淑女と白糸

デスヨコハマ

淑女と白糸

 照りつける日差し。灼熱と化したアスファルトは、熱気を放ち揺れている。酷くうなだれつつ帰路に就く私。左手で握りしめたホームセンターのビニール袋が、汗でべっとりと張りつく。中身の練炭とライターの重みが、腕をずっしりと引き下げる。今日こそ、これで終わりだ――希死念慮が、灼熱のアスファルトに溶けていくように薄れていく。

 熱を帯びたボロボロの腕時計を眺めると、12時前……。

 とあってるのかも分からない時間が頭の中をこだまする。

 今日もいつも通り街は閑散としていた。先程からすれ違うのは、無秩序に路上に停められた車や酷く色あせたかつての看板や標識ばかりだった。

 廃墟のような住宅街を抜けると、突然、笑い声が響いた。空き地だ。誰もいないはずの街で、人の気配――いや、声だけが賑やかだ。私の足が、無意識に止まる。

 だが人付き合いの苦手な私にとっては、もとより素通りする選択肢しか持ち合わせていなかった。

 そうしてそのまま、まっすぐと続く道路の先を見つめ、賑わう空き地を横目に通り過ぎようとした。

 その時。

 「ちょっと、そちらのお嬢さん。」

 老齢の女性と思われる声が私の歩みを止めた。

 道路には私以外に人は居ない。どうやら私のことを呼んでいるらしい。私は驚きつつ振り向いた。

 「……はい」

 少しうわづった声で答える。人と話すのは数週間、いや、数ヶ月ぶりだ。そこには、上品な佇まいの老女が、真っ白のドレスに身を包み立っていた。年齢の割に派手な格好ではあったが、決して不釣り合いということはなく、むしろ彼女の気品を高めているようだ。

 「こんな天気のいい日なんだから、あなたも寄っていくといいわ。」

 と話しかける老女の言葉に私は少し後退りをした。確かに晴天ではあるが、こんな炎天下の中で外に居続けるなど正気の沙汰ではない。ましてや私たちは初対面だ。

 「いえ……私は……」

 と小さな声で答えかけた私を遮るように老女は言った。

 「今、みんなで流しそうめんをやってるの。お昼、一緒にどう?」

 彼女の目が、優しく私を捕らえる。断ろうとした言葉が喉に詰まる。昨日から何も口にしていない胃が、勝手に唸る。気づけば足が、ひとりでに空き地へ向かっていた。



  青々とした竹の中を勢いよく水が流れている。こんな綺麗な竹を今時よく手に入れられたと感心していた。とめどなく流れる水の上を時折り白糸の束のようなそうめんが素早く流れていく。

  周囲の人々はそれぞれ数人のグループを作り、そうめんを囲みながら談笑していた。その誰もが顔に笑顔を浮かべている。周りは見知らぬ顔しかなかったが、久方ぶりの笑い声の溢れる空間に、少しばかりの心の落ち着きを感じることが出来た。先程まで私を苦しめていた醜悪な暑さもこの空き地では、妙にやわらいでいるように感じる。

  私はつゆ入りの器を持ち、暴走寸前の食欲に耐えていた。

 そんな私を見かねてか、隣に立っていた老女がにこやかに笑いかけながら言った。

 「遠慮しなくていいのよ、好きなだけ食べて行きなさい。」

  割り箸を伸ばし、流れる白い糸を掴む。つゆに浸して、勢いよくすする。十数時間ぶりの味が、喉を滑る。至福――でも、周りの人々に、そうめんを口に運ぶ者はおろか箸で掴む仕草を見せる者さえいない。笑い声だけが、響いている。

