第1話 運命の歯車

「レンドル!レンドルはいないのか!」


 精悍な顔立ちの大男は、刃の潰れたロングソードを右肩に乗せて辺りを見渡した。

 大声の持ち主は、よく手入れのされた訓練用の革鎧に身を包んでいる。

 細かな傷、補修の跡が所々にあり、長年使い込まれているのが一目でわかる。

 油が満遍なく染み込み、丁寧に補修されており、鎧の機能はきちんと保たれている。

 この鎧を正しく手入れし続けていることこそが、教官としての、そして軍人としての彼の矜持であった。


 木柵で囲われた剣戦場には、訓練生たちが綺麗に並び円を描いていた。

 彼らは肩で息をしながら腰を下ろしており、相当しごかれたのだろう。

 ここはサンガード皇国にある、訓練施設の一画だった。


「います! ブルード教官!」


 若い。

 どこか冷めた瞳をしている。

 それでも声を張り上げ、血気盛んに見えたこの若者は、レンドル・ブレイズという。

 

  騎士爵を持つ父親は、鋭い突きを放つことで武名を馳せていた。

  その剣技は幾度も魔物たちの息の根を止めており、彼を知るもの達から称賛されていた。

 

  レンドルはその父から剣を教わり、腕を見込まれて正規の訓練生になった。

  ただ、本人はあまり乗り気なわけではなかった。


「はっ、まだ元気だな。相当鍛えられている。お前の親父に感謝しろ!」


 ブルードは右肩に潰れた刃を乗せたまま、小刻みに体を左右に揺らし突っ込んだ。

 レンドルは、右に行くと見せかけて、左に円を描くようにステップを踏んだ。

 一瞬のフェイント。

 だがブルードには通用しない。

 踏み込んだ左足を切り返し、その反発力を使って、すぐさま方向を変えて踏み込んできた。

 

 その瞬間にレンドルは鋭い突きを放った。

 突かれた剣先をブルードは刃の腹で流した。

 体を左に捻り、ロングソードを盾のように構え、突きを斜めにずらしたのだ。

 

 勢いそのままに体当たりをかました。

 レンドルは何とか踏ん張ったが、大きくよろめいた。

 ブルードが右肘を上げて剣の柄を振り下ろした。

 

