願いが叶う場所
高岡賢人
願いが叶う場所
「もし願いが一つ叶うならどんなお願いをする?」
山々に囲まれ、コンビニもなく、唯一ある商店ですら午後の十九時にしまってしまう田舎にある全校生徒がたった二人だけの小学校。机が二つしか並んでいない寂しい教室に茜色の夕陽が差し込む放課後。ヒナタはサクの机の上に腰掛けながら、小学生らしい質問を投げかけた。
「うーん。東京に行くとか?」
「いいね!」
サクはこの前テレビで見た東京の景色に驚いた。田舎でみる緑は無く、そこにあるのはたくさんの人と高いビルばかりだった。この町で唯一見える高いものが山の上にある鉄塔で、それよりも鮮やかな塔があることに憧れを覚えたのだった。
「逆にヒナタはどんなお願いをするの?」
「そうだね。いっぱいお金が欲しいかな」
ヒナタの答えにサクはヒナタらしさを感じた。ヒナタは、いい意味でちゃんと子供で、純粋だった。いつも遊ぶときは、サクを引き連れて、車がほとんど通らず、通ったとしても、軽トラくらいの国道をそこらへんで落ちている少し長い木の棒をもって歩いたり、近所のおじさんの田んぼに入って怒られたり、小さな川で釣りをしたり、と田舎の子供らしい男の子だった。そしてこの解答に上がった「いっぱいお金が欲しい」理由も至って単純で、大きな家を建てること、たくさんゲームを買うことなのだろうとサクは考えた。
「なんでそんな質問したの?」
ふとサクは気になってヒナタに聞いた。
ヒナタはサクの耳に顔を近づけて小さな声で囁いた。
「昨日さ、帰っている時に拾ったんだよね」
「え?何を?」
「願いが叶う場所がある地図」
「え?」
サクが困惑すると、ヒナタは机から腰を下ろしてヒナタのランドセルの中を漁った。そしてランドセルから一枚の紙をヒナタはサクに得意げに出してきた。ヒナタが出した地図は、宝の地図のようなものではなく、コピー用紙に大体の町の位置関係が書かれてあり、そして星印が一つ山のところに書いてあった。この星印が目的地なのだろう。サクはヒナタが作ったことにすぐに気が付いた。しかし、ヒナタが拾ったという設定の遊びなのだろうとサクは考えた。
「次の土曜日に行こうよ」
ヒナタがそう提案した。
「じゃあ次の土曜日の十時にしよう」
「うん!」
「おい、お前らもうそろそろ暗くなるから早く帰れよー」
予定が経ったところで、ちょうど先生がやってきて、帰ることを促された。この町には街灯がほとんどない。夕陽がある内に帰らないと、なにも見えず帰れなくなる。
「サク、また明日ね」
「また明日」
ヒナタとサクは校門で別れた。学校を背にサクは日が沈む方へ、ヒナタは日が昇る方へと帰っていった。
***
約束の土曜日。空は晴れていた。段々と夏が近づき始めていて、少しずつセミたちが鳴き始めていた。校庭に一本だけある木も緑が生い茂っている。いつも遊ぶときはこの木の下で待ち合わせをしていた。サクは木陰に入ってくるほんのりあったかい風を感じた。
「よーサク!おまたせ」
リュックを背負ったヒナタが手を振りながら歩いてきた。片手には地図を持っている。
「途中でさ、吉田のおばちゃんとこよらない?」
吉田のおばちゃんというのは、この町唯一の商店で、よく二人で遊ぶときに駄菓子を買いに行っていた。その後、大体どちらかの家に遊びに行く。そういうのが二人の暗黙の了解だった。
「今日さ、千円もってるんだよね」
そう言ってヒナタは、財布から千円をサクに見せた。いつもは財布に百円しか入っているところしか見たことがなかった。それに小学生の千円は、とても大金で、駄菓子だったらほとんどのモノが買うことができる。いわゆる大人買いというモノに近い。サクは目を光らせた。
「なんで、そんなに持ってるの?」
「今日はとっても大切な日なんだ。だって願いが叶う場所に行けるんだぜ!千円なんて何倍になっても帰ってくるんだ」
「確かにそうだね!」
サクは少し興奮気味にそう返した。もしかしたら、本当に願いの叶う場所なのかもしれない。それだけサクの中で千円の価値というのはデカかった。
「じゃあ行こう!」
ヒナタの掛け声でサクも歩き始めた。校門を出て、ヒナタの家の方に向かって歩き出す。この町唯一の商店まで大人が歩いて大体十五分ほどで、まだ小学二年生の二人だと三十分弱かかる。道中には、ぽつぽつと家があるくらいで、のこりは田んぼだらけだ。日差しを遮るものはなく、日差しがずっと二人を刺し続ける。まだ本格的な暑さではないが、頬に汗が流れているのが分かる。途中から二人とも首にタオルを巻いて、そのタオルで汗を拭きとっていた。
