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みなかみもと

お天気の話でもしようじゃないか。

 窓についた水滴を取るように、坂本がガラスを手で拭いた。

 ただ、水滴自体は殆ど残ったままで、結局僅かにみえるようになった隙間から、彼は外を眺める。

「あ、空、曇ってますねぇ。これ、明日は雨ですよ」

「まーじーかっ。道理で頭痛いと思ったんだよなぁ」

 ストーブの火に手をかざしつつ、俺は悲痛な声をあげた。


 今の時代には珍しくなってきた石油ストーブの上では、ホーローの薬缶がシュンシュンと音を立てている。暗い室内に赤い炎がチラチラ輝き、凍えた体だけでなく心まで温めてくれている気分だ、が、頭は鈍く痛むばかりだ。


 ふと、坂本が振り返って首を傾げた。

「いや、安藤さん。雨で頭痛くなるんですか?」

「なんだよ、頭痛くなるよぅ? こう、両方から万力でグググッと押される感じに」

 言って、俺は己の頭を両手で押して見せる。坂本は、そんな俺に「万力ってなんですか?」と問うてきた。

 こう見えて実は坂本は若い。

 万力と言われてもそれが何なのか分からないようだったが「ほら、技術工芸室にある、あれな? こう、ぐりぐりと抑えて」と話すと

「……ああ。異端審問で使われる拷問具みたいな、あれですね?」

と言ってきたので、思わず黙り込む。

 昨今の若者の流行りがなんなのか分からない。


 だが、坂本は

「だったら滅茶苦茶しんどいじゃないですか? 雨の度にそうなるんですか?」

と聞いてきたので、ため息交じりに頷いた。


「いや、もう、ほんとな。それな? 天気病とか気候病とか言うらしいけどな? なんかこう、低気圧がやってきて、それに合わせて自律神経が乱れるらしいな?」

「……安藤さん。乱れる自律神経なんてあるんですか?」

 すぐさま、坂本が腕組みして言ってくるので「あるよ! 何なら見えるよ!?」と言ってやるが「いや、見えないです見えないです」と坂本が、俺の前の椅子に座る。

 わずかに骨の軋む音が聞こえた。

 こいつも雨の前になると、こうやって骨が軋むわけだが、痛みは感じないらしい。

 ……若いっていいねぇ。


 だがそんな俺の羨望の眼差しに気付かず、坂本はこすり合わせた手をストーブの前に突き出した。


「自律神経って、血管と違うんですよ? 副交感神経と交感神経とがあって、それで体を整えているんです」

「……なんでお前そんなの詳しいの?」

 本人にはまったく関係なさそうな話題なのに。

 俺の心が読めたらしく、坂本は口をカパッと開けた。笑っているらしい。


「この前生物の時間に、皆でタブレット使って色々調べるってのがあって。その時、ホラ、二年の女子、ショートカットでいつも一人の、名前なんだったかなぁ、えーと、えーと……」