 兜がひしゃげる威力。

 レンドルはその場に倒れ伏した。


「いい判断だぞ、だが狙いが真っ直ぐすぎだ」


「……狙いが、簡単すぎですか」


「俺が突っ込んだ勢いを殺すためフェイントを掛けたな」


「引っかかれば、横から攻撃できると判断しました」


「まぁ、大した相手じゃなければ、それも通用するだろうな」


だが、とブルードが続けた。


「相手はな、何百年も魔物と向き合い、生き残ってきたエルフだ」


剣技も相当やる、それに熟練した魔法戦士だ、と付け加えた。


「フェイントが効かず、円の動きで距離を測り、詰めてきた瞬間に突きを放つ。それを躱されたら今のようになる」


動きも狙いも分かっていた。

そのうえでカウンターが来ることをレンドルに分からせたのだ。


「剣を振らずとも、体を使って相手の体勢を崩せる」


レンドルは真剣に聞いていた。


「そして、そのまま構えれば、次の相手にも対処できる」


レンドルは頷くと、落とした剣を拾い上げ、また構えた。


「渾身の突きならば、確実に仕留められる時に使え」


 レンドルは、はぁっ!と短く息を吐き、大きく吸い込んで全身に力を巡らせた。

 体はまだ動く。 頭の痛みは消えていないが、今度はレンドルから仕掛けた。

 ブルードと同じく小刻みに上半身を揺らし、全速力でブルードの正面に駆けた。

 剣を前に斜めに構え、剣の重さを加速のために利用した。


「さて、どうするか」


 そう言ってブルードも全速力で駆けた。


 二人が距離を詰めた瞬間、レンドルは遠目から突き構えた。

 体ごと突っ込む気か、とブルードが思うと同時に、眼前に剣が飛んできた。

 剣で流すには間に合わず、とっさに体と首を左にずらすと、視界が暗くなった。


 レンドルは剣を放った後、ブルードが剣を持っていない左方向に避けると踏んだ。

 そして、先読みで飛び蹴りを放ったのだ。


 その読みは間違っていなかった。

 二人の体がぶつかり、すぐさまレンドルは教官の剣を奪おうとした。

 その時、ブルードは片手一本でレンドルを掴み上げると、そのまま二回転ほど振り回し、地面に叩きつけた。


 剣戦場は、あえて柔らかい土と砂利や細かい石が散りばめられて作られている。

 滑ることもあるし、石を踏んでバランスを崩すこともある。

 そうなった後にどう動くかを学ぶための場所だ。


 柔らかい土とはいえ、レンドルは背中に激しい痛みが走った。

 あまりの衝撃に呼吸が苦しく、立ち上がることができなかった。


「はっはっは、狙いも読みも良かったぞ。剣を投げるのも剣技の一つだ」


 そう言ってレンドルの投げた剣を拾い上げ、今日はここまでだ、と皆に伝えた。

 道具の片付けと手入れや修理の手続きをするように、部下たちに鋭い指示を出した。

 後進を育てる教官でありながら、組織を統率する軍人としての顔をそこに見せた。


 まだ動けずにいたレンドルのところへ来ると、ブルードは笑った。


「動けるようになるまで休んでいろ。だが食堂の飯は待ってくれんからな」


「……教官が、魔物に見えましたよ」


「俺は加護持ちだからな。身体強化魔法を使ったのさ」


 そう言って、ブルードは剣戦場を後にした。


 レンドルは体に痛みを覚えながらも、這うようにして片付けを済ませた。

 泥のように重い体を引きずり、宿舎に戻って食堂へ向かった時には、夕食の時間は半分を過ぎようとしていた。

 空腹よりも痛みが勝るが、食べなければ明日の身体が持たない。


 ようやく辿り着いた食堂は、訓練生たちの熱気と喧騒に包まれていた。

 一人遅れてきたレンドルに、仲間の一人が言った。

 

「レンドル、明後日にはルベリア王国の遠征に出発だってよ」

「……いよいよか」

「といっても、後方支援なんだろ、大丈夫さ」


 長テーブルにびっしり座った訓練生たちは、がつがつと貪るように食事をしながら、好き勝手に話していた。

 訓練のこと、加護のこと、故郷のこと、恋人のこと、魔物のこと。

 一日の疲れを飛ばすような笑い声が食堂を賑わせていた。

 

 サンガード皇国にはエルフの血が混じった子供も多く、魔法が使える彼らは貴重な戦力として敬意も払われている。

 レンドル自身も混血だったが、魔法は使えなかった。

 それを忌み嫌う者はいなかった。

 ただ、エルフたちが何を企んでいるかはわからん、気をつけろ、とだけ教え込まれてきた。


 そんな中、低くよく通る声が、食堂に静寂をもたらす。


「ルベリアとの戦争が終わったら、ラクロアンと手を組むらしい」


 近くに座っていた者たちは、食事の手を止めて男の方を見た。


「あ、それ俺も知ってるわ! 噂じゃないのか?」

「噂じゃない。上官達が教導会議室で話していた」

「閃光のラクア。とてつもない使い手だと親父が言っていた」


 レンドルは、胸の奥がわずかに冷えるのを感じた。

 ――父が、声を潜めて語った名だ。


「英雄だ」


 静かに食事をしていたブルードが口を開いた。


「古の銀狼と戦ったことがある。レンドルの親父と俺も一緒にいたんだ」


 古の銀狼と呼ばれる神出鬼没の魔物がエルフたちを襲っていた。

 エルフたちはこの銀狼に手を焼いており、何十年も仲間を狩られていた。

 

 だが、英雄ラクアの手により撃退され、彼らは救われたのだ。

 それは、驚愕とともにすさまじい称賛を集めた。

 

 そしてまた、ある事件があった。

 亜神と呼ばれる邪神の分身が現れた時に、銀一閃のもと亜神を一刀両断した。


「とてつもない加護を授かっていたと分かった」


 ブルードは一度、言葉を切った。

 食堂の空気が、わずかに張りつめる。


「……だが、その英雄ですら、あの銀狼は倒せなかった」


「……英雄ですら、ですか」


「ああ、撃退するのが精一杯だったんだ。銀狼はそれほどまでに異常な存在だということだ」


 ブルードはそこで言葉を止め、レンドルをじっと見つめた。

 

