①人と競い合いたくなんてない-負け戦-

妹が産まれて1年が経った頃。

僕は年長から始めていた空手の大会に初めて出場することになる。


幼稚園の時に仲良くしていた子が習っていたのと、

父親の「男は強くあれ」という教育方針も混ざり合い、

特に行きたくはなかったのだが、通うことになる。

正直友達と一緒にいるのが楽しかっただけで、

空手には全く興味がなかった。

防具をつけてはいるけれど、

人に攻撃したり、攻撃されるのが凄く嫌だったので、

組手練習が大の苦手だった。

しかし、組手本番の日が来てしまう。

その頃は理解できていなかったのだが、トーナメント形式だった。

第一回戦。出番が回ってきた。

相手は女の子だった。

父親は出番前の僕に、「相手は女子だから絶対負けるんじゃねえぞ」と言い残し、

舞台に立たされる。

審判の合図で一斉に始まる。

保護者の歓声が僕を包み込み、真剣勝負の空間に僕は怖気付いてしまう。

となりの舞台では友達が他教室の男の子と睨み合い、臨戦体制だった。

そのまた隣ではあまり話したことのない同じ教室の男の子が、

俊敏な動きで相手を圧倒している。

周囲の情報量が僕を何もない白い部屋の中に落としていく。

目の前にいる相手の顔もわからないまま、気づけば僕は広い会場の天井を仰いでいた。


その日の帰りの車内は死んだほうがマシだと思うくらい、

自分のことを責めた。

家に着くまで車内で父親の説教も続いた。

僕は不甲斐なくて情けない人間なんだと自覚した。



「なんでもいい。何かやりたいことはないのか?」

父親が口癖のように僕に言っていた言葉だ。

やりたいことをやらせてもらえない家庭もあるのだから、

きっと僕は幸せものだ。

まだ世界のことを何も知らない小学3年生の頃の僕は、

父親に気に入られるために、「サッカーをやりたい」と言ってみた。


父親は元々サッカー少年だった。

中学生から高校生の頃までサッカーを続けていたらしく、

運動神経も人並み以上だったようだ。

しかし、親の借金が原因で大学に進学することができず、

好きだったサッカーを辞め、今はウイニングイレブンとサッカー観戦を楽しんでいる。


だから僕がサッカーに対して興味を持った時には本当に喜んでいたし、

練習で一緒に公園に行ったりもした。

そして、地元のサッカー少年団に入れてくれることになった。



ボールが僕に回ってくる。がむしゃらに走っても追いつかず、

空振りでストンと転んでしまう。

そんなことを何度も続けた。

おかしいな、僕は父とサッカーの練習をしているのに。


クスクスと笑い声が聞こえてくる。

同じく少年団に入ることになったりん君と上級生たちだ。


僕はニコニコしながら駆け寄ってみると、

みんな練習に戻っていく。

そんなことを何度も何度も繰り返した。


気づけば僕は幽霊団員になっていた。



両親にはサッカーに行きたくない理由をはぐらかして、心配されない程度に不定期で練習に通っていた。

試合に行ってもベンチメンバーだったため、ウォーミングアップだけして帰る週末。

親にこれ以上情けない息子だと思われたくなくて、試合は絶対に見に来ないでほしい、と伝えていた。

しかし、小学6年生の頃、ついに限界が来てしまい全く練習に行かない時が続く。

「お金がもったいないから、少年団の練習にもっと行きなさい」

「自分でやりたいって言ったことだから最後までやりなさい」

そう言っていた母親も僕の様子がおかしいことに気づく。

そんな時だった。

僕がりん君の理科の教科書を間違えて持ち帰ってしまっていたのは。



試合に向かう車内のこと。

遠征に行く時は少年団に所属する親が車を出すという風習があった。

その日は3台で向かうことになっており、そのうち1台はりん君の母親の車だった。

「こっち乗りな!あと1人空いてるよ」

小さい頃からよくしてくれている、りん君の母親からだった。

レギュラーメンバーのりん君に比べて、僕は堂々のベンチメンバー。

周囲とも馴染めないままだったので、小さい頃から知っている、りん君の母親は僕にとっての救いだった。

同い年のキャプテン・副キャプテンと車内へ乗り込み、僕は2列目のシートに腰掛ける。

今日の試合の相手について、というテーマで盛り上がる車内。

僕はぼんやりと車窓に映る木々たちをみることしかやることがなかった。


「あのさ、りんの理科の教科書、盗んだでしょ?」


凍りつきそうなほど冷たい声色だった。

会話の矢印が突然僕に向かう。

声の主はりん君の母親だった。

「りんさ、それでテスト勉強できなくて、成績落ちたんだけど。どうしてくれるの?」

頭が真っ白になる。とにかく今はありのままを伝えるしかない。

「盗んだとかじゃなくて、たまたまカバンに入ってただけで・・・」

「言い訳しないで。何か言うことあるんじゃない?」

車内の空気が一変する。絞り出した言葉は、

「ごめんなさい」

たった一言。バックミラーに映るりん君の母親の目はまだ敵を睨んでいた。

「ごめんなさいじゃない。謝るの私じゃないでしょ。」

嘲笑まじりの言葉が僕の心をさらに抉る。

「ごめんなさい。」

「だから、ごめんなさいじゃないって。後でりんに謝って。」

「わかりました。」


静まり返った車内だったが、咄嗟にキャプテンが別の話題を出して、

なんとか目的地にまで辿り着いた。


車を降りた後、りん君に頭を下げた。

決して情けない男にならないように、涙は堪えた。

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