ますこみのおもいで「やま」

ナカメグミ

ますこみのおもいで「やま」

 生きて帰れるのか。無事に戻れるのか。不安が絶えず、頭の中をよぎる。

深い山。どこを見ても山、山、山。見上げても山。見回しても山。

 

 ある山の上に、わずかに見える白。羅臼岳。この日が初冠雪だった。

分け入つても分け入つても青い山。酒好きの俳人の句を、頭の中で繰り返しながら、山道を進む。周りは青くはないが。


 履き慣らしてきたはずの登山靴。右足首に、靴擦れの嫌な予感がする。

体力、脚力だけでは、決して乗り切れない場所にいる不安。怖い。


****


 1990年代後半。観光地に団体バスで行くツアー旅行に飽きた人々は、

日常とはちがう体験を求めて「体験型旅行」にシフトし始めた。中でも人気を集めたのが、非日常の自然の中に身を置く「エコツーリズム」。その取材を担当した。


 札幌から夜、夜行バスに乗る。夜行バスの中で寝る。朝、、網走に着く。そこでエコツアーを行う団体のワゴン車に乗る。自然を体験して、記事を書く。


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 初日。参加者5人。女性のエコツアーガイドとともに、自然センター周辺の山に入る。太いトドマツの幹に、斜めに走る複数のキズ。ガイドが言う。「ヒグマのひっかきキズです」。またしばらく、山の中を歩く。


 身長158センチの体がすっぽりと隠れる、一面の草の中を進む。

平地に出た。再びガイドが立ち止まった。わずかに膨らんだ、小山のようなものが見える。ガイドが言う。「ヒグマが冬眠したあとです」。さらりと出る言葉。ヒグマ。


 ここは我々人間が、この少ない人数で足を踏み入れてよい場所なのか。恐れ。


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 翌日早朝。ツアーの山場。山に昇る。湖を巡る。10月の初旬。カメラマンは同行していない。写真も記事も、自分だけが頼り。

 入る。登る。帰ってくる。記事は帰れば、書ける。でも写真は、「撮り直してきます」では許されない山の中。とにかく写真をすべて、押さえる。


 首から下げたNikon「F70」。フィルムケースとリュックに入れた、フジカラーフィルム。数は限られている。無駄なシャッターは切れない。でも肝心の写真は押さえたい。予測できない、登山道中のシナリオ。

 登山を、自然を楽しむなどという感覚とは、ほど遠い。


 山の中を湖をめぐるコース。1つに到達するたびに、心底ほっとする。風景のみの写真はNGだ。新聞写真は、とにかく人を入れる。深い山、そして参加者の道中の様子。両立する写真を撮れ。

 ある展望台にたどり着いた。そこから、断崖に営巣する多数の海鳥が見えた。

たくましい命の営み。澄んだ空気。もうすぐ到着だ。

 ようやく自然を楽しめた。記念となる瞬間だった。


****


 バスで帰社した後、記事を書く。連載記事は、担当デスクが決まっている。今回は男性。記事を出した。デスクが読む間、自席で指示を待つ。呼ばれた。機嫌の悪い声だ。


「なんだよ。これ。なんのために現地、入ったんだよ。これじゃ行かなくても、書けるよ。もっと現地に入ったっていう臨場感、出さないと」。


 この懸念は、自分でもあった。なぜ今、エコツアーが流行っているのか。その説明とデータが多すぎる。体験部分とのバランスが悪い。納得できる指摘だ。


「書き直します」。


 説明部分を減らす。ツアーの体験を、その光景を、思い出して付け足す。担当デスクのOKが出た。原稿は、見出しやレイアウトを担う整理担当部門へと渡った。


「なんだよ!。これ!」。


 整理担当部門でも、厳しくて有名な男性デスクが、担当デスクのもとに原稿を持って来た。歩き方と声に、いら立ちが滲む。


「これ、新聞記事じゃないよ!」


整理デスクの方が、担当デスクよりもはるかにベテラン。担当デスクは何も言わない。自席から、足早に2人のもとに行く。


「なに。これ書いたの、君?。これじゃ感想文だよ。もっと客観性、持たせないと。記事じゃないよ」


担当デスクを見る。うつむいて何も言わない。目を合わせない。私を睨む整理デスク。


「担当デスク。あなたより、この整理デスクの方が、はるかに立場が上なのは、十分、理解しています。でも、あなたが直接の担当デスクで、あなたの指示で書き直して、ゴーサインをいただきました。形だけでもいいです。一言何か、言ってもらえませんか」。


飲み込む言葉。目を伏せたままの担当デスク。


「写真はあれでいいから。今日中にこれ、組みたいから。早く書き直して出して」。


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 連載記事は、当日起こるニュースを、次々に紙面に組み込んでいく日々の紙面とは、異なる。掲載日の前に、写真と記事、見出しをつけたその部分だけを、先に作っておく。今日組む以上、今日出さなければいけない。自席に戻って書き直す。