 レンドルは握りしめたスプーンが指に食い込むのを自然と感じた。


 十歳に満たない頃、母を奪い去ったあの銀色の影。

 英雄ですら殺せなかったという事実が、レンドルの胸をざわつかせた。


 母の顔はもう思い出せない。

 覚えているのは、彼女が歌ってくれたエルフの古い唄だけだ。

 

 心が安らぐ、柔らかな調べ。


 ブルードは飲みかけの果実酒を飲み干し、続けた。


「……四千年前の魔神戦争の伝説だ。エルザリア魔導公国が、ある日突然消えた。理由は分からない。その直後に、火の魔神が現れた――そう伝えられている」


「……」


「サンガード皇国は、まだ若い国だ。建国から二十年。それ以前はな、人族とエルフは、同じ防衛線で戦っていた。エルフは立派な開拓民で、俺達人族は後から来た。魔物と戦う彼らを、俺たちは尊敬していたんだ」


 だが、ある時だ、とブルードは視線を伏せる。


「樹の魔物が現れ、エルフを襲おうとしていた。人族は討とうとしたが、エルフは違った。彼らは、魔物を庇ったんだ」


「理由は語られなかった。今も、何を考えているのかも分からん。陛下は対話が必要だと常々言っていたが、向こうは何も語らなかった」


 ブルードは肩をすくめた。


「魔神から生まれたとされる魔物を、理由も言わずに庇う。それを見て、何も考えないでいられるか。……だから、彼らと戦う、そういう流れになった」


「陛下が加護を授かってからの進撃は凄まじかったが、

 ラクロアンの加護もそれに並ぶほどだ」


「ブルード教官は、加護を持っていますよね。神殿で授かったのですか?」


「いや、違う。俺は小さいころサンルード様の従者だったのだ。同じ乳母に育てられてな」


「ええ!?」


「小さいころに太陽の神ベギラダに加護を授かったのだ。そして従者になった、だが、守れなかったがな......」


 少し話過ぎた、と、そう言ってブルードは話を切り上げた。

 

 レンドルは自らの手を見つめた。

 力を込めても、今はまだ何も起きない。


 自分の中に流れるエルフの血、母の安らかな唄。

 

 英雄になりたいわけではない。

 ただ、この不条理な世界で、母の唄を胸に抱きながら、生き抜かなければならない。

 

 サンブラント皇帝が、サンルードの系譜であることは、建国宣言の時に示された。


 皇帝が、エルフを敵対視しているのは、レンドルも知っている周知の事実だ。

 そうせざるをえない理由があったからだ。

 

 魔物を庇ったエルフたちの多くが、なぜか加護を授かっている。

 邪神から加護を得ているのではないか。

 なにより、樹の魔物は突如として現れ、聖人サンルードを殺した。

 

 サンブラント皇帝が建国に至ったのは、必然だった。

 そう、レンドルたちは教育を受けてきた。

 

 さらには、この大陸に伝説だった世界樹があり、その果実をエルフが独占している。

 滅亡したエルザリア魔導公国が、全盛を誇っていた時代の万能薬の原料とされている。

 

 彼らが開拓した大陸なのだ。

 あとから来た人族に、分け与える必要はない。

 それは当然だと、レンドルは思っている。


 だが一方で、そうであっても、分けてほしいと思うのは、ごく自然な感情だとも感じていた。

 ともに戦い、傷つき、そして難病にも効く薬が生まれるのであれば、喉から手が出るはずだ。

 だとしたら、それだけで争いに発展する可能性は、十分にあるだろう。

 

 サンルードの故郷は、ここから南方にある神聖帝国ヴォルテニアだと学んだ。

 王位継承権を持つ彼は、この地に辿りついた王族の末裔だった。

 この地で力を蓄えようとし、世界樹の力を欲したのだ。

 いつか正当な王として祖国へ帰還する――

 そうした野望を抱いたまま、命は世界に還った。


 死して命が流れ、世界に還るとき、命の神リヴィータがそれをすくい上げるという。

 その際、こぼれ落ちた生命力や魔力が、その地に残り続ける――

 そんな伝承があった。

 

 サンルードが最後に命を流した場所は、その通りとなり、

 『聖人サンルードの加護』を授かる可能性が生まれたのだ。

 

 その場所は聖域とされ、いまも神殿が建てられている最中だ。

 

 祈祷料は高額だが、貯めていた資金で何とかなるはずだ。

 そう思いを巡らせながら、レンドルは急いで食事を飲み込んだ。

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