第8話:文字を食べる怪物

第8話:文字を食べる怪物

魔法庁の巨大な書庫(アーカイブ)。 そこは、何千万という魔導書とデジタルデータが眠る「世界の頭脳」だ。


しかし今、その聖域は、聞いたこともないような「咀嚼音(そしゃくおん)」に支配されていた。


――ボリッ、バリバリッ……。


「……何よ、あれ。魔法が、吸い込まれていく……」


ミコトの声が震えていた。 彼女の目の前には、巨大な「白い虚無」が鎮座していた。 顔も手足もなく、ただ巨大な口だけがある怪生物――『文字喰い(グラトニー)』。


その怪物が一息吸い込むたびに、周囲の棚にある魔導書から文字が剥がれ落ち、光の粒となって吸い込まれていく。 文字を失った本は、ただの真っ白な紙屑となって地面に降り積もった。


「あいつ、紙を食べてるんじゃない。そこに込められた『定義』を食べてるんだ」


ハルトは鼻を突く、インクの焦げたような苦い匂いに眉をひそめた。


「救援の要請を……っ、ああっ!?」


ミコトがスマホを操作しようとした瞬間、画面に表示されていた文字がシュルシュルと吸い出され、怪物の口へと消えた。 画面は死んだように真っ暗になり、ミコトは力なく膝をついた。


「嘘……私の、今まで積み上げてきたデータが……。ハルト、逃げて! 魔法を使えば使うほど、あいつを太らせるだけよ!」


書庫に駆けつけたエリート魔法使いたちが、必死に呪文を放つ。 「『爆裂の劫火(フレア)』……!」 「『氷河の牢獄(コキュートス)』……!」


しかし、放たれた火球も氷の矢も、怪物の体に触れる直前で「文字の羅列」へと解体され、そのまま胃袋へと消えていく。


「美味イ……、美味イ……」


怪物の体から、直接「声」が響く。 それは、何千人もの魔導士の知識を飲み込んだ、歪な合成音声だった。


「知識ハ、力。定義ハ、糧。……言葉を持たぬ者に、我ハ倒せぬ」


怪物がゆっくりとハルトを見据えた。 その周囲には、文字を奪われて思考停止に陥った魔法使いたちが、抜け殻のように転がっている。


「ハルト、ダメよ! 魔法を練っちゃダメ! あなたの強力なイメージも、あいつの餌食になるわ!」


ミコトが叫ぶ。 ハルトは、一歩前に出た。 彼の目には、怪物の姿がみんなとは違って見えていた。


「ミコト。あいつ、腹を壊してるぞ」


「え……?」


「あんなに大量の理屈を飲み込んで、消化不良を起こしてる。 あいつの体の中、ドロドロに濁ったグレーの色をしてるんだ。 ……あんなの、ちっとも美味そうじゃない」


ハルトは、地面に落ちていた「文字のない白紙のページ」を一枚、拾い上げた。 そして、それを丸めて口に咥える。


「言葉を持つから、食べられるんだ。 定義があるから、壊されるんだ」


ハルトは、ミコトから教わった「図解」を脳内に思い浮かべた。 けれど、それを魔法の形に整えるのはやめた。


彼はただ、自分の中にある**「原始的な衝動」**を解き放った。 喉を鳴らす猛獣のような。 獲物を見つけた鷹のような。 名前をつける前の、剥き出しの感情。


「……うおおおおおおっ!」


ハルトは突進した。 魔法を放つのではない。自分自身が「魔法そのもの」になって。


怪物は笑うように口を開いた。 ハルトの周りに漂う魔力を食べようと、見えない吸引力を強める。


しかし。


「……ヌ? ……解析不能……。定義、ガ、存在シナイ……?」


怪物の声が動揺に揺れた。 ハルトが繰り出す攻撃は、炎でも、氷でも、重力でもなかった。 それは、ただの**「質量と速度の塊」**。 そして、その奥にあるのは、言語化できない「熱い叫び」だ。


「これに名前をつけてみろよ! この、ムカムカするような、胸が熱くなるような……。 ミコトを守りたいっていう、この『感覚』を食べてみろ!」


ハルトの拳が、怪物の真っ白な体にめり込んだ。 その瞬間、ハルトの目には、怪物の体内に詰まった「奪われた文字たち」が、迷路のように複雑に絡み合っているのが見えた。


ハルトは、その迷路の「隙間」に、自分の指を突っ込んだ。


「ここだ……! 文字と文字の、継ぎ目!」


ハルトは、ミコトと練習した「図解」の感覚で、怪物の体内のエネルギーを強引に書き換えた。 定義を奪うのではない。 バラバラに飲み込まれた文字たちを、ハルトの直感という「力」で一気に繋ぎ合わせたのだ。


「――っ、ハルト、今よ! 私の知識を、全部持っていきなさい!」


ミコトが、ハルトの背中に手を添えた。 彼女の目から涙がこぼれ、それがハルトの肩で光る。 文字はなくても、彼女の「想い」が、ハルトの脳内に鮮やかな**「純白の光」**として流れ込んできた。


ハルトはその光を、一本の槍に変えた。 それは、既存のどんな魔法体系にも属さない、 **「名もなき、ただの輝き」**だった。


「喰らえ……! これが、俺たちの『白紙』の力だ!」


ドガァァァァァァン!


怪物の体内から、飲み込まれた数万の文字が、光の洪水となって溢れ出した。 文字を食べる怪物は、あまりに純粋で、あまりに膨大な「意味を持たない光」に耐えきれず、 硝子が砕けるような悲鳴を上げて四散した。


書庫に、静寂が戻る。 宙を舞っていた白い紙屑が、雪のように二人の肩に降り積もった。


「……あ、スマホが直ってる」


ミコトが、画面に映る「おかえりなさい」の文字を見て、ふにゃりとへたり込んだ。


「ハルト。あんた、本当にとんでもないわ。 あいつ、あんたの魔法を『理解』できなくて自爆したのよ。 ……定義できないものは、食べられないんだわ」


「ははっ、俺がバカで助かったな」


ハルトは、汗を拭いながら、真っ白になった書庫を見渡した。 本棚は空っぽで、文字もまだ完全には戻っていない。 けれど、ハルトには、その真っ白な世界が、 これからいくらでも自由に「物語」を描ける、新しいキャンバスに見えていた。


「ミコト。また、最初から描こうぜ。 今度は、あんな化け物も喉に詰まらせるような、 最高に美味しくて、最高にわけがわからない物語をさ」


「ええ……。もちろんよ、私の最高の小説家さん」


ミコトは、白紙のページを一枚拾い上げ、 そこに、ハルトにしかわからない「笑顔のマーク」を、 指先の魔力でそっと描いた。


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