全力投球! 努力のオムライス

kou

全力投球! 努力のオムライス

 夕暮れ時、街外れの小高い丘の上に鎮座する神社は、お世辞にも繁盛しているとは言い難かった。

 鳥居の朱色は剥げ落ち、境内には枯れ葉が踊っている。

 その静寂を、猛烈な足音が切り裂いた。

「きたわよ神様ッ!」

 現れたのは、高校生の浅井あさい陽子ようこ

 おさげ髪を振り乱し、膝を土で汚した彼女の手には、丸々と太った陶器製のブタの貯金箱が握られていた。

 陽子は拝殿の前に立つと、賽銭箱の淵にそのブタを「ゴンッ!」と叩きつけた。深呼吸をし、賽銭箱に向かって、もはや威嚇に近い勢いで二礼二拍手。天に届かんばかりの大声で叫んだ。

「神様、単刀直入に言うわ! 明日の調理実習、メニューはオムライス! クラスには、私が片思いし続けている佐京さきょう慎一しんいちくんがいるの!」

 陽子の脳裏には、固く芯の通った慎一の笑顔が浮かぶ。彼は以前、クラスでの雑談で好物を「ふわとろのオムライス」と答えていた。

「神様、私は『成功させて』なんて甘ったれたお願いはしないわ。そんなの、自分の腕を信じてない証拠よ。この一週間、私は卵を50個潰し、ケチャップでテーブルを赤く染め、フライパンの返しすぎで手首が腱鞘炎寸前になるまで特訓したわ!」

 陽子はブタの貯金箱の中身を賽銭箱に流し込む。

「これは私が貯金していた5402円。これを捧げる代わりに、神様に頼みたいのはただ一つ。――私が、もし、もしもよ? 本番の緊張で弱気になって、火加減を間違えたり、卵を焦がしそうになったり調子に乗りそうになったら……」

 陽子は拳を握りしめ、言い放った。

「私に直接、全力のビンタをかまして正気に戻してちょうだい! 『何やってんだこのバカ!』って怒鳴りつけて欲しいの! 絶対に、絶対に失敗したくない。私の努力を、その一皿に結実させる。そのための『強制監視役』を神様に任命します!」

 風が吹き抜け、神社の鈴が、心なしか困惑したように鳴った。

 陽子は、神社の神様が戸惑っているのを肌で感じた気がしたが、知ったことではない。彼女はもう一度深く頭を下げ、嵐のように去っていった。



 翌日。

 家庭科室は、戦場だった。

 陽子の玉ねぎを刻む音が響き、バターの芳醇な香りが充満する。

 慎一が、「手際いいね」と爽やかに笑いかけてきた。

 陽子の心臓が、ドラムセットを叩き壊すような勢いで暴れ出す。視界が白くなり、握った木べらが震える。

「あ、ありがとう、佐京くん。私、実は料理得意なんだ……えへへ……」

(ダメだ、ニヤけてる! 私、今最高にキモい顔してる!)

 その時だった。

 陽子の頬に、凄まじい衝撃が走った。


 ――なにニヤけてんの。シャキッとしなさい!


 実際には音などしていない。

 だが、陽子の意識の中で、神様が気合と共に彼女の頬を往復ビンタしたような感覚があった。

(はっ!?)

 陽子の目が、獲物を狙う鷹のように鋭くなる。

「いけない、玉ねぎが焦げ始めてる。火を弱めて、次の工程にかからないと……」

 陽子は迷わなかった。フライパンにバターを落とし、十分に熱する。溶き卵を一気に流し込む。

 シュワッという景気のいい音。

 彼女は流れるような動作で菜箸を動かし、卵を半熟のベールへと変えていく。

(火を通し過ぎたら、ふわとろじゃない。私は、昨日の自分を超えていく!)

 最後の一回し。

 フライパンの端に卵を寄せ、トントンと持ち手を叩く。

 それはまるで、自分の魂を包み込むような、神聖な儀式。

 くるり、と卵が宙を舞い、赤いケチャップライスの上に、完璧な三日月を描いて着地した。

「……できた」

 目の前には、絵画のように美しい、柔らかな黄金のオムライス。

 慎一が感嘆の声を漏らす。

「すげえ……プロじゃん、これ」

 陽子は、震える手でスプーンを彼に手渡した。

「佐京くん。食べてみて」

 彼が一口食べ、目を丸くし、

「……うまっ! 人生で食べた中で一番うまいかも」

 と言った瞬間。

 陽子の全身から力が抜け、危うくその場にへたり込みそうになった。


 ◆


 陽子は神社の前にいた。

 柔らかな光を浴びながら、彼女は静かに手を合わせた。

「神様。ありがとうございました。あの時、ビンタが飛んできたのは最初の一回だけだったけど……おかげで、自分を信じることができました」

 陽子は気づいていた。

 自分が求めた監視役という役割。

 それは、神様に結果を丸投げして「成功させてください」と祈ることより、ずっと重く、尊いものだったのだと。

 祈りとは、奇跡を待つための呪文ではない。

 自分が積み上げてきた努力を、最後の最後で裏切らないための、覚悟を誰かに預ける行為なのだ。

 自分一人では、不安に負けてしまう。

 だからこそ、誰かに見ていて欲しい。

 誰かに、自分を律して欲しい。

 そう願うことで、人は自分自身を信じ切る勇気を得るのだと。

「ねえ、お腹すいた」

 陽子はスカートの裾を掴む、小さな男の子を見た。

「帰ってご飯にしましょ。光希は何が食べたいの?」

「お母さんのオムライス!」

 あの日の努力は、家族の笑顔へと結実した。

 佐京陽子は神様に感謝しながら、誇らしげに息子の手を引くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

全力投球! 努力のオムライス kou @ms06fz0080

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画