『ブラックゴールド・レガシー ― 大統領が管理する魔法資源 ―』

春秋花壇

第1話|黒き契約

窓のない大統領執務室(オーバルオフィス)は、密閉された潜水艦のような圧迫感に満ちていた。


アラン・クロウは、革張りの椅子の沈み込みを背中に感じながら、デスクに置かれた数枚の書面を凝視していた。そこには、エネルギー省と国防総省が極秘裏にまとめた、ベネズエラ沖の「異常資源」に関する報告書がある。 報告書はかすかに、温かい。紙そのものが熱を持っているのではない。その奥底に封じ込められた、ドロリとした「黒い意志」が紙面を通じてアランの指先に脈動を伝えているのだ。


「大統領、カメラが回ります。準備を」


広報官の声が、遠くの霧の中から響いたように聞こえた。アランは深く息を吸い込む。肺の奥まで、古い機械油と、焼けた大地のような、どこか懐かしくも不吉な香りが入り込んできた。


レンズの向こう側には、数億人の国民がいる。失業率に喘ぎ、ガソリン価格の沸騰に絶望し、冷え切った暖炉の前で震える「善良な人々」が。


「……分かっている」


アランは短く答え、ネクタイを直した。彼の喉は、砂漠を歩き通したあとのように乾いていた。


1

赤い録画ランプが点灯する。アランは練習した通りの、慈父のような微笑を浮かべた。だが、その視線の先にある空間は、微かに歪んでいる。


「親愛なる国民の皆さん、そしてベネズエラの友人たちよ。今日、我々は歴史の新たな頁をめくります」


アランの声は、自分でも驚くほど滑らかだった。だが、言葉を発するたびに、執務室の床下……いや、このホワイトハウスのさらに深い、地球の核に近い場所で、何かが「目覚めた」感触があった。


「長きにわたり、富は一部の特権階級によって独占され、争いの火種となってきました。しかし、ベネズエラ沖で発見されたこの比類なき資源――我々が『ブラック・ゴールド』と呼ぶべき奇跡は、もはや誰の私物でもありません」


アランは、あえて書面を見ずに、カメラを真っ直ぐに見据えた。ここで、彼は自身の魂を担保に差し出す「文言」を口にしなければならない。古の伝承によれば、意志を持つ資源は、管理者の「宣言」によってのみその門を拓くという。


「私はここに、合衆国大統領として、全権をもって厳かに宣言します」


室内の温度が、一気に数度下がった。側近たちの吐息が白く濁る。アランの視界の端で、デスクの上に置かれたクリスタルの水差しが、不規則にカタカタと震え始めた。


「この原油は、正当な市場価格で売却され、米国大統領として私が管理し、米国とベネズエラの人々の利益に使われるようにする」


言い終えた瞬間。


――ドォォォォォ……。


物理的な音ではない。それは「骨」に響く重低音だった。 大西洋の海底、数千メートルの岩盤を突き破り、巨大な何かが身悶えしたかのような振動。 アランの耳の奥で、数万人の叫び声と、黄金が触れ合うチャリンという音が混ざり合った幻聴が響く。


(ああ、繋がったのだ)


アランは本能で理解した。 指先に、ドロリとした粘り気のある感触が走る。視線を落とすと、自分の手の甲の血管が、墨を流し込んだかのように黒々と浮き出ていた。それは一瞬で消えたが、心臓の鼓動は以前の倍ほども重くなっている。


2

「……素晴らしいスピーチでした、大統領」


カメラが止まると同時に、側近たちが駆け寄ってくる。室内の異様な寒さや、あの地鳴りに気づいた者はいないようだ。彼らにとって、今の宣言は単なる「画期的な資源外交の表明」に過ぎない。


だが、部屋の隅に立つ一人の女性だけが、青ざめた顔でアランを凝視していた。 ベネズエラ政府から派遣された経済学者、ルシア・マルケスだ。


「アラン大統領……あなた、今、何をしたか分かっているのですか?」


ルシアの声は震えていた。彼女は足早にアランに近づくと、彼の手元、まだ微かに「黒い脈動」が残るデスクの表面を指差した。


「あれはただの油じゃない。私たちの国では、あれを『大地の血(サングレ・デ・ティエラ)』と呼びます。意志を持ち、管理者を試す魔物。あなたは今、それを自分の体内に引き入れたのよ」


アランは、自身の手に残る痺れを隠すように、固く拳を握りしめた。


「ルシア、私は現実主義者だ。魔法も呪いも信じない。私が信じるのは、この資源があれば我が国のインフラが再建され、君の国の子供たちが飢えずに済むという事実だけだ。管理が必要なら、私がやればいい。それだけのことだ」


「『管理』……。その言葉を、あの子たちがどう受け取るか」


ルシアの瞳に宿る、深い憐れみのような色。アランはそれを「未開な迷信」として切り捨てようとしたが、胃の奥でうごめく重苦しい重圧が、それを許さなかった。


3

その夜、アランは大統領専用の寝室で、初めての「報い」を受けた。


目を閉じると、暗闇の中に広大な黒い海が見えた。それは原油の海だった。 波打つ黒い液体の中から、無数の手が伸び、アランの足首を掴む。 それはベネズエラの貧しい労働者の手であり、アメリカの没落した中間層の手だった。


『管理せよ』 『我らに富を』 『私を救え』 『私に与えろ』


数百万、数千万の欲望の囁きが、アランの脳内に直接注ぎ込まれる。 アランは冷や汗を流しながら飛び起きた。 月の光に照らされた寝室は静まり返っていたが、枕元に置かれたグラスの水が、あの執務室と同じように、小さく、だが絶え間なく波紋を描いていた。


彼は震える手でサイドテーブルの上のメモ帳を手に取り、暗闇の中で書き殴った。


――契約は成立した。もはや後戻りはできない。 富は、私の指先から流れ出し、世界を潤すだろう。 だが、この黒い感触が消えない。 私は世界を救うのか? それとも、この黒い濁流に飲み込まれる最初の一人になるのか?


アランは、窓の外に広がるワシントンの夜景を見下ろした。 平和な街の地下。そこには今や、大統領の意志ひとつで爆発し、あるいは奇跡を起こす「意志ある黒い龍」が、彼の血管と繋がった状態で息を潜めているのだ。


アラン・クロウ。 米国第47代大統領。 そして、人類史上最強の「魔法契約者」となった男。


彼の長い夜が、今、始まったばかりだった。


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