かんだ——自分が掲げていた「低欲望学園生活」は、綾瀬雪緒に出会ったその瞬間から、もう終わっていたのかもしれない。


翌日の朝、悠太が教室に入ると、雪緒が自分の席に座っていて、手に弁当箱を持っているのを見かけた。


悠太が教室に入ってくるのを見て、雪緒は顔を上げて弁当箱を彼の前に差し出した。「これ、今日のお弁当。あげる」


悠太は弁当箱を受け取って開けてみると、中には精巧なオムライスが入っていて、卵の表面には小さなコーヒーカップの絵が描かれていた。


「これは……」悠太はオムライスを見つめて、驚いた様子で言った。

「今朝早く起きて作ったんだ」雪緒の耳たぶが紅潮していた。「昨日、家まで送ってくれたお礼に」


悠太はスプーンを手に取って一口食べてみると、卵の柔らかい食感とトマトソースの甘酸っぱい味が口の中に広がっていた。甘すぎず、酸っぱすぎず、ちょうど良い味だった。


「おいしい!」悠太は心から感嘆して言った。


雪緒の口角には優しい笑顔が浮かんでいた。


窓の外には桜の花びらが依然として舞い落ちていた。

教室の中には陽光が温かく満ちていた。


悠太は隣に座る雪緒を見つめながら、胸の中には今までにない幸福感が広がっていた。


彼は知っていた。この春、この桜の花びらが舞い落ちる季節に、何かが確実に変わり始めていることを。

そして彼と綾瀬雪緒の物語は、まだ始まったばかりだということを。

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