天国行きのはずが、異世界で畑を耕すことになりました。
なかごころひつき
第1話「天国のはずが、畑だった」
第1話「天国のはずが、畑だった」
海藤陽市は、昨日死んだ。
と言っても、実感はあまりなかった。
一年前に病気が見つかってから、できることは少しずつ減っていった。
それまでは、休みの日に山へ行ったり、庭で土をいじったり、思い立ったらDIYを始めるような、わりとアクティブな人生だったと思う。
別に、突然心臓が止まったわけじゃない。
ゆっくり、静かに、終わりに向かっていった。
だから、最期の瞬間も穏やかだった。
「……ああ、終わったな」
それが正直な感想だった。
後悔はない。
やりたいことは、だいたいやった。
楽しいことも、しんどいことも、それなりに味わった。
短いけど、割といい人生だったよ、と胸を張って言えるくらいには。
――まあ、母さんより先に死んだのは、さすがに申し訳なかったけど。
――で。
気がついたら、巨大な門の前に立っていた。
雲みたいに白い床。
どこまでも高くそびえる門。
空気そのものが「神聖です」と主張してくるような、やたら荘厳な雰囲気。
どう見ても、現世じゃない。
「……あ、これ、天国か地獄のやつだ」
我ながら、ずいぶん冷静だった。
門の脇には、黒い服を着た青年が立っていた。
人間の姿をしているが、頭には立派な角が生えている。
その青年は分厚い書類を抱え、事務的な顔でページをめくっていた。
「海藤陽市さんですねー」
角のある青年は、淡々とした口調で名前を呼んだ。
「はい」
陽市は素直に手を挙げる。
「えーっと……」
ぱらぱら、ぱらぱら。
青年は紙をめくりながら、小さく頷いた。
「……はい。善行多数、悪行ほぼゼロ。模範的ですね。天国行きで決定です」
事務作業の延長みたいなノリだった。
「ですよね」
なんとなく、そんな気はしていた。
「では最後に一つ。天国へ持っていきたいものはありますか?」
青年が顔を上げ、ペンを構える。
「持っていきたいもの?」
「はい。物とか、能力とか」
少し考えた。
――お金はいらない。
――名誉もいらない。
――強さとかも、別に。
頭に浮かんだのは、土の感触だった。
指の間をすり抜ける土、芽が出たときの小さな感動。
「……植物の種、がいいですね」
「植物の種?」
青年は少し目を丸くした。
「元気な頃、家庭菜園が趣味だったんです。
天国でも、何か育てられたら楽しそうだなって」
「なるほどー。いいですね、それ」
青年は感心したように頷き、書類にチェックを入れた。
「では、天国用の植物の種一式を用意しておきますね」
「お願いします」
門が、ゆっくりと開く。
まぶしい光があふれ出す。
――ああ、本当に天国なんだな。
そう思った、次の瞬間だった。
――ズドン。
「うわっ!?」
足元の感触が、雲じゃない。
固い。
土だ。
転びそうになりながら体勢を立て直し、顔を上げる。
そこは、森だった。
高い木。
見たことのない草。
聞いたことのない鳴き声。
「……ん?」
そのとき、背後から不穏な音がした。
ガサッ、ガサガサ。
振り向いた先にいたのは――
牙のある、毛むくじゃらの、どう見ても人間じゃない何か。
「……え」
次の瞬間、そいつが突進してきた。
「え、ちょ、天国ってこんな感じ!?!?」
全力で逃げた。
枝に引っかかり、石につまずき、それでも必死に走る。
幸い、相手は途中で諦めたらしく、気づけば追ってくる気配はなくなっていた。
「はぁ……はぁ……」
木の陰に座り込み、荒い息を整える。
「……天国なのに、魔物みたいなのがいるのおかしくないか?」
空に向かって文句を言った、そのとき。
『あー……すまん』
頭の上から、渋い声が響いた。
「?」
『悪いな。完全にこちらのミスだ』
「……誰?」
『閻魔だ』
「……え、本人?」
『本人だ』
空気が揺らぎ、姿は見えないのに、圧だけが伝わってくる。
『部下がな、天国課と異世界課を間違えた』
「天国と異世界って……部署分かれてるんですか?」
『あぁ、分かれてる』
「そうなんだ。でも、そこ、間違えちゃダメなやつじゃないです?」
『うーん、返す言葉もない』
少し、沈黙。
『だがな、一度行き先が決まると、もう戻せんのだ』
「えっ、そうなの?」
『あぁ、規則だ』
「天国行き確定なのに?」
『確定でもだ』
「なんだよ……それ、理不尽だなぁ」
『おぉ、すまんな』
申し訳なさそうな気配がした。
『その代わりと言ってはなんだが、お前が希望していたものは用意してある』
足元を見ると、いつの間にかリュックが置かれていた。
『中に、植物の種と、その他もろもろの種一式――それから天国の水を入れてある』
「天国の水?」
『使っても減らん。なくなったら自動で補充される』
「いや、それ便利すぎません?」
『だから、どんどん使え』
「ありがとうございます。……いや、こっちは異世界に放り込まれてるんですけど」
『おぉ、そうだな。だからこれもサービスだ』
視界の端に、何かが落ちてくる。
――鍬だった。
『鍬だ。これは特別仕様で、すいすい土が掘れる』
「……サービスで鍬って、どういう判断ですか?」
『お前には畑が似合いそうだったからな』
「全く適当だなぁ」
くくっと、笑う気配。
『まあ、達者でやれ。海藤陽市』
「……あ、もういくんだ」
『あ、そうだ』
声が遠ざかる。
『名前、変えたいなら変えていいぞ』
「えっ、そうなの?……異世界っぽい名前だからなぁ。うーん、じゃあ、ミトで」
『了解だ。顔も体格もミトっぽくしておくぞ』
「なんだよ。ミトっぽくって」
次の瞬間、身体が軽くなる。
手足が少し短くなり、視線が下がった。
「……あ、少年っぽい」
『閻魔様的ミトは、そんな感じだ』
「なんだよ、それ。基準が雑すぎる」
『ってことで頑張れよ、ミト!』
声は、そこで完全に消えた。
森に、静寂が戻る。
リュックを背負い、鍬を持つ。
「本当に声が無くなった……まあ」
深呼吸して、空を見上げる。
「死んだのは確かだし」
異世界で、畑。
「……悪くないか」
そう呟いた瞬間、腹が鳴った。
「とりあえず……畑だな」
こうしてミトは、
――天国行きのはずだった異世界で、最初の一日を始めた。
畑を作るところから。
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