死に様

リバー

前編

それは一瞬のことだった。


3月27日 金曜日


アクセルとブレーキを間違えた朝比奈文雄の乗っていた車が歩道に進入した。

歩行者計5人を死傷させた事故が発生。


桧山正憲は慌てて病院に向かった。周りの通行人を掻き分けて、一分一秒でも早く、妻と娘が待つ部屋に急いだ。

部屋に着くと妻の桧山恵美と、娘の桧山幸乃の遺体が眠っていた。奇跡的に外傷は少なかったが、車と衝突した際に起こった内臓破裂と、脳挫傷が致命傷になり、即死した。


「恵美…。幸乃…!」


昨日まで普通に暮らしていたんだ。普通ながらも幸せだったんだ。


桧山幸乃は長い不妊治療を経てやっとできた子どもだった。

桧山幸乃は早産による低出生体重児であり、体の機能が他の子よりも未熟であったが、正憲と恵美の献身と周りのサポートにより、大きな病気を抱えることなく育ってくれた。

来週からは幼稚園に入園する予定があり、とても喜んでいた。よく泣き、よく笑う活発な女の子だった。

幸乃は「穏やかに、いつまでも幸せを感じられる人生を歩んでほしい」という思いを込めた名前。


ごめんな…。父さん、守ってあげれなくて…。


桧山恵美とは同じ職場で知り合った。年齢は一つ上で、気が強く、職場で一番恐れられている部長に対しても、間違っていることがあれば言い合いをしてまでも自分を貫くような女性だった。

仲良くなったきっかけは同じ趣味の山登り。会社の飲み会でたまたま隣に座っており、なんとなく聞いた趣味で意気投合した。休日も食事に行く間柄になり、2年の交際を経て結婚した。結婚後、なかなか子宝に恵まれず検査したところ、正憲の精子が弱く、自分が原因で子どもが出来づらいと知った正憲は離婚を提案するが、恵美が首を縦に振ることはなかった。

辛い不妊治療中も一切弱音を吐くことはなく、前向きに治療を行った。

とても強い女性だった。尊敬し、こんな女性と結婚できたことに誇りを持てた。


傍にいてやれなくてごめん…。


辛いことの方が多かったかもしれないが、幸せだった。家族を守るために汗水流して働いた。二人が元気に過ごしてくれるなら、何もいらなかった。それ以外、何も望まなかった。


事故を起こした朝比奈文雄は、町で一番大きい病院の院長であった。事故は車の不具合があると主張しており、自分に責任はないと罪を認めなかった。


正憲は悔やんだ。

あの日もっと早く仕事を切り上げていれば。

もっと早く電車に乗っていれば。

もっと早く家に着いていたら。


しかし、いくら自分を責めても二人はもう戻ってはこない。生き返ることもない。



4月3日 金曜日


桧山恵美と桧山幸乃の葬儀が始まった。奇しくもこの日は幸乃の入園式の日であった。

正憲はただじっと、棺桶に入っている恵美と幸乃を見つめることしかできなかった。正憲の顔に生気はなかった。


「正憲くん」


声のする方に目をやると、そこには義父と義母がいた。


「お義父さん…、お義母さん……。」


「大丈夫かい。正憲くん。顔が恵美や幸乃ちゃんより死んでいるじゃないか。ちゃんと寝ているかい? ご飯は食べているかい?」


肩に優しく手を置く義父の手が震えていた。


ああ、なぜ優しい言葉をかけてくれるのだろう。なぜ気を遣ってくれるのだろうか。あなたに頭を下げ、恵美と結婚の報告をしたときに約束したのに。

彼女を幸せにするって。彼女を支え、守っていくって約束したのに…。


「すみません! すみませんでした…! 俺は、俺は…恵美と幸乃を……」

正憲は膝をつき、義父と義母に土下座をして謝った。自責の念に駆られながら謝った。


「正憲くん。顔を上げてくれ。なんで君が謝るんだ。君はなにも悪くないじゃないか。君は、恵美にとっていい夫で、幸乃ちゃんにとっていい父親だったんだよ。自分を責めないでくれ」


顔を上げることができない。涙が溢れてくる。散々、枯れるまで泣いたはずなのに、涙が止まらない。なぜ俺はこの人たちの前で泣いているんだ。そんな資格はないはずなのに。娘と孫を同時に失って、悔しいのはこの人たちの方じゃないか。申し訳なくて顔が上げられない。


「正憲さん……。この前珍しく恵美が電話をしてきてね。来週は幸乃ちゃんの入園式があるからって知らせてくれたの。みんなで幸乃ちゃんの晴れ舞台を見に行こうって言ってくれたの。