 「ごめんねぇ、薬味も用意できなくて。好きなだけ召し上がって行きなさいね。」

 老女が優しく語り掛けた。

 「とんでもないです……とても美味しいです……ありがとうございます。」

 と心から礼を言った。

 この老女の前では不思議と初対面の人間に対する緊張を感じることはあまり無かった。

 近くで見ると一層際立つ純白のドレスは陽の光を反射して輝いて見える。

 ほうれい線や多少のシワは見られるものの、くりくりとした大きな目や鼻筋の通った顔は彼女のかつての美貌をうかがわせていた。

 「こんな老いぼれをまじまじと見るものじゃないわ。でも、こんな格好をしてると無理もないわね。」

 「あっ……ごめんなさい…… 」

 私はジロジロと彼女を凝視していた自分に気づき謝罪したが、決して優しいほほ笑みを絶やさない彼女の様子に安堵した。

 「この派手なドレスが気になるんでしょう? 職業柄ね。実は私、霊能力者なの。クローゼットがこんな服だらけになるのよ。」彼女は笑うが、目が少し遠くを見る。

 老女の言葉を聞いて、会った時から感じていた底知れない貫禄やえもいわれぬ雰囲気の正体がわかった気がした。

 霊能力者といえば幼少期にテレビで見たことがある。降霊術や透視、一般人には見えない物を見えると言い張り、騙し、貧乏人や悩める人々を食い物にする。そのほとんどはもちろん眉唾物だということは心得ていたし、当時の私も幼いながら冷めた視線を送っていた。

 今まさに眼前にいる彼女も、確かに同種の人間ではあるのだろうが、なぜだか嫌悪感や蔑む気は起きなかった。

 「今日は無理やり参加させちゃったみたいでごめんなさいね。あまりにも思い詰めたように歩いていたあなたを見てどうしても声をかけたくなったの。」

 そんな老女の言葉に私はスピリチュアルな人生相談が始まってしまったと思った。来たことを後悔し始めたのが顔に表れてしまったようだ。

 「違うの違うの! 安心して、霊的な話は無しよ、お金も取ったりしないから。悩める若者の相談を聞く位は、霊の力を借りなくてもできるわ。職業柄、相談相手になるのには自信があるの。」

 と彼女は取り繕うように言葉を続けた。

 「そうだわ、自己紹介がまだだった。西念未知よ、よろしくね。今日は懐かしい人に会いに久しぶりにこっちに来たの。あなたのお名前をお聞きしてもいいかしら? 」

 目の前の霊能者は丁寧にお辞儀をした。

 「橘静子です……」

  私も少しどもりながら精一杯の自己紹介とお辞儀を返した。

 「静子さん、いいお名前ね。」

 自分の名前がありきたりな名前であることは百も承知である。無難な反応が返ってくるのも無理はない。

  「今日はなにか予定があったのかしら?お友達とどこかにお出かけした後だったとか、もしかしてボーイフレンド?」

  未知は柔らかな笑顔を見せ楽しそうに聞いてきた。

 「いえ、そのような関係の人は私にはいないです…… ただ食糧を調達しに外出しただけで……。」

 と聞かれたことにだけ義務的に答えた。いつもなら人間関係について聞かれるのは苦痛なはずだ。しかし、その時は不快感をあまり感じなかった。久しぶりの会話に集中力をすべてもっていかれていたのだろう。

 「あら、そうなの…… なんだか悪いことを聞いてしまったみたいね…… こんなに可愛らしいお嬢さんなのに、人と関わらないなんてもったいないわ。」

 未知の顔からほころびがすこし消えた。

 「私あまり人に好かれないんです……昔からあまり人と話すのは苦手で……というか、よく人から無視されるんですよ…… 自分の影が薄いのか目つきが悪いのか……とにかく人に好かれないんです。」

  つっかえながらではあったが自分の悩みを打ち明ける。

 「今だって、周りにはこんなに人がいるのに、入ってきた時誰一人として私のほうをちらりとも見なかったし……。」

  ここぞとばかりに思いの丈を未知に呟く。

 ありきたりな同情の言葉が返ってくるかと思ったが、未知の口から思いもよらぬ言葉が放たれた。

 「静子さんは''流しそうめん''』の起源って知ってる?」

 私は首を横に振った。

 「流しそうめんはね三途の川に見立てたものなのよ。あの世とこの世を繋ぐ川『三途の川』を隔てて食べることでご先祖さまと食事を共にするって意味があるの。江戸時代から続く由緒正しい食べ方なのよ。今日はお盆。あの世の人々が帰ってくる日よ。江戸の人達もお盆には流しそうめんをよく食べたそうよ。最近はあまりしないみたいだけどね。」