「暑い―!」
ヒナタが少し大きな声で叫ぶ。
「暑いー!」
サクもそれに続いて叫んだ。
二人とも歩き始めたということもあり、まだ暑さに負けていなかった。
「ヒナタは駄菓子何買うの?」
「とりあえず、サワーペーパーは買いたい。あと暑いからさチューチュー棒、二人で分けよう」
「え?いいの!」
「だって今日は千円札持ってるからな!」
ヒナタは自慢げにそう言った。いつもチューチュー棒は、二人でお金を出し合って買っていた。おばちゃんに真ん中をはさみで切ってもらって二人で分け合って食べる。サクはこれが始まると夏が始まった気がする。
「あ、あとさ忘れてたんだけど、今まで貯めてたアタリ全部持ってきた!」
ヒナタはリュックのポケットから型結びされたビニール袋を取り出した。
「え?今まで貯めていたのに使っていいの?」
「そりゃあ、願いが叶えば全部回収できるしな!」
回収という単語にサクは違和感を覚えたが、先ほど同様、ほんとに願いが叶う場所なのでは、とそう思った。あの宝の地図とも言えない、ちっぽけな地図にはどれだけの夢が詰まっているのだろうか、もしも本当ならば、どんなお願いをしようか、そうサクは頭の中で考え始めた。
「もしさ、願い事が叶ってお金がいっぱいもらえたら何に使うの?」
ふとサクはヒナタに聞いた。
「うーん。そうだなぁー。特に決まってないかな」
「え?そうなんだ」
サクは違和感を覚えた。サクの中でヒナタのお金の使い道は決まっていると思っていた。それよりも少し歯切れの悪い答えだったことが気になった。
「逆にヒナタは?」
「え?そうだね」
この前答えた東京という場所はいつでも行ける気がした。それよりももっと重要なことに使いたいと思った。
「うーん。やっぱこんな日々が続いたらいいなぁ」
そんな言葉がふと、サクの口から出てきた。
「あ、ごめん。恥ずかし!」
ふと漏れた言葉にサクは気が付いて、恥ずかしくなった。本心ではある。本心だからこそ恥ずかしい。都会に憧れることはあるが、この田舎だって捨てがたい。何にもないからこそ、その世界をサクとヒナタ二人で、新しいものを発見することが楽しい。それが永遠に続けばいいと思った。確かにいつか別れはあるがまだその時じゃない。
「そ、そうだな」
またヒナタの言葉に違和感を覚えた。
***
商店に着いたときには、もう二人とも汗びっしょりだった。
商店の中に入ると冷房が効いていて、すぐに汗が冷たく感じた。町唯一の商店は、一番奥にレジがあって、その後ろには引き戸がある。その引き戸は吉田のおばちゃんの家につながっている。よしだのおばちゃんはいつもレジのところにいるか、もしくは家の中にいるかのどちらかだ。
「吉田のおばちゃーん!」
ヒナタがいつものように入ってすぐに声を引き戸に向かってかける。
二人が来たことに気付いたのか、吉田のおばちゃんがいつものようにニコニコと出迎えてくれる。
「おやおや、今日は朝から二人そろって元気だねぇ。暑くなる前に来て正解だよ」
ヒナタは手にしていたアタリくじを広げる。
「おばちゃん、これ全部アタリだよ」
「まぁ!こりゃすごいねぇ」
おばちゃんはくすくす笑った。
「好きなやつ、選びな」
サクとヒナタはここに来るまで話していたチューチュー棒やお菓子を買った。
二人は店の前のベンチに腰掛け、チューチュー棒を半分こしながらお菓子を頬張った。
「暑いから店の中で食べてもいいんだよ?」
そう言いながら、おばちゃんが店先に出てきた。
「なんかここで食べるのがいつもだからいいよ」
そうヒナタは返した。店の屋根で日陰になっているが確かに暑い。それでもいつもここでチューチュー棒のひんやりとした冷たさが喉を通るのが好きだったし、いつものルーティンがここで崩れるのもなとサクは思った。
「そうかい。そういえば、ヒナタくん、東京に行くんだってね。あんたもサクくん、寂しくなるでしょ」
そのとき、不意におばちゃんが言った。
その瞬間、空気が止まった。
「えっ?」
チューチュー棒をくわえたまま、サクが固まった。
ヒナタの手がピクリと止まる。
「……あら?」
おばちゃんがきょとんとした顔になる。その後しまった、という表情をすぐに浮かべる。
「え、ヒナタ、東京って……」
「……ごめん」
ヒナタが絞り出した一言だった。そして、急に立ち上がった。
「行こっか、サク」
「え?うん」
サクはチューチュー棒を握ったまま立ち上がった。胸の中に言いようのないもやが渦巻いていた。怒りでも悲しみでもなく、ただ何かが崩れる音がした。
