そのハムスター、中身は邪神につき。~石器時代の火から宇宙船まで、人類を数万年育成してみた~
編纂ミネストローネ
プロローグ:観察記録No.0『死と再起動』
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
無機質な電子音が、白い部屋の静寂を規則的に切り裂いている。
心電図モニターの波形は、緩やかな右肩下がりを描いていた。数値は「40」を割り込もうとしている。
(……心拍数の低下を確認。血圧、測定不能域へ突入。末梢神経からのフィードバック消失)
ベッドに横たわる私は、薄れゆく視界の中で、天井のシミを見つめながら冷静に思考を回していた。
恐怖? いや、そんな非合理的な感情にリソースを割いている余裕はない。
これは一生に一度しか採取できない、貴重な「死」のデータなのだから。
「ああ……残念だわ」
酸素マスクの下で、私は小さく息を吐いた。
この肉体――個体名『私』という17歳の少女の
先天的な疾患。脆弱な免疫系。病院のベッドという狭い
もっと頑丈な足があれば。もっと広い世界を知覚できる感覚器があれば。
この頭蓋骨に収まった知識欲を、もっと広いフィールドで満たせただろうに。
(視覚野にノイズ発生。これが走馬灯? いや、脳内麻薬による幻覚ね。……ああ、意識が途切れる。脳波の記録装置がないのが、本当に、悔やま、れ――)
ピーーーーーーーーーーー。
電子音が単調な長音へと変わり、モニターの光が一本の線を描く。
その瞬間、私の世界は暗転した。
重力も、痛みも、未練も、すべてがブラックアウトする。
† † †
「――君、面白いね」
暗闇の中で、声がした。
聴覚で拾った音ではない。意識に直接書き込まれるような、クリアな信号だ。
「心停止の瞬間まで、自分の脳死プロセスを実況しようとする人間なんて、初めて見たよ」
「……誰? 死後の世界に、ナビゲーターは実装されているの?」
私は思考だけで問い返した。不思議と恐怖はない。むしろ、死んだはずなのに思考が継続しているこの
「私は管理者。まあ、君たちの概念で言うところの『神』かな」
声の主は、楽しげに笑った。
「君のそのあくなき探求心。そして、欠陥だらけの肉体で腐らせておくには惜しいほどの演算能力。……どうだい? 契約しないか?」
「契約?」
「君が見たがっていた『広い世界』を用意してあげよう。そこは、この地球よりもずっと未成熟で、カオスで、君好みの
目の前の暗闇に、ぼんやりと光の粒が浮かび上がる。
それは星のようにも、螺旋を描く遺伝子のようにも見えた。
「条件は?」
私は即座に尋ねた。タダより高いものはない。それは科学の常識だ。
「条件は一つだけ。その世界に『君』という異物を混ぜることで、どんな化学反応が起きるか見せてほしい。要するに、好きに生きて、好きにかき回してくれればいい」
「悪くない取引ね。……それで? 提供される
神は、少し意地悪く沈黙した。
「それはランダムだ。君の魂の波長に合わせて、現地で空いている器にインストールする。まあ、君ならどんな姿でもやっていけるだろう?」
「……ランダム。不確定要素が多いわね」
私は思考領域の中で、仮想の肩をすくめた。
だが、拒否するという選択肢は、私の辞書にはない。
未知の生態系。未知の法則。まだ見ぬサンプルたちが、私を待っているのだから。
「いいわ。承認する」
「契約成立だ。よい旅を、愛すべき『知識の亡者』」
光が弾けた。
強烈な浮遊感と共に、私の意識は下方へと――あるいは別次元へと、急速に吸い込まれていく。
† † †
湿った匂いがした。
アスファルトや消毒液の匂いではない。
もっと原始的で、豊潤な、土と草の匂い。
(……再起動、完了)
私は重い瞼を開けた。
視線が、低い。
人間だった頃よりも遥かに地面に近い。
手足の感覚がおかしい。指先を動かそうとすると、何かがモゾモゾと口元を擦った。
「?」
視界の端に、黄金色の毛並みが見える。
私はのっそりと体を起こし、近くの水たまりを覗き込んだ。
そこには、つぶらな黒い瞳と、ふっくらとした頬袋を持つ、小さな生き物が映っていた。
「…………なるほど」
私は、自分の新しい「口」で、チューと小さく鳴いた。
「これが私の
その愛らしい姿とは裏腹に、私の脳内では冷徹な計算が始まっていた。
最弱からのスタート。上等だ。
ここからどうやって生態系の頂点まで駆け上がるか。
私の、数万年に及ぶ壮大な実験が、今ここから始まる。
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