山波やまなみさん?」

 二年でショートカット、いつも一人と聞いて、俺の脳裏に思い浮かんだのは一人の女子学生の名前だった。

 それに坂本は手を打って「そう、山波さん!」と頷く。


「彼女が一人調べてたんですよね。自律神経って。それで後ろから見ていて、へぇって」

「……後ろから見るなよ、人のタブレット」

 つい非難がましい口調になったが、坂本は気にした様子もない。


「いや、見るでしょ。目の前ですよ目の前。山波さんなんてかわいいもんですよ? 他の学生なんか、エロ動画見ようとして規制かかって見れないって嘆いてましたもん」

「あ、そう」

 中学男子というやつの脳内は、いつもエロだ。


 それにしても、足元から冷えるこの状況に、ますます俺は身を震わせた。

 石油ストーブは温かいし、薬缶から立ち上る湯気のお陰で室内の空気は潤っているが、そんなのでは関係ないほど寒い。

「……なんか温かい毛布が欲しい。あと、温かい飲み物が欲しい」

「毛布……はないですけど、断熱シートだったらあるんじゃないですか? ほら、緊急避難先に常備されるアルミっぽいやつ」

 俺の様子に気の毒そうな眼差しを向けて、坂本は提案してくる。だが、あの銀色断熱シートにくるまれている自分を想像して、俺は更にうら寂しくなった。


「……なんか……被災して耐え忍んでいる感じが湧き上がって、余計心が寒くなるからいいや」

「温かい飲み物だったら、そうですね。職員室にはポットがあるって言ってましたけど。取って来ましょうか?」


 親切な坂本の提案に、瞬間乗りかけたけど、俺はグッと我慢する。

「……駄目だ。そんなのしたら、絶対に明日ニュースになる」

「いやぁ、毎日防犯カメラ見てるやつなんていないですよ? それに何かあった時は、桑原くわばら君に言って消してもらいましょうよ」

 サラッと怖い事をいえるところが若さなのだろうか。

 俺は痛む頭を手で撫でながら「駄目だろ。そんなの」と溜息をついた。


「今だって、桑原君には良くしてもらってるんだから。データ消したなんてバレたら、彼、用務員の仕事を辞めさせられちゃうぜ?」

 言って、再び手を擦り合わせて、俺は石油ストーブへと手を伸ばした。

 温めた手のひらの熱が、どうにか頭にまで届いて、嫌な痛みを引かせてくれることを願う。

「……でも、理科準備室に石油ストーブ持ってきて、更に薬缶まで置いて行ってる時点でまずいですよね?」

 そんな俺の様子に、坂本が歯をガチガチさせて見せた。

 笑っているらしい。


「自分達が火の始末を間違えて火事でも起こしたら、ここにストーブ置いた桑原君の責任に、絶対なりますよね?」

「……火の取り扱いには注意しようねぇ……」

 もっともな坂本の意見に、俺は渋い顔をして頷いた。

 頭はまだ痛む。

 明日が雨ならば、きっと明日も痛いまま。

 ふと思い出して、坂本に俺は訊いた。


「雨って……いつまで続くのかな?」

 その問いかけに、坂本は首を横に振る。

「いや、分かんないですよ? タブレットで確認出来たら一番なんですけどね。でも、自分達じゃタブレット画面反応しないし」

「……あれだ。電話番号177にかけて、天気予報聞いてくれ……こっからの電話でも、かけられるだろ? え、まだ回線繋がってるよね?」

 準備室のデスクに置かれた古びたコード電話を見て俺がいうと、坂本は心底気の毒そうに肩をすくめて見せた。


「安藤さん、ここで残念な話があります」

「え、なによ?」

 問い返す俺の肩に手を置いて、坂本はかたい声を出した。


「天気予報177は、2025年をもって、終了となりました」

「まーじでっ!?」


 あの、天気予報が!?

 あの電話できける、天気予報が!?

「なななんで!?」

 動揺する俺の様子を気の毒そうに眺めながら、坂本は首をまっすぐにこちらに顔を向けた。その窪んだ眼窩に浮かぶのは、激しい憐憫の情だ。


「……今は、スマホがあれば常に最新の天気予報情報を知ることが出来るんです。わざわざ通話料金を支払ってまで天気予報を聞こうとする人間は、いないんですよ」

「まーじーかっ!!」


 俺は本日三度目の「まじか」発言をする。


 信じられない。あのお天気を読む声が聞きたくて、俺は何度無言電話をかけたことだろうか。しかも最初は録音だと知らなくて、なんとか相手を笑わせようと、とっておきのダジャレを幾つも連発していたというのに。

 そうした愚者の行動も、もう出来ないというのか。

 もうかけても「この電話は現在使われておりません」のみの音声案内になるというのか。


 落ち込む俺の様子を見て、坂本は本当に気の毒そうに俺の肩を叩く。

「形あるものは、必ずなくなるんですよ安藤さん。でも、その思い出は消えません」

「……そ、そんな言葉で片づけられないくらいに、俺は今落ち込んでいるんだが……?」

「大丈夫! 177は終わったけども、リカちゃん電話はまだ継続してますから!」


 なんの励ましにもならないことを、坂本は力強く発言して拳を強く握った。

 握り過ぎて変な音が鳴るわけだが、彼の一生懸命に元気づけようとする姿勢はよく伝わる。でも、でも……。


「177まで無くなるとは……これはもう……いつ、俺達がいなくなっても、仕方ないんじゃないか?」

 低気圧が近づくと、頭痛だけでなく思考までネガティブになるから不思議だ。

 がっくり肩を落とす俺の膝頭を、ストーブの炎が優しく温める。

「安藤さん……」


 坂本の気の毒そうな声が頭上から聞こえた。

 年長者としてそんな恰好を見せるのはいけないと思いながらも、177終了のショックは大きい。だが、そんな時坂本が膝をついて、下から俺の顔を覗き込んできた。


「安藤さん。でもモノは考えようですよ?」

 明るい声を出して精いっぱいに言う彼の声に、俺は漸く首を持ち上げる。軋んだ音がするのは、きっと明日が雨だからだ。ちくしょう、雨なんて嫌いだ。

 坂本は、変わらぬ顔のまま、だけど希望の滲んだ口調で言った。


「もし自分達が廃棄になる時は、多分学校関係ではない人も介入するわけですよね?」

「……まあね。学校教材だからね」

「ですですそうです。だから、その時、誰かが絶対に気が付いて、警察が介入してくれますよ!」

 精いっぱいの明るい声を出して、坂本はどうやら、笑ったらしい。


「そしてその時に、自分達はようやく自分達自身の正体が分かり! そして晴れて家族の元に戻ることが出来るんです!」

「……そんなうまくいくかねぇ?」

 天気病のせいで、どこまでもネガティブな俺がそう返すと、坂本は若さ特有の無確証な自信を持って宣言した。


「うまく行きますっ。だから希望を捨てないで!」

 そう言って白い骨を打ち鳴らして見せる。


「悲しくなったらリカちゃん電話に電話しましょ? それに、自分、最後まで安藤さんと一緒いいますからね?」

「……坂本」


 ほんとう、いいやつ。

 俺はそう思って深く頷いた。

「……ありがとう」

「なんてことないですよ。明日が雨だから、ちょっと気分が塞いでいるだけですよ! 晴れたらまた、気分も盛り上がります」


 言ってググッと握りこぶしを作る坂本。

 ただ、彼の手に肉はないから、なんだかあまり様にはなっていないことは、本人には言わない。

 