ヒナタは少し早歩きで、サクの少し前を歩く。サクもただとにかく追いかけていく。追い越そうとはしなかった。どう声をかければいいか分からなかった。
ただ歩き続けるとサクの中で一つだけ引っかかっていることに気が付いた。
「……なんで言ってくれなかったの?」
ポツリとサクがこぼした。その言葉にヒナタは立ち止った。
「……別に、言っても意味ないと思ったし」
ヒナタは振り返らなかった。どこか遠くを見るようにして、歩き出そうとした。
「意味なくなんかないよ!」
思わずサクが声を荒げた。自分でも驚くほど大きな声だった。
いつの間にか目的の山の坂道に入っており、あたりはひんやりしていた。サクの荒げた声が山に響き渡る。
「東京に行くの、本当なんだね」
ヒナタは少しだけ黙って、それからうなずいた。
「うん。来月の初めには、もう行くんだ。お父さんの仕事の都合で。ずっと前から決まってたんだけど、なかなか言えなくて」
その言葉を聞いた瞬間、サクの胸の奥がギュッと音を立てて縮んだ。
「……は? ずっと前からって、どれくらい?」
「……春くらいから、かな」
「春……って、三年生になったときから?」
ヒナタは黙ってうなずいた。
サクはしばらく動けなかった。頭が真っ白になって、でも胸の奥では何かが爆発しそうに燃えあがっていた。
「ふざけんなよ……」
小さくつぶやいたその声に、ヒナタが顔を上げる。
「え?」
「ふざけんなよヒナタ! そんなの、なんで言わなかったんだよ!」
「サク……」
「ずっと一緒に遊んできたのに、毎日会ってたのに、なんで……なんで僕だけ知らなかったんだよ!?」
サクの声は怒りで震えていた。だけど、その奥には、もっと別の感情があった。
わからなかった。どうすればいいかなんて。怒っているだけど、怒りたいわけじゃない。でも口から出る感情は、怒りだけだった。
「信じてたのに……友達だと思ってたのに……。ずっと黙って、平気な顔して……僕、バカみたいじゃん」
「平気なんかじゃないよ!」
ヒナタも叫び返した。目のふちが赤くなっている。
「言いたかった! でも言ったら、本当に離れることになる気がして……サクに会えなくなるのが怖くて……」
「僕だって怖いよ! でも、それでも言ってほしかったんだよ……! そしたら僕だって……ちゃんと気持ちの準備ができたのに!」
ヒナタはぐっと唇を噛んだ。
「地図だって嘘だ!そんなものなんてないのに!」
ヒナタはポケットから地図を取り出す。地図はしわくちゃになっていた。
「これは本当に拾ったんだよ。嘘じゃない!」
サクはヒナタの横に立って、じっとその紙を見つめた。山のふもとに描かれた小さな星印は、さっきよりもずっと切なく光っているように見えた。
地図を持つ手が震えている。
「地図なんかじゃなくて、最初からそう言えばよかったんだよ。『引っ越すから、最後に冒険しよう』って。それなら僕、何だってやったのに!」
「……そんなこと、言えないよ」
「なんで!? 僕が泣くと思った? 怒ると思った? そうじゃなくて……信じてなかったんじゃないの? 僕が逃げるって、思ってたんじゃないの?」
ヒナタは顔を上げる。その目には、怒りも、悲しみも、悔しさも混じっていた。
「そんなこと……思ってない! でも、自分でもどうしていいか分かんなかったんだよ……。家でお父さんとお母さんが話してるの、聞こえるたびに怖くて……どうしても言えなかったんだよ……!」
風が吹いた。ヒナタの握る地図がばさりと揺れて、星印のあたりが折れ曲がる。
「お金が欲しいって言ったのも……ほんとはね、ここで暮らしていけたらって思ったから。お金があったら、お父さんも東京に行かなくてすむって!」
サクはその言葉を聞いて、しばらく黙った。怒りの火が少しずつ消えて、その代わりに静かに残ったものが胸に沈んでいく。
ヒナタは本当にどうしたらいいか分からなかった。だから地図を作った。答えが欲しかった。家族がなぜ東京に行くかなんて、多分ヒナタは分からないのだろう。お金が必要なら、田舎の方が安く済むに決まっている。吉田のおばちゃんがおすそ分けだってしてくれる。だからお金はいらないはずだろう。それでも、東京に行かないといけない理由はきっと別であって、それはヒナタには分からない。当然サクにだって分からない。
「……それでも、行きたかったんだよ」
ヒナタはしわくちゃになった地図を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「どうして……?」
