第九章 その青は、熱を孕んで
第15話・青に混ざる、体温
拓也と出かけた週末がおわり、その翌週の火曜日。今日から夏本番と言っても問題ないくらい外はカラッとしたいい天気で、白い雲が青い空が広がっている。
「おはよー、ねえ今日暑くない? おかしくない? 昨日までちょっと肌寒かったじゃん。なのに7月になった途端これって、神様本気だしすぎ~…。ついにあっちも気温予約とか業務効率化始めたのかな。神界にもついにデジタル化革命の波来ちゃったか~」
いつもの集合場所。1限が空きコマで2限から講義が入っている仲良し組は、いつもより少しだけはやく大学へ来ていた。
「朝からほんと元気な。羨ましいわ」
先に大学に着いていた怜央は、涼やかな顔で朱音を出迎える。反対に朱音の額には汗がじんわりと滲んでいて、顔には疲れとうんざりが混じっていた。
「いやいや、どこが元気そうに見えるわけ? 見てこの疲労いっぱいの顔」
「ああ、なるほど。神様インターンから帰ってきたばっかだったか」
「は? ちょっと何を言ってるのか理解できない」
荷物を置いて椅子に座った朱音はペットボトルのキャップを開けながら、若干引いた顔で怜央を見た。
「おい、ふざけんな。お前が始めた物語だろ」
微かに笑った怜央がわざとらしく真面目な顔をした。
「うっわ。絶対それ言いたいだけ」
さっき作った引いた顔が崩れて、朱音はつい笑ってしまった。
「朱音ちゃんのインターン先は、高天原だね」
「まって、陽くんもノってくるとか聞いてない」
さすがに朱音も、この会話は負けを認めるしかない。
「てか、こはどこ? 先着いたって連絡あったけど」
「あ、朱音ちゃん。着いたんだ! おはよう」
ちょうどお手洗いに行っていた小晴が戻ってくる。
「こは。おはよ~。もう外暑すぎだよ~」
「ね。今日ほんとに暑い」
「って、あれ、あれ、あれ」
挨拶はそこそこに、朱音はあることに気が付いて小晴に反応した。どうやら今日の朱音の第六感は冴えわたっているらしい。
「え、なに?」
まだよくわかっていない小晴が不思議そうに朱音を見つめ返す。
「もしかしてさあ。あれって今日?」
「っ、へ」
ちょっとだけにやけた顔で、小晴にだけわかる言葉で朱音は聞いた。瞬時に何を指しているのか気が付いた小晴の顔が赤く染まる。
「やっぱ? だよねだよね。そうだと思った」
白レースのノースリーブトップスに爽やかな辛めの水色デニム。ごつめのシルバーの留め具の黒ベルトがアクセントになっていて、足元は高すぎないミュールサンダル。
いつもよりちょっとだけ女の子を意識したコーディネートは、まさにこの後の何かを予感させている。朱音の表情がぱっと明るくなって、小晴よりも恋する少女のようなキラキラした瞳をする。
「だって、今日超かわいいもん。すっっごい絶妙ライン! さっすが、私のこは。私が惚れ直す!」
きゃああ、と叫んで小晴にダイブする朱音。
「いつ小晴が朱音のになったんだよ」
先ほどとテンションが明らかに違う朱音を、怜央が半眼状態でじっとりと見つめた。
「出会ってからに決まってるでしょ」
小晴を抱き寄せながら、朱音は怜央を睨みつける。
「こっわ」
「てか、今日なんかあるの? はるちゃん」
ふたりを一旦放置して、陽介が小晴に尋ねる。
「え、…あ。うん。えへへ」
朱音にされるがままの状態で、小晴は控えめに笑った。
「え、うそ。拓也!? この前、誕生日前日に行ったばっかじゃん。え、まじで? え、そんな進展中?」
一番に反応したのは、朱音に一蹴された怜央だった。彼の瞳は丸みを帯びて、驚きに満ちている。
「あー、怜央、…怜央。ちょっと、まって」
そこにバツが悪そうな朱音の声が、小晴と怜央の間をさえぎった。
「なんだよ」
小晴から隣の朱音に視線を移す。さっきまでとは打って変わって朱音は、非常に気まずそうな顔で首を横に振った。
「え、まさかのそっち?」
陽介の言葉に、小晴はちょっとだけ困った顔をした。
