第7話

領地に到着してから、瞬く間に数日が過ぎた。

わたくしは朝から晩まで領内を駆け回り、夜は書斎で計画の策定に没頭する。充実感に満ちた、完璧な毎日だ。

そんなわたくしの姿を見かねたのだろう。老執事のゼバスチャンが、ある日の夕方、困ったような顔で言った。


「お嬢様。今宵は少し、お仕事の手を休めてはいかがでしょう。厨房の者が、腕によりをかけて晩餐の準備をしております故」


「晩餐? ああ、いつも通り、部屋に運んでくだされば結構よ」


「いえ、今宵はぜひ、食堂でお召し上がりください。……騎士団長閣下も、お待ちでございます」


「…………はい?」


今、何と?

騎士団長閣下も、お待ち……?

つまりそれは、あの、アレクシス様と、差し向かいで、お食事を、共にしろと、そういうことですの……?


わたくしの思考は、そこで完全に停止した。



そして現在。

わたくしは、長いダイニングテーブルの主賓席で、完璧な姿勢を保ったまま硬直していた。

向かいの席には、もちろん、アレクシス様が座っている。

銀のカトラリーが皿に触れる、カチャリという小さな音だけが、やけに大きく響き渡る。静かだ。気まずすぎる。


(ああ、神よ……! これが、謹慎という名の罰なのですか!?)


推しは鑑賞物。遠くからその尊いお姿を拝見し、心の糧とするべき存在。

それなのに、こんな至近距離で、一つ屋根の下どころか、同じテーブルで食事をするなど!

心臓に悪すぎる。緊張で、せっかくの料理の味も砂を噛むかのようだ。


ちらり、と向かいの推しを盗み見る。

ああ、ナイフとフォークを扱うその手つきさえ、なんと優雅で力強いことか。

咀嚼する際の、喉仏の動きが、なんとも男性的で……。

いけない、いけない。観察がすぎる。今は、ただの食事ですわ。


アレクシス様も、居心地が悪そうだった。

何を話せばいいのか分からない、といった風に、ただ黙々と食事を進めている。

それもそうでしょう。監視対象は、筋肉だの土だの剣だの、意味不明なことばかり口走る、とんでもない令嬢なのですから。


重苦しい沈黙が続く中、先に口を開いたのは、意外にも彼の方だった。


「……リリアンヌ嬢」


「は、はいっ! な、なんでしょうかっ!」


思わず、ひっくり返った声が出てしまった。

慌てて咳払いをすると、彼は少しだけ怪訝な顔をしながらも、話を続けた。


「貴女が書斎に置いていた計画書、少しだけ見させてもらった」


(えっ!? いつの間に!? わたくしの、あの、緻密かつ大胆な、完璧な計画書を!?)


「……あれは、本気で実現させるつもりか」


彼の声には、単なる監視役としての詰問ではなく、純粋な興味と、為政者としての視点がかすかに含まれていた。

そのことに気づいた瞬間、わたくしの緊張は、別の種類の興奮へと変わった。

自分の得意分野の話を、この方に聞いていただけるなんて!


「もちろんですわ! あの計画に、一点の曇りもございません!」


わたくしは、思わず身を乗り出していた。


「第一農村の土壌改良に必要な腐葉土の量はおよそ三百トンと算出できますが、第三の村から労働力を百人借り受ければ、実働一週間で全ての運搬が可能ですわ。その見返りとして、第一農村は冬の間の食料となるジャガイモを提供する。Win-Winの関係ですの!」


「第二農村の防風林には、成長が早く根が深いことで知られる北の黒松が最適です。種子はすでに王都の取引先に手配済み。三年もすれば、風の影響は半減するでしょう!」


「それらの初期費用は、全てわたくしの私財から捻出いたします。ですが、ご心配なく! 三年後には、この領地からの税収増で十分に回収可能ですの! 計算上では、五年後には黒字に転換し、十年後には、王都のそこらの伯爵領よりも、よほど豊かになっているはずですわ!」


一度話し始めたら、もう止まらない。

我に返った時、目の前のアレクシス様は、ナイフを持ったまま、完全に固まっていた。

その青い瞳が、見たこともないほど大きく見開かれている。


しまった。

またやってしまった。

推しの前で、オタク特有の早口を披露してしまいましたわ……!


顔から、ぶわりと火が出るのが分かった。


「……なぜだ」


ぽつり、と彼が呟いた。


「なぜ、これほどの才覚を持ちながら、王都ではあのような真似を……」


『あのような真似』。

それは、ユリウス殿下が声高に叫んでいた、アイラ嬢への嫌がらせ行為のことだろう。

その質問で、わたくしは完全に冷静さを取り戻した。


「……さあ、何のことでしょう。わたくしは、お噂通りの、ただの悪役令嬢ですわよ」


すん、と表情を消し、再び『氷の華』の仮面を被る。

すると、目の前の彼は、何かを深く考え込むように眉を寄せた。


気まずい沈黙が、先ほどよりもさらに重く、のしかかってくる。

緊張のあまり、わたくしの手から、フォークが滑り落ちた。

カシャン!と甲高い音が響き渡る。


「も、申し訳ありません……!」


「……気にするな」


静かな、低い声だった。

その、たった一言が、なぜだかわたくしの心臓を貫いた。

(優しい……)

そう思った瞬間、わたくしの混乱は頂点に達した。


「閣下、もしかして、わたくしの作ったこの食事が、お気に召しませんでしたの!?」


自分でも、何を言っているのか分からない。

わたくしの突拍子もない質問に、アレクシス様の眉間のシワが、さらに深くなった。


「……いや、あなたが」


(あなたが、分からない)

彼はそう言いたかったのだろう。

だが、混乱したわたくしの耳には、こう聞こえてしまった。

(あなたが、気に食わない)と。


「―――っ!」


胸に、氷の矢が突き刺さったような衝撃。


「……もう、結構ですわ!」


わたくしは、椅子を蹴るように立ち上がると、そのまま食堂を飛び出した。

背後で、アレクシス様の困惑した気配が突き刺さる。


推しとの初めての晩餐は、胃が痛くなるほどの緊張と、致命的な誤解だけを残して、最悪の形で幕を閉じたのだった。

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