第2話

 それから3分も経ってはなかっただろう。

 だけど、体感としては1時間以上に感じた。


 沈黙。


 オレとミラとの間に冷たい空気という壁が佇んでいる。

 本来、ミラと二人きりという状況は嬉しいはずなのだが、拷問のようにキツイ。


「と、とりあえず行こうか」


 オレは陽菜が走って行った方へと指を差してゆっくり歩き出す。

 さすがに意図は通じたのか、後ろをついてきてくれる。


 やたらと広くて、人が多い交差点を渡り、『渋谷センター街』と書かれている道を歩く。

 

 当然、走って行った陽菜の姿は完璧に見失っている。

 本当にこっちの道に入って行ったかもわからない。

 このまま闇雲に歩いたところで、遭遇できる確率はゼロと言っていいだろう。


 ……亮介、あとでぶっ殺す。


 この状況に追い込んだ犯人に怒りを向けたところで、オレは今更のように気付く。


「電話かけりゃいいじゃん!」


 オレは立ち止まってスマホを取り出す。

 すると、急に立ち止まったせいで、後ろからきた人にぶつかられてしまった。

 なので、路地裏のようなところに入り、亮介に電話をかける。


 だが、何度かけても繋がらない。

 完全に、勝負に夢中になってるな、あの野郎。


 それは陽菜も同じようで、ミラも電話しているようだが一向に繋がらないようだ。


 となれば、またハチ公前に戻って2時間待つしかないか。

 けど、ミラと2時間も沈黙しながら立っているのはツライ。

 つーか、精神的に無理。


 それに何とか仲良くなりたい。

 

 なんとかならないものかと思い、何気なく辺りを見渡したときだった。


 『AI翻訳アプリ』


 そんな文字とQRコードだけが書かれた小さな紙が、壁に貼られていたのを見つける。


「……これだ!」


 今、まさにオレが欲していたものが、そこにあった。

 言葉がわからなければ、翻訳してもらえばいい。


 オレは速攻で、QRコードから、アプリをダウンロードする。


 アプリはとても簡易な作りで、スマホに向かって日本語で話せば、それを即座に翻訳してフランス語で返してくれるみたいだ。

 文字を打ち込んで、文字で返ってくるという形じゃないので、時間をかけずに意思疎通ができる。


「えっと……。オレの言ってることわかるかな?」


 さっそくアプリに向かって話すと、すぐにフランス語が流れてくる。

 それを聞いたミラはコクリと頷いた。


 よかった。

 通じたみたいだ。


 これで言葉の壁は突破した。

 あとは、オレとミラとの間にある心の壁を切り崩していくだけだ。


「ミラさんは日本に興味があるんだよね? どんなところに行きたいの?」

「……」


 ちゃんとアプリを通しているので、言葉は通じているはずだ。

 だが、ミラは目を伏せて俯くだけで、言葉を返してはくれない。


 それはオレを無視しているというわけではなく、人見知りでどう返していいのかわからないといった雰囲気だ。


 うーん。困った。

 せっかく二人きりという状況なんだから、少しは仲良くなりたいところだ。


 ただ、ミラの気持ちもわかる。

 いきなり異国で一人にされ、隣にいる見知らぬおっさんと楽しく会話しろなんて言われたら、オレだってキツイ。

 

 まあ、オレはおっさんではないが、会って1時間もしていない人間と仲良くなれるなんて、それこそ亮介じゃないと無理だろう。

 オレはミラに対して好意を持っているが、ミラはオレに対して何の感情も持っていない。


 それでもオレはなんとかこの状況を打破するため、色々とミラに話しかけてみるが、全て空振りに終わる。


 そして、気付くとまたハチ公前に戻ってきていた。


 結局、ここで無言のまま2時間待つことになるのか。

 

 そう覚悟したときだった。


 『可愛いね、君。一人? よかったら、どこか遊びに行かない?』


 突如、アプリからそんな声が聞こえた。

 顔を上げると、20代後半くらいのちゃらそうな白人の男がミラに話しかけていた。

 

 その言葉をアプリが翻訳してくれたようだ。


 『君も観光で来てるんだろ? 案内してやるよ。俺、ここに5年くらい住んでてさ。すげー詳しいんだよ』


 グイグイ来る男に、ミラは涙目になって怯えている。


 『よし! 決定! 俺が知ってる穴場に連れて行ってやるよ』


 そう言って、男はミラの肩に手を伸ばそうとする。


「オレの連れなんで、やめてもらえますか?」


 オレの言葉を瞬時に翻訳してくれるアプリ。


 『ああ?』

 

 こっちを見て明らかに不機嫌になり、顔をしかめる男。


 『知らねぇよ。どっか行ってろ、クソガキが』


 ギロリとこちらを睨み、物凄い圧をかけてくる。

 

 正直、めっちゃ怖い。

 けど、ここで引くわけにはいかない。


「もうすぐ友達も来るんで」

 『なら、その前に行こうか』


 こっちの話を無視するかのように、強引にミラの腕をつかむ男。

 

 ミラは小さく悲鳴を上げ、何とか男の手を振りほどこうとするが、男の力が強いのか、一向に振りほどけない。


「やめろって言ってんだろ!」


 オレはそう叫んで、男の腕を掴んだ瞬間――。


 ゴッ!


 いきなり男に殴られた。


 『消えろ』


 男の冷たく威圧のある言葉と、殴られたという衝撃で頭の中が真っ白になる。

 

 考えてみれば殴られるなんて初めての経験かもしれない。


 そんな意味のないことを考えていた。

 混乱と恐怖に心が支配されていく。


「不法滞在者が、よくそんな強気なことができますね」


 『オレ』の言葉で、男の表情が怒りから驚愕へと変貌する。


 驚いたのはもちろん、オレ自身もだ。

 自分の意志とは無関係に口が動いたような感覚だった。


「な、なんで……」


 男がモゴモゴとつぶやくように言った。


「あなたはミラさんに、君『も』観光で来たと言いました」

「そ、それがなんだよ」

「つまり、あなたも『観光ビザ』で日本に来たということです。そして、あなたは5年くらい住んでいると言っていました」

「あ、いや、それは……」

「駅の横に交番があるのは、あなたも知ってますよね?」

「くそ!」


 男はそう吐き捨てて、足早に立ち去っていった。


 ……助かった。

 てか、オレ、すげえ。

 火事場のクソ力ってやつか?


 安堵のため息をついたとき、ギュッと裾を掴まれた。


 掴んだのはミラだった。


 ミラは涙を浮かべ、オレの腕に顔を当てる。


 『ありがとう』


 そして、そう呟いたのだった。

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