 整理デスクに提出した。整理担当者が読んで見出しをつける。担当デスクとともに確認する。整理デスクのゴーサインが出た。


担当デスクが、私の傍らで言った。

「ま、何事も勉強だな」

はい。大変、勉強になりました。あなたが信用できない、ということは。


社を出る。日付けが変わっていた。


****


 仕事を終えたある晩。所属する部の男性デスク2人に、飲みに誘われた。

老舗ホテルの、創業年度が店名につくバー。政財界のスーツの方々が、よく集う。

呼び出したのは、あのときの担当デスクと、仲のよいもう1人の男性デスクだ。

 

 デスクは、今こそ記者の原稿をチェックする側だ。でも元々は、記事を書きたくて、記者職として入社した人々だ。デスクになると、記事を直接書く機会が減る。だから自分が書きたいテーマを、間接的に現場の記者に書かせる。

 もう1人のデスクは、そのタイプのデスクだった。


 一緒に呼び出された女性記者。スタイル抜群の美人で、頭脳明晰な先輩だ。

 私。2日前に夜勤明けで、寝不足が解消されず、頭がぼうっとする。その上、生理痛が1番重い日。貧血気味だ。強めの鎮痛剤を飲む。嫌な予感。もしもに備える。


****


 仕事を終えて、先輩記者と2人で向かったバー。男性デスク2人は、既にかなり酔っていた。女性の先輩は如才ない。酔ったデスクをうまくいなす。私は不器用で不器量。ターゲットは私になった。担当ではない方のデスク。


「〇〇さー。もうちょっと、面白い記事、書けないの?。視野が狭いっていうか、目のつけどころが、平凡なんだよなー」。


 焦点の合っていないデスクの目。言い返したい。


「だって、あなたが思うような面白い記事って、自分の囲い込みの記者に書かせているから、いいじゃないですか。私、今、連載班で、あなたに直接、原稿出すこと、ないと思うんですけど」


 言い返したい。けど言い返せない。何も言わない担当デスクと女性の先輩。

今日の仕事、終わったのに。なんで私、今、ここにいるんだろう。思いがけず、涙が込み上げてきた。


「失礼します」。女性用トイレに向かった。けばけばしい色の絨毯の上を歩く。


 女性用トイレ。個室で泣く。人が入ってきた。ハンカチで嗚咽を抑える。

泣く。泣く。泣く?。ただ泣いて終わって、たまるかよ。


 「仕事だから。仕事ってそういうもんだから。金、もらってっから」。

 それですべて、黙ると思うなよ。全員が黙ると思うなよ。

 理不尽。不条理。見てきたって。母子家庭、見下すヤツ、見てきたって。

 金の貧乏。してきたって。ちっちゃいころから、してきたって。

 強いものが弱いものを攻撃する。知ってるって。

 黙ってみてるヤツ。当然いるって。知ってるって。

 

ただ、私は黙らない。黙って泣き終えて、あの席に戻るのは、性に合わない。

ただ、そういう人間に生まれてしまった。自分が1番、よく知っている。


****


 バーの席に戻って座る。3人。酒のグラス持って、ガラスに入ったナッツ食いながら、話が盛り上がっている。私など、見ない。


 なら、なぜ呼ぶ?。3人で盛り上がれるなら、なぜ呼んだ?。「いじる」ためか?

椅子の傍らに置いた黒いトートバッグ。上半身をかがませる。開ける。取り出す。

 

 ツノ。エゾシカのオスから春に抜け落ちる。そのツノは、夏から秋にかけて成長して、冬に硬さを増す。これでオスは、繁殖期にメスを巡って争う。争う。


****


 あの登山の日。おそらく、もう登ることはない山の記念品として、持ち帰った。直径2・8センチ、長さおよそ30センチ。硬くて重い。帰りのバスに、荷物チェックはなかった。仕事を終えた私だけの記念品。職場の自席の片隅に、そっと置いておいた。


 それを握る。振り下ろす。3人の頭に。順番に。割れるグラス。飛び散るナッツ。

 

 傷害罪。15年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金。エゾシカのツノで殴ってるわけだから、当然ケガあり。よって暴行罪ではなく、傷害罪。

 量刑の検討へ。初犯。凶器としてエゾシカのツノを現場に持参。よって計画性あり。示談。貯金はあるから誠意を見せよう。反省の度合い。嘘泣きでもするか。


 「暴力 絶対ダメ」。知ってます。

でも「いじめ」も、過度な「いじり」もダメですよね?。

納得できないことには反撃する。私は人間という種の亜種です。

(了)

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