バンライフ
あさのや
PROLOGUE
3月20日 午前7時40分
軽井沢駅。
「......ゔ、意外と寒いかも」
吐き出した息が、空気に白く溶けていく。
スマホの画面には、気温3℃の文字。
春のはずなのに、空気はまだ冬の名残を引きずっていた。
この町では、朝が一番冷える
――そんなことをニュースで見た記憶がある。
けれど今、その冷たさがやけに現実味を帯びて胸にしみた。
無地のスウェットパーカーに、ロングレーススカート。
髪は肩にかかる長さの、
ゆるく癖のある天然グレーのミディアム。
無造作にまとめた髪先が、風が吹くたびにふわり、ふわりと揺れていた。
どこにでもいるような、けれど少しだけあどけなさを残した女の子。
そんな少女が、静まり返った軽井沢駅の階段に腰掛けていた。
「うわ.....誰もいないじゃん」
小さくつぶやいて、ため息を一つ。
始発の新幹線でここまで来たのは、朝の7時半。
春休みとはいえ平日、早朝の軽井沢、観光客の姿などあるはずもない。
聞こえるのは、風と、遠くの線路を渡る冷たい金属音だけ。
そのとき――
「おーい、久しぶり。お、ちょっとだけおっきくなった?」
不意に聞こえた声に、少女の肩がびくりと跳ねた。
見上げると、そこに立っていたのは――
「あれ、もしかして、琴子姉?」
「よ、ごめんね。待ち合わせ、ちょっと早すぎたかな?」
繊細なレース、深くかぶったキャップ、足元まで届くロングスカート。
抑えた色合いでまとめたその人は、どこかオトナの気配をまとっていた。
「これ東京のお土産です。母から、お世話になるからって」
「おー、東京ばな奈。初めて見たかも」
なんだか、落ち着かない。
記憶の中の“琴子姉”は、もっと儚く、笑顔が眩しかった気がする。
目の前の彼女は同じはずなのに、ひどく大人びて、どこか別人のように見える。
「ありがとう。これから居候だけど、よろしくね」
笑いながら言う琴子に、少女は一瞬返事をためらう。
まるでその軽さの裏に、何か隠しているようで。
けれど結局、うなずくしかなかった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
春から16歳になる少女は、
今日からこの町で、琴子の家に居候することになっていた。
理由を説明するのは、少しだけ勇気がいる。
けれど今はまだ、言葉にするより、
この冷たい空気で息を整えるほうが楽だ。
「それにしても、大きくなったね。五年ぶりくらい?」
「あー、多分、そのくらい....かな?」
「そんなに畏まらなくていいのに。もしかして、緊張してる?」
「いやいや、そういうのじゃなくて
....前会ったときと雰囲気が全然違っていて、ちょっと驚いただけです」
「..惚れた?」
少女は思わず目をそらした。
その余裕のある笑みが、ずるいと思った。
けれど口から出たのは、いつもと同じ苦笑い。
「...昔から、そういうとこは変わってないんですね」
「ふふっ お褒めに預かり光栄です」
琴子姉が笑うと、朝の冷気の中に、
ほんの一瞬だけ春の匂いが混じった気がした。
少女がふと視線を向けると、
ロータリーの向こうに、ひときわ目立つ外車が停まっていた。
濡れたアスファルトに、カラフルな車体が反射している。
「もしかして、あれで、来たんですか?」
琴子姉は肩をすくめ、軽くうなずいた。
「他にそんな、派手なの乗る人、いる?」
そこにあったのは、“ワーゲンバス”
1950年に、ドイツのフォルクスワーゲンから発売され、その後ヨーロッパや日本を中心に一世を風靡した。
「.....何だか、凄いですね。アレ」
思わず漏れた呟きは、半ば感嘆、半ば困惑だった。
窓という窓、ボンネットから外装に至るまで、所狭しと貼られた無数のステッカー。
ロゴ、イラスト、見覚えのない文字列――
そのどれもが主張し合い、結果として、もはや元の車種すら判別できなくなりつつある。
「かっこいいでしょ」
「格好良くは、ないです」
少女はどう返すべきか一瞬分からなくなった。
「惚れたんだ?」
「...あ、いえ」
「とりあえず、荷物すごく重そうだから、乗り込もうか」
そう言って琴子姉は、何でもないことのように微笑む。
何気ない仕草が、どこか哀愁を漂わせる。
「改めて。今日から、よろしくね」
少女は半ば緊張したような仕草で、軽く会釈を返す。
明け方の軽井沢駅。
人影もまばらなロータリーには、澄み切った冷たい空気が満ちている。
吐く息がかすかに白む中、二人の少女はバンのドアを開け、乗り込んだ。
バンライフ あさのや @tthm0214
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