第26話
硝煙の匂いが立ち込める、静寂を取り戻した戦場で。
アレクシス様の、わたくしの名を呼ぶ魂からの叫びだけがいつまでもいつまでも響き渡っていた。
その声に、導かれるように。
わたくしたちは、崖の上の小さな獣道を、一歩、また一歩と下っていった。
全身が、泥と煤にまみれ疲労で足が鉛のように重い。
それでも、不思議と心はどこまでも晴れやかだった。
崖の下で、わたくしの姿を認めたアレクシス様は、まるで子供のように駆け寄ってきた。
そして、その傷だらけの腕でわたくしの両肩を強く強く掴んだ。
「馬鹿者っ!」
その声は、怒りに、震えていた。
「どれだけ、心配したと思っている……! もし、お前に何か万が一のことでもあったら……!」
普段の、あの氷のように冷静沈着な彼からは、到底想像もつかないほどの剥き出しの感情。
わたくしは、そのあまりの剣幕に驚いて目を見開いた。
そして、すぐに彼のその怒りがわたくしを心の底から本気で心配してくれていたが故のものであることに、気づいた。
「……ご心配を、おかけしましたわね、閣下」
わたくしは、そっと微笑んで見せた。
「ですが、ご覧の通りわたくしはこの通り無事ですわ。かすり傷一つございません」
「……」
彼は、何も言わない。
ただ、わたくしの肩を掴むその手にさらに力がこもる。
その、不器用でしかしあまりにも真っ直ぐな、彼の想いが痛いほどに伝わってくる。
わたくしたちの間には、もはや言葉は必要なかった。
◇
鷲ノ巣砦の、後処理は迅速に進められた。
生き残ったガルニアの兵士たちは、捕虜として拘束され砦は再び王国騎士団の手に取り戻されたのだ。
その中で、わたくしたちは一人の男を捕らえた。
砦の門を、内側から敵に開いた裏切り者だ。
彼は、砦の片隅で恐怖に震えながら隠れているところを簡単に見つかった。
アレクシス様は、その男を砦の司令室だった部屋へと引きずっていった。
「……なぜ、裏切った」
低い地を這うような声だった。
その声には、仲間を裏切られた騎士としての静かなしかし底なしの怒りが込められていた。
男は、最初は口を閉ざしていたが、アレクシス様のその全てを見透かすような、青い瞳に見つめられやがて、堰を切ったように全てを白状し始めた。
「……金のためじゃ、ありやせん。脅されたんでさ……!」
「誰にだ」
「……それが、それがしにも分からねえんでさ。ただ王都にいるわしの女房と子供の命を盾に取られて……!」
男は泣きながら語った。
彼に、裏切りを指示してきたのはガルニア帝国ではなかった。
王都にいる、何者かが彼に接触し従わなければ家族の命はないと脅してきたのだ、と。
そして、男は震える声で、その黒幕の名を口にした。
「……聖女様、でした」
「……何?」
「アイラ・ミモザ様とかいうお方から、遣わされたと……。その使いの者は確かにそう名乗りやした……!」
その、あまりにも信じがたい言葉にその場にいた誰もが息を飲んだ。
アイラ嬢が、隣国であるガルニア帝国と内通していた……?
彼女が、わたくしを魔女だと告発しこの地から排除しようとしたあの一連の行動の全ては……。
(ただの嫉妬や嫌がらせなどではなかった……!)
この国の、政務の混乱。
辺境の、守りの手薄さ。
その全ての情報を彼女が、帝国に流していたのだ。
そして、その計画の最大の障害となるであろうわたくしの存在を何としても消し去りたかった。
全てが、繋がった。
そのあまりにもおぞましい売国行為の全貌が、今、明らかになる。
◇
わたくしたちは、その裏切り者の男を引きずるようにして別邸へと連れ帰った。
そして、ユリウス殿下の目の前に突き出した。
「……嘘だ」
全ての真相を聞かされたユリウス殿下は、まるで子供のように首を横に振った。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ! アイラが僕のアイラが、そんな国を裏切るような大それたことをするはずがない!」
「これが現実です、殿下」
アレクシス様が、氷のように冷たく言い放つ。
「貴方が、そしてこの国が、あの女にどれほどまでに深く裏切られていたか。その目で、今お確かめください」
わたくしたちは、アイラ嬢が閉じこもっている部屋の扉を蹴破るようにして開いた。
彼女は、突然の乱入者に悲鳴を上げベッドの上で怯えたように震えている。
「まあ、皆様、どうなさいましたの……? こんな、乱暴な……!」
しかし、彼女のその白々しい芝居も、裏切り者の男の姿を認めた瞬間終わりを告げた。
「あ……あ……」
彼女の顔から、血の気が引いていく。
全てを悟ったのだろう。
「いやっ!来ないで!わたくしは、知らない! 何も、知らないわ!」
彼女は、金切り声を上げると部屋の窓から飛び降りて逃げようとした。
しかし、その哀れな悪あがきはアレクシス様の部下たちによっていとも簡単に阻まれた。
取り押さえられ、床に無様に組み伏せられるかつての、『聖女』。
その一部始終をユリウス殿下は、ただ呆然と立ち尽くして見ていることしかできなかった。
彼が信じて愛し、そのために全てを捨てたはずの少女の本当の姿。
辺境の地で手にした奇跡的な勝利。
しかし、その栄光の裏で暴かれたあまりにも醜悪な裏切り。
わたくしたちは、まだ知らなかった。
この聖女様の売国行為のその根が、一体どれほどまでに深くこの国の闇の中枢にまで及んでいるのかということを。
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