小晴と朱音がコンビニへと向かって、テーブルに玲央と陽介だけが残る。
「なあ、陽」
玲央は先ほどまで騒いでいた声とは3トーンほど落とした、落ち着いた雰囲気で口を開いた。
「ん? どうかしたの?」
陽介が怜央に視線をやった。怜央の端正な顔が、今はお人形のように”無”を纏っている。少し間をあけたあと、「あー…」と短く、けれどどこか歯切れの悪い音を発した。
「いや、…うん、あー、なんつーかさ」
怜央には珍しい――なにか言いたそうなのに、どう言えばいいか分からなくなっている――、とても言いにくそうな顔をしている。すでに彼の表情は”無”から一変して、人間味に溢れていた。
「玲央?」
不思議そうな顔をする陽介を見ながら、怜央はまだ迷っている雰囲気を纏いながら「陽はさ」と続けた。
「うん?」
「んー。俺が、…似てるって言ったら、…怒る?」
どこか絞りだすように、恐る恐る聞いている風だった。
「…、笑えないって。その冗談」
怜央の口から飛び出た言葉に、さっきまでキョトンとしていた陽介の纏う空気も変わった。嘲笑を含んだ言葉の発し方は、天使と言われるほどにこやかな陽介とは別人のようで、殺伐とした緊張感を発している。
「うん。だよな。陽ならそう言うと思ってた」
予想を裏切らない陽介の反応に、怜央は何とも言えない顔を浮かべた。
「言っとくけど、全然似てないよ。あんな子と、はるちゃんを比べないでほしい」
「うん。だよな。ごめん」
嫌悪感を滲ませた陽介に、怜央は早々に謝った。やっぱり踏まなきゃ良かったかもしれない、と怜央は考えながら、言わずにはいられなかった自分も同時に認めていた。
二人がいる場所は大学のフリースペースであるにも関わらず、どこか喧騒が遠くに聞こえるほど、二人の間に落ちた沈黙は重たかった。
「……、あの二人が、なにを考えてはるちゃんに近づいてるのか知らないけど。はるちゃんのこと泣かせたら、たぶん僕は、悠真くんもたっくんも許せないと思う」
その沈黙を破ったのは結局、陽介だった。沈黙の間にあらゆる思考をした結果の発言だと手に取るようにわかる言い方をする。
「それは同じ。お前だけじゃないよ」
「…、そっか」
怜央が同意すると、陽介はちょっとだけ苦しそうに笑った。
――でも、陽だって俺が誰かって言わなくても“似てる誰か”はすぐに分かったじゃん。
なんて、流石の玲央も言わなかった。いや、言えるはずもなかったんだ。あの時、あの中にいた誰よりも心優しい陽介が痛みを受けたことを知っているから。
二人がいるフリースペースは、壁一面が窓に覆われていて、夏の強い日差しを眩しいくらい取り込んでいた。
*
今日の講義が全部終わって、小晴はLIMEを開いた。
〈いま終わりました!〉
小晴がメッセージを送るとすぐに既読が付いてシュポンと返事が飛んでくる。5号館の下で待っているという連絡にやや緊張が走った。
「お、なになに? 悠真さんですか~?」
朱音の声に、小晴はスマホから視線を上げた。ニヤニヤと笑う朱音と目が合った。
「な、へ、いや、ち、違くはないけど」
ぷしゅーっと沸騰したやかんから空気が抜けるように、小晴は頬を染めた。その赤くなった頬を隠すように視線を外す。
「も~、茶化しすぎだよ。朱音ちゃん」
朱音のせいで、今からデートだということをさっきよりも強く意識してしまった。
「え、なにそれ。え、ちょっとキュンとしちゃったんだけど。え? これ、悠真さん大丈夫そ?」
「だ、だから~、朱音ちゃんってば揶揄いすぎだよ」
朱音が「いや、これはこはが悪くない?」とかなんとか言ってるそばで、陽介が小晴に声をかける。
「悠真くん、待ってるの?」
「う、うん。5号館で待ち合わせ」
ドキドキしながら、陽介の質問に答える。
「そっか。ならもう行きなよ。朱音ちゃんは僕が引き取っておくから」
まるで朱音が問題児かのような発言に、思わず笑ってしまう。
「いってくる。ありがとう、陽ちゃん」
いつもとほとんど変わらない陽介の態度は、小晴の心の揺れをわずかながら落ち着かせてくれた。