サクの声は、もう怒ってはいなかった。むしろ、今にも泣き出しそうな声だった。
ヒナタは地図をサクに見せながら、ゆっくりと話し始めた。
「僕、ずっと考えてたんだ。どうしたら、東京に行かなくてもいい理由ができるかなって。でもさ、どう頑張っても無理だった。家のことも、お父さんの仕事のことも、僕にはどうしようもできなかった。だから……」
「だから、願いが叶う場所を作ったの?」
サクの言葉に、ヒナタは静かにうなずいた。
「そうすればさ、なんか……この町にまだ“何か”があるって思えたんだ。サクと一緒に探しに行って、最後に願い事をして、もしそれが叶えば……本当にここにいられるんじゃないかって、そんな風に思いたかっただけなんだよ……」
サクはしばらく黙っていた。
夏の風が、二人の間を抜けていった。
「バカだな、ヒナタ」
ようやく絞り出すように言ったその言葉に、ヒナタはびくっと肩を揺らした。
「そんなの……叶うわけないじゃん。願い事しても、お金なんて空から降ってこないし、東京の話が消えるわけじゃない」
「わかってるよ……」
ヒナタはうつむいた。
「でもさ」
サクが続けた。
「だったらせめて、最後まで一緒にいてよ。嘘じゃなくて、本当のこと話して、一緒に歩いてくれれば……それでよかったんだよ」
ヒナタはサクを見上げた。その目に、涙が溜まっていた。
「一緒に行こう、“願いが叶う場所”まで」
サクが歩き出す。ヒナタは慌ててその後を追った。
「え、いいの? 怒ってたんじゃ……」
「怒ってるよ。でも、それでもさ。ここまで来たんだ。途中でやめたら、きっと後悔する。だから最後まで行こう」
ヒナタはぎゅっと唇を噛んでから、頷いた。
「うん……ありがとう」
そうして二人は、山の中を、木漏れ日の中を、汗を拭いながら、また歩き出した。
地図の星印が示す場所。それが本当に“願いが叶う場所”かどうかなんて、もうどうでもよかった。ただ、今は二人が同じ足音で、同じ時間を歩いていることが、何より大切だった。
草きれの匂いが濃くなっていた。昼を過ぎた太陽がじりじりと肌を焼くけれど、二人の背中にはもう迷いがなかった。
「あの鉄塔、見えてきた」
サクが木の枝をかき分けながら言うと、ヒナタも顔を上げた。森の切れ間の向こう、空を貫くように伸びる鉄塔が、青空の中でゆらいで見えた。
「やっぱりここだったんだ……」
地図に描かれていた星印の場所。ヒナタが願いが叶う場所と信じていた場所。町のはずれの小高い丘の上に、ただ黙って立ち尽くすその鉄塔は、昔からずっとそこにあった。
二人は無言で鉄塔の足元まで歩いた。見上げると、金属の骨組みの間を風がすり抜けて、わずかに唸るような音を立てていた。
「願い事するの?」
サクがそっと聞くと、ヒナタは首を横に振った。
「もう、いいんだ。ここに来ることが、大事だったから」
ヒナタは地図の紙を丁寧に折りたたんで、ポケットにしまった。
「願い事じゃなくて、約束にしよう。僕、サクと一緒にいたこと、ぜったい忘れない。たとえ東京に行っても、この夏をずっと思い出す」
「……忘れるわけないだろ、そんなの」
サクは口をとがらせて、わざとそっぽを向いた。でもその耳が赤くなっているのを、ヒナタは見逃さなかった。
「じゃあさ、また来年、ここで会おうよ」
「え?」
「お盆とか、夏休みとか、帰ってこれたらさ。そしたら次は一緒に地図作って、冒険するんだ。今度はもっとすごい地図にしよう。」
サクはほんの少し考えて、それから小さく笑った。
「うん。約束」
二人はその場にしゃがみ込み、小さな穴を掘った。そこにヒナタがさっきまで、駄菓子のアタリがたくさん入っていたビニール袋に地図や残ったアタリを入れて、穴の中に入れた。簡易的なタイムカプセルだった。そしてその穴を埋めたうえに、少し大きな石をもってきて、上に置いた。
「これが目印。次あったときはちゃんとした箱に入れてさ、もっといろんなものを入れよう」
ヒナタがそう提案する
「そうだね」
風がまた吹いた。鉄塔がかすかにきしむ音が、どこか心地よかった。
日が傾き始め、二人は来た道を引き返し始めた。歩幅は自然とそろっていた。時折ふざけあいながら、笑いながら、足元の草を踏みしめていく。
この夏は、きっと二度と戻ってこない。
でも、それでもいいと思えた。
また二人で探せばいい。
いつか本当に『願いが叶う場所』になるだろうから。
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