 その言葉が、胸の奥に冷たく染み込んだ。

 三途の川。

 あの世とこの世。

 「辛かったわよね。あなたの気持ちはよく分かる……おそらく今この場であなたと話せるのは私だけだと思う。''無視された''と思っても仕方ないわよ。」

  未知は静かに、私の肩に手を置こうとして――指先が、するりと空を切った。

 ……そうか。私は、いつ死んだんだろう。ウイルスが猛威を振るったあの頃か。

 熱にうなされて、誰も助けに来なくて、ただ一人で――。涙が、勝手に溢れた。

 嗚咽が喉を震わせる。

 ずっと感じてきた孤独が、ようやく形を成した。

 私はもう、生きていない。

 だから誰も振り向かない。

 だから、誰とも繋がれない。

 いつ死んでも後悔はないと思っていた。

 そんな自分がまさか現世に縛り付けられた未練の塊だったとは……。

 号泣する私を見た未知は慰めるように語りかける。

 「みんな最初はそうだわ。今まで見てきた世界が大きく壊れるんだもの。でもね、今の私にはどうやって向き合って行けばいいかは伝えられないの…… そう、今の私にはね……」

  私は嗚咽しながら、クシャクシャになった顔で未知の顔を見上げた。

 「ごめんね……。昔だったら抱きしめて慰めることもできたのに……。無理なのよね……今の''実体のないこの私の体''では。」

 未知のその言葉に、はい……?と、間の抜けた声がもれた。

 「未知さん''も''……幽霊ってこと?」

 「も?……そうか! ごめんなさい、ややこしい言い方をしちゃったわね。誰もあなたが死んでしまっているなんて言ってないわ。単純に''あなたのことが見えてるのは私だけ''っていったの。」

 周りを見回す。

 笑い声が響く。

 箸を動かす手がある。

 でも、誰もそうめんを口に運ばない。

 誰も、つゆの器に手を伸ばさない。

 誰も、私の方を見ていない――いや、見ようともしていない。

 状況が呑み込めない。

 いつの間にか、未知の足元に小さな男の子が立っていた。

 五歳くらいだろうか。浴衣姿で、頬がふっくらしている。

 「おばさーん。誰と話してるの?」

 「あら春夫くん、今おばさんはね大切な人とお話をしてるんだよ。あなたには見えないかもしれないけど大切なお客様よ。ほらご挨拶して。」

 子供の視線が、私のすぐ横の――誰もいない空間に向けられる。

 軽く会釈をして、ぺこり。そして、別のグループの方へ走っていく。……あの子は、私を見ていない。背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。未知が、微笑んだ。

 「あの子には、あなたが見えないのよ。」

 未知は微笑みながら言った。

 「……私たち、死んでるから。」

 私は、息を詰めた。逆だった。私が、生きている。

 ここにいるみんなが――幽霊だった。未知は、静かに続けた。

 「あなたには、特別な目があるの。私も、昔はそうだった。だから、声をかけたくなった。」


 

 かろうじて動いている傷だらけの時計が秒針を鳴らしている。窓枠だけがハマった窓と呼べるかも怪しい開口部から夕焼けで真っ赤に染った空が見える。外の景色は人類の誇っていた栄華を微塵も感じさせないほど荒んでいた。コンクリートから鉄筋が所々剥き出した建物の窓からは、無秩序に緑の木々が生え、道路には茶色に錆びきった車が放置されている。

 どうやってここまで帰ってきたのか思い出せない。夢だったかもしれない。この孤独と生きづらさを忘れさせるために自分が自分についた嘘かもしれない。そんな考えが浮かんでは消えていく。

 詰め物が飛び出したソファに座りながらポケットに手を突っ込んだ。中身をつかみ手を引っ張り出すのと一緒にひらひらと見覚えのない便箋が飛び出した。

 そこにはしっかりとした筆圧で見本のような美しい字で『静子へ 強く生きて。 追伸、そうめんの起源の話は私が考えた嘘です(笑)』とだけ書かれていた。

 床に落ちた新聞の切り抜きが目に入る。

 『未曾有のウイルス猛威をふるう』

 『世界人口の30%の命を奪う』

 『世界各国で暴動止まず』

 物騒な字面ではあるがこの世界で実際に起こったことが他人事のようにつらつらと並べられていた。

 あの練炭とライターを、空き地に置き忘れた。昨日までの私なら、取りに戻っていただろう。でも今は、そうめんの味が、喉に残る。

 強く、生きる――未知の言葉が、胸に響く。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

淑女と白糸 デスヨコハマ @DeathYokohama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画