壇上の羞恥

小狸

掌編

 生涯で一番恥ずかしかった出来事は何ですか、と問われたら――まあ生涯問われることはないだろうが――私はきっとこう答える。

 

 小学5年生の時に、読書感想文で表彰されたことである。


 読書感想文といえば、夏休みの宿題の中でも特に比重が(児童の負荷という意味で)大きい、それでいて大概どの学校でも毎年ほとんど必ずといって良いほど出題されるものの一つである。


 私の家は、父親が教育に無関心で、その代わりに母親が過剰に教育に干渉してくる、という、若干壊れた家庭だった、と今では思っている。


 母は厳しかった。


 夏休みでなくとも、通常の毎日宿題でも全て確認されて、ミスがあるとヒステリックに指摘され、泣くまで許してもらえなかった。小学3年生の頃は、毎日漢字プリントの宿題があったので、ほとんど毎日のように泣いていたと思う。


 ――あなたのためなんだから。


 ――あなたの将来のためになるんだから。


 そんなことを言っていたように思う。


 母も母で、思うところがあったのだろう。父の家系は偏差値の高い人が多く、母は嫁入りした。そんな中で、父は教育に全く無関心。あったのだろう、きっと。父の家系の血を継ぐ者なのだから、高偏差値の子にしなければならない、とか、そんなプレッシャーが。


 まあ、親の気持ちは、親にならなければ分からない。私は親になることを既に諦めた身なので、きっと一生、両親の気持ちは分からないのだろう。それで良いと思っている。


 そこで、読書感想文の話である。


 当然のように、読書感想文にも、添削が入った。


 5年生の時が、最も推敲させられたように思う。

 

 否。

 

 それはもはや、推敲という次元ではなかったように思う。


 改稿だった。


 案の定、心がぐしゃぐしゃになるまで泣かされた後で、母の言葉が、母の文章が、私の書いた文章を上塗りしていった。


 完成した文章は、ほとんど母の書いた作文であった。


 こんなものは、私の感想文ではない。


 そう思いながら、夏休み明けに担任の先生に提出したのを、覚えている。


 そして――その読書感想文が、賞を獲った。確か全国まで行ったように思うが、当時私はいじめを受けていたので、あまり記憶に残っていない。実家に帰れば多分賞状が保管されているのだろうが、あれは母の自己満足の塊のようなものである。


 私は全く、嬉しくなかった。


 どころか、死にたいと思った。


 私の書いたものが、全否定され。


 母が書いたものが、認められた。


 ふつふつと、私の中に沸き上がったのは、怒りだった。


 この表現は駄目、この文章はおかしい、この言い方は変。


 言いたい放題言いやがって。


 私には、反抗期らしい反抗期は無かったと、後から聞いた。


 いじめは中学まで継続したので、反抗期をしている暇がなかったからである。


 賞を獲ったということは、必然的に朝の集会で表彰されることになる。


 賞状を校長先生から渡され、頭を下げた。


 後ろから、全校生徒の盛大な拍手が、聞こえてきた。


 虚しかった。


 辛かった。


 恥ずかしかった。


 そして、悔しかった。


 母の文章が表彰されたようなものなのだ――ここにこうして立っているのは、私じゃない。


 


 その日、家に帰って――賞状を母親に手渡した。母は喜んでいた。


 何が嬉しいのだろうと思った。


 私はそのまま、自分の部屋に入り込み、自由帳を取り出し、そこに文章を書き始めた。


 殴り書きであった。到底親に許されないような汚い書き方で、不揃いの言葉で、書き始めた。


 物語を。


 私の執筆のルーツ、というのが、まさにここにあたる。


 物語とは言っても、その文は幼く、その文は劣っていて、その文は、まるで今日読書感想文で全国まで行って表彰された人間のものとは思えない、構成も構造も取り留めもなく、間違っても人に読ませられるようなものではなく、自分の内にあって、口にできない感情をそのまま登場人物に投影させているようなものではあったけれど。


 私が初めて書いた物語である。


 恥と、怒り。


 その原動力は、今でも私の中にくすぶっている。




(「壇上の羞恥」――了)

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