正憲さんが一番幸乃ちゃんの入園式を楽しみにしてるって聞いたわ。仕事休んでも行くって。張り切ってたって…。

あの子、あんまり口にすることはしないけど、正憲さんにとても感謝してたのよ。不妊治療だって正憲さんがいたから乗り越えることができたって。あなたに伝えることはできなかったかもしれないけど。

私たちも恵美が選んでくれた人があなたでよかったって本当に思っているのよ。だからね正憲さん。顔を上げてちょうだい。ちゃんと…二人を見送りましょう」


「……………。」


恐る恐る顔を上げると、優しく微笑む義父と義母がいた。二人の目は微かに赤らんでいた。


満面の笑みで撮られた恵美と幸乃の遺影。参列者に一礼をし、霊柩車に乗る正憲。


「心からお悔やみ申し上げます」


火葬炉の扉が開く。


「恵美。幸乃。大丈夫。俺もすぐに…」


煙突から出る煙が、もうこの世に二人はいないことを非情に知らせた。


体が小さい幸乃が先に骨になった。

正憲と義母が骨上げをし、骨壺に納めた。


次に恵美。

正憲と義父で骨上げをし、骨壺に納めた。


はじめて理恵と幸乃と公園で遊びに行った日を思い出す。

幸乃が滑り台に登って降りてくることができず、正憲が幸乃を持ち上げた。しばらく泣いていたが、恵美が抱っこすると安心したのか、無邪気に笑った。コロコロと表情が変わる幸乃を見て、とても愛おしくなった記憶が蘇った。


幸乃の骨壺は、軽かった。



4月4日 土曜日


恵美と幸乃の遺影に線香を焚き、手を合わせる正憲。

遺影の見える位置に立ち、椅子に登り、天井から吊るしたロープに手をかけ、輪に頭を通した。


「恵美。幸乃…」


椅子を蹴り飛ばした。が、苦しくなかった。なぜ? 首が吊るされたまま止まっていた。正しくは首が締まる前に時間が止まっているようだった。


ガラガラガラと、リビングの引き戸を開ける音。正憲の前に、身長が高い中年太りした男性が現れた。耳は尖っていて、口は耳まで裂けている。鋭い目つきをしており、その姿はまるで…


「悪魔だよ」


「悪魔? なんで…」


「そうさ。俺はそれ以上でも以下でもない。ただの悪魔だ。

お前の考えていることも手に取るようにわかるぞ」


「じゃあおれは死んだのか?」


「いや。まだ死んでない。だが死ぬことは決まった。お前が選んだ未来だ。これは仕方がない。今は俺の力で時間を止めているだけだよ」


「そうか。じゃあ早く殺してくれよ。もう生きる意味がない」


「まあ、焦るなよ。たまたまだ。俺がここに来たのは。お前は運がいい。なんせ俺だからな」


おちょくるように正憲に話しかける悪魔。


「何が言いたいんだ」


「家族を生き返らせたくないか?」


「…何を言っているんだ? ふざけるなよ」


「ふざけてないさ! 俺はいつだって真剣だよ。お前の女房と子ども。生き返らせたくないか?」


「…できるのか、そんなことが」


「できるさ。俺ならな!」


悪魔が骨壺から光る玉を取り出した。


「これが何かわかるか? これはお前の女房と子どもの魂だ。 俺はこれを回収しに来たんだ。だがな。別の魂を持ってくれば、それを代わりにすることができる。言っていることがわかるか? 

二人殺してこい。そしたら代わりにこの二人を生き返らせてやる」


「肉体はもう火葬されてないんだぞ? そんな話信じられると思っているのか? 第一お前は悪魔だろ。信用できない」


「肉体なんざ魂があればなんとでもなる。俺は別にどっちでもいいんだぜ? ここでお前が断れば、止まった時間が動き出して、お前の首が締まるだけだ。信用できるできないの話じゃない。俺が悪魔かどうかなんて今はどうでもいい。大事なのはお前の家族をどうしたいか、だろ?」


「なんでこんな話を持ち掛ける?」


「ただの暇つぶしだ。ただのゲームだよ。ただの気まぐれさ。早く決めろ。首吊って死ぬか。二人を生き返らせて死ぬか。

死に様は自分で決めろ!」


「………殺すのは誰でもいいのか?」


「ああ、構わないよ。人間だったらな」


俺は、一人の男の顔を思い出していた。


「腹は決まったようだな。いいね。お前!

一緒に地獄に堕ちようぜ!!」


後編に続く




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死に様 リバー @fu_0888

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る