「うん。楽しんできてね」
「こは、明日デートの詳細教えてよ!」
背中をそっと押してくれる陽介と、デートは楽しむものだと教えてくれる朱音に送り出され、小晴は悠真が待つ5号館へと晴れやかな気持ちで向かうことができた。
大きな左右開閉の自動扉をくぐって5号館に入る。中央階段を降りた先のちょっとした休憩スペースに、ひとり座っている学生をすぐに見つけた。というか、遠目でも目立つ。わかる。
どこから見てもあれは、悪い男が全身から漂っている。何もしていないのにずるいくらいかっこいい。拓也も悠真も、ただそこにいるだけで暴力的な魅力を周囲に放つ。
(う…、かっこいい…やば…)
なんか、こう、目が合ったら正気でいられる気がしない。少しだけ気後れする。一呼吸するため、ふーっと息を吐いた小晴は、ちょっとだけ覚悟を決めてから悠真が座る椅子へと歩き出した。
「悠真さん」
「ん? お疲れ」
声をかけると悠真はイヤフォンを外しながら小晴に笑った。どきっと跳ねた心臓は、どんな意味で跳ねたのだろう。
「授業、疲れた?」
「今日は、ぜんぜん」
心の動揺は無視して、小晴は首を振った。
「そか。じゃあ、行く?」
椅子から立ち上がった悠真が、黒のスリングバッグを無造作に手に取った。柔らかな質感のストライプ柄の半袖シャツが、空気を含んでふわっと揺れる。
今日の悠真の服装は、全身ブラックなのに、軽やかで涼しげだ。アクセサリーの使い方もこなれていて、3点使いなのに全くと言っていいほど嫌味がない。腕時計はシンプルで、お洒落ランクを地味に上げている。
(この人の隣、私歩いて大丈夫かな)
極めつけの薄グレーのカラーサングラスがまた、悠真のオーラに拍車をかけている。小晴なりに今日の服は頑張ってきたはずだが、今のところ少しだけあった自信が現在進行形で削られ中だ。
「っ、…はい」
ほんの一瞬、悠真の格好良さに不覚にも見惚れてしまった小晴は、ワンテンポ遅れて頷いた。
「え~、そこで赤くなるのは、流石にあざとすぎるって」
「なっ、違いますよ!」
不覚にも目を奪われてしまった気恥ずかしさのそれであって、決して悠真の言うような理由ではない。
不可抗力な上に顔に感情が出やすいのは自覚済みだが、指摘されると子供っぽい自分がまるで計算高いと揶揄されたようで恥ずかしい。
「俺は、別にあざとくてもいいんだけど?」
「っえ、はい? え、なに言ってるんですか?」
予想を裏切る返しに、また小晴の心がぐらぐらと揺すられる。
「なに。動揺しすぎじゃん」
吹き出す顔は、百点満点で甘ったるい。悠真の顔が甘い顔立ちのせいで余計そう見えるんだ。たぶん、てか絶対そう。
「え、あ。だ、だって。あざといの、嫌いとかそういう話かと…」
語末に近づくにつれて、小晴の声は徐々に萎んでいく。どうしてこう、自分はいつも変なところから話しを始めてしまうのだろうか。余計話を拗らせたような気がして、喉の奥がざわついた。
「男で嫌いな奴あんまいないと思うけど。それに、俺の方があざとくね?」
にやりと微笑んだ顔にやられた。
「ほら固まんなって。行くよ」
やっと先に進もうと小晴を促した悠真が「あ、言い忘れてた」と一歩動かした足を止めた。
なんだろう。
振り返った悠真の視線が、頭の先から足先まで行って同じ道を戻って、目が合う。そのまま、瞳が悪戯っ子のように細まった。
「今日の小晴、めっちゃ可愛い、俺のタイプ」
急に褒められて体温が急上昇する。拓也も悠真も呼吸するように褒めてくるが、それが出来るのはきっと異性との関わりに余程慣れているせいだ。分かっていても反応してしまう自分が若干憎い。
「小晴さん。さすがに熱中症疑うレベルなんだけど」
冗談まじりの揶揄いが飛ぶ。小晴の心臓は痛いくらい飛び跳ねている。
今日の私は、大丈夫だろうか。すでに先行き不安だ。
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