 そんな後輩の様子に、俺はふと暗い窓の方を見た。

 明るいストーブの光が反射して、そこはまるで一枚の鏡のように室内を映し出している。


 映っているのは、ストーブ、薬缶、その前でガッツポーズを見せる骨格標本と、うなだれて座る人体模型だ。


 骨格標本こと坂本と、人体模型こと俺、安藤。


 俺がこの中学の理科室に連れてこられたのは、どれくらい前だったか。

 ただ、その時担当した折坂おりさかさんという用務員さんが定年退職して、後を引き継ぐことになった桑原君がやってきて、既に十年以上が経っている。

 折坂さんにも良くしてもらったが、桑原君も俺達の事情をよく知っているのか、良くしてくれている。

 折坂さんがいる間に、途中坂本がどこからかやって来たが、その際互いに顔を見合わせて

「もしかして?」

と話したのが、こうして今につながる関係となっていた。



 そう。

 俺達は理科室に置かれる人体模型と骨格標本だ。

 ただ、普通ではない。



 俺達は、元は、生きた人間だった。


 名前も、どうしてこうなったのかも覚えていない。


 それでも明確に覚えている「生きていた」という実感と、何かの拍子にあふれだす記憶。

 準備室だけの知識では説明がつかない、外界の景色、知識、記憶。


 まるで何も肉の無い坂本と年齢の差があることは、見ていた仮面ライダーの違いで分かった。俺はブラックRXだったが、坂本は龍騎だった。


 なんでこうなったのか。

 そして、どうして誰も俺達が本物の人体だということに気が付かないのか。


 特に俺なんて、顔の半分は目を閉じているものの、そのまま本人の顔のはずなのに。


「いやー。人って本当、他人には無関心ですよね?」

 そう言ってカタカタ笑う坂本の様子はどこまでもホラーだったが、俺の姿も大概酷いので人のことは言えない。

 ついでに、股が丸出しなのはもう慣れたし諦めたが、これが本当の人体です、と気付かれた時の羞恥心を考えると、ちょっと恐怖で震える。


「でも安藤さん」

 その時坂本が優し気な声をだした。


「もし警察が探し出して、それぞれの家族の元に戻って、荼毘に付されることがあっても、自分と友達でいてくれますか?」

 痛む頭はそのままだが、俺は半眼になって坂本を見た。何も無い目の空間を真っすぐに見つめ返し、しっかりと頷く。


「もちろんだ。坂本がいてくれて良かった」

「自分もです」

 そう言って坂本はカタカタ音を立てる。多分、笑ってる。

 

 変わらず頭はまだ痛い。

「うわぁ……でもほんと、いつになったら雨やむんだろうな? ていうか、今降ってる?」

「いや、まだ降って無いと思いますけど。長引くと嫌ですよね」

 頷いて、俺は手を擦り合わせた。


 夜が明けるその前に、ストーブを消さないといけないが、朝が来ればやって来た桑原君が、職員室や教室の暖房をつけるのと一緒に、理科室の暖房もそっとつけてくれることだろう。準備室には暖房はないけれど、間の扉を開けて、少しでも温風が届くようはからってくれる。

 なんだかんだで、悪いことばかりではないのだ。


「でもこんな寒いと雪になるんじゃねーの?」

 眉間にしわを寄せて頭痛に堪える俺がそう言うと、坂本は心底明るい声を出した。


「そん時は、外でましょうね。雪合戦しましょう!」

「やだよ、寒いし。それに、校庭で人体模型と骨格標本が雪合戦しているのを目撃されたら、もう事件だわ」

「事件上等ですよ! SNSでバズりましょ!?」

「駄目だっての」


 言いながら、俺は窓の外に広がる空を見上げた。

 暗い窓からでは外の様子はしっかりと確認は出来ない。

 が、チラリと輝くモノが見えて、それが星だと気が付いた。


 雨は雪に変わるだろうか。

 それとも、偶然見えた星から、天気は晴れるのだろうか。


 明日の天気さえも分からない状態だが、膝と手を温めるストーブの温かさと、立派な骨格標本が「雪降れ雪降れ」と窓の外を見上げる様子は、なかなかに平和だな、と俺は思った。

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