第20話

審問の一件が、嘘のように過ぎ去った。

わたくしへの嫌疑は晴れ、アイラ嬢とユリウス殿下は、さすがにバツが悪いのか、自室に引きこもりがちになった。

領地は再び、穏やかな日常を取り戻した。


しかし。

穏やかでないものが、一つだけあった。

それは、わたくしの、このどうしようもなく厄介な心だった。


(なぜ、まともに、お顔が見られませんの……!)


恋というものを、はっきりと自覚してしまってからというもの、わたくしは、アレクシス様のことを、今まで通りに平常心で見ることが、全くできなくなってしまっていた。


彼の声を聞くだけで、心臓が馬鹿みたいに跳ね上がる。

廊下ですれ違うだけで、頬に血が集まって熱くなるのが分かる。

仕事の話をしていても、ふとした瞬間に、あのバルコニーでの彼の横顔や、訓練場で見た逞しい背中を思い出してしまい、思考が明後日の方向へ飛んで行ってしまうのだ。


「……で、お嬢様は、どうお考えですかな?」


「えっ? あ、はい、ええと……その件に関しましては、善処いたしますわ」


村長たちとの打ち合わせでも、この通り。

話が全く頭に入ってこない。


「お嬢様? 最近、少しぼーっとしていらっしゃいますけれど、どこかお体の具合でも?」


心配そうに、侍女のアンナが顔を覗き込んでくる。

わたくしは、慌てて笑顔を作った。


「いいえ、何でもないわ、アンナ。少し、考え事をしていただけよ」


(ああ、わたくしの馬鹿……! 公私混同も、甚だしいですわ!)



一方で、アレクシス様もまたわたくしの態度の変化に少なからず戸惑っているようだった。


審問の後、あのバルコニーで話した時、確かに彼女との間にあった見えない壁が取り払われたように感じた。

それなのに。

翌日から、彼女はまた以前のように、いや、以前とは少し違う形で自分を避けるようになった。

何か、怯える小動物のようにおどおどと。


(俺は、また何か、彼女を怒らせるようなことを、してしまったのだろうか……?)


以前の「セクハラ事件」の記憶が彼の脳裏をよぎる。

あの時も、自分は良かれと思って口にした言葉で彼女を激怒させてしまった。

今回も、きっと、自分のあのデリカシーのない言動のどれかが彼女の逆鱗に触れてしまったに違いない。

そう思うと、迂闊に声をかけることすら躊躇われた。


二人のぎこちなさは、日課となっている森の小屋への訪問の際に最高潮に達した。


以前は、穏やかで温かい時間が流れていたはずのあの場所。

それが今では、気まずい沈黙が支配する針の筵のような空間と化していた。


わたくしは、アレクシス様と目を合わせないよう

にひたすら子ギツネに夢中になるふりをする。


「まあ、すっかり元気になりましたわね! この子ったら、食いしん坊さんですこと!」


「……ああ。足の傷も、もうほとんど塞がっているようだな」


「え、ええ! そうですわね! これも全て閣下のその素晴らしい手当てのおかげですわね!」


早口で、何を言っているのか自分でも分からない。

そんなわたくしたちの不自然な会話に、子ギツネだけが、不思議そうに首を傾げていた。



その夜。

わたくしは、自室のベッドの上で頭を抱えていた。


(駄目ですわ、これでは! 仕事にも、私生活にも支障が出すぎです!)


この胸の苦しみは一体、何なのか。

恋?

そう、認めてしまえば楽になるのだろうか。


(いいえ、駄目ですわ。そもそも、わたくしは王家から追放された悪役令嬢。彼は、この国を守るべき気高く誇り高い騎士団長。あまりにも、立場が違いすぎます)


それに、と。

わたくしは、彼の言葉を思い出す。


『俺の仕事が、これ以上増えるのは、ごめんだと』


そうだわ。

彼がわたくしを庇ってくださったのは、あくまで騎士としての正義感と面倒事を避けたいという合理的な判断から。

決して、わたくし個人に何か特別な感情を抱いてくださっているわけではない。

全ては、わたくしの自惚れた勘違いなのだ。


考えれば、考えるほど、ネガティブな思考の沼に、ずぶずぶと沈んでいく。

そして、考えに考え抜いた果てに、わたくしは、一つの、とんでもない結論に、たどり着いた。


(そうだわ、そうに違いありませんわ!)


ガバッと、ベッドから起き上がる。


(この胸の動悸や息切れや顔の火照りは、恋などという浮ついたものでは断じてない!)


これは!

そう!


(これは、推しがあまりにも近すぎる距離にいることによって引き起こされる、過剰なまでのストレス反応なのですわ!)


推しは、本来遠くからその尊いお姿を拝見し心の糧とするべきもの。

それが、四六時中すぐそばにいて気安く話しかけてくるなどファンの心身にとっては毒でしかない!

いわば、『推し近すぎアレルギー』とでも呼ぶべき、深刻な病状!


(解決策は、ただ一つ!)


わたくしは、拳を強く握りしめた。


(彼と適切なファンとしての、節度ある距離を保つこと!そうすれば、この忌々しいアレルギー症状もきっと綺麗さっぱり治まるはずですわ!)


そうと決まれば、話は早い。

わたくしは、妙にすっきりとした気分で、明日からの「対アレクシス様・ディスタンス作戦」の計画を、練り始めた。


その頃。

アレクシス様が、わたくしの部屋の前まで来て、扉をノックしようかやめようかと柄にもなく、うじうじと逡巡していたことなど、知る由もなかった。

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