1917年。人外上官曇らせファンタジー戦記
乾茸なめこ
第1話 西部戦線に異状人物
帝国歴1917年02月14日 03時10分
最前線 第四セクター突出部
僕はもう、銃弾がヘルメットを掠める音と、風の音を区別しないことにしている。何もかも気にしたら負けだった。
半分凍り付いた冷たい泥を這う。遠くの空を飛ぶ照明弾が、世界に曖昧な輪郭だけ与えてくれていた。
まだ日が登らないうちに塹壕を這い出し、広大な湿地帯に張り巡らされた有刺鉄線を除去する。これが、僕を含めた一〇人ほどの人間歩兵に与えられた任務だった。
数十メートル先の敵塹壕でぱっと小さな赤い光が瞬く。威嚇のつもりか、敵の歩哨が散発的な銃撃をしていた。
冷たい肘を温めようと、軍服の襟から息を吹き込む。まぁ、無駄。冷たいものは冷たいけれど、立って歩けばすぐに死ぬ。
ようやく辿り着いた有刺鉄線を、仰向けに転がってニッパーで切り落とした。ようやく一本。
「なんで俺らがこんなことを……」
隣から震える声がした。寒さか、それとも恐怖か。唇を小刻みに震わせ、若い兵士がぼやいている。これは良くないやつだ。死体が増える。
「静かにしよう。撃たれる」
「けどよ。お前も徴兵されたんだろ。意味分かんねぇよ。こんな有刺鉄線、塹壕で睨み合ってりゃ関係ないだろ」
「静かに」
徴兵ということは、配属からそう経っていない、ぴかぴかの新兵か。可哀想に。
志願して二ヶ月の僕は、三年間続くこの大戦争における帝国軍人では、まだ長生きしている方だ。こんな感じの新兵を、二週間に一度見送ってきた。
「有刺鉄線があると士官が走れないよ。彼女たちは、僕らの希望だ。女神の道になるんだ」
「何が女神だ、獣の癖に……」
僕は小さく溜息をついた。この自由主義かぶれめ。僕ら人間ごときが舐めたことを言ってはいけない。
この世界にはケンタウロスがいる。下半身が馬で、上半身が人間ってやつだ。その代わりに馬やそれに類する動物が一切いない。一番近いので鹿だろうか。
人間と馬が一体になったケンタウロスは、この世界の歴史において、最強の騎兵だった。同時に最速の伝令兵であり、鋤を牽引する最高の耕作者でもあった。
――つまり、彼女たちは支配階級なんだ。
前世、地球の歴史で言うところの貴族。それがケンタウロスだった。
気高く美しくそして強い。おまけに、僕の上官はその中でも格別に可愛い。最強である。黒髪ショートボブでキリッとした顔で、胸と尻がデカイ。世界的に最強だ。
「女神だよ。彼女が気持ちよく走るためなら、死んだっていい」
「なんでそこまで」
バチン。また有刺鉄線を切る。隣で泥にニッパーが落ちる音。
耳にべったりと泥を付けながら横を見ると、ぼやいていた新兵のアゴがなくなっていた。頭頂部から入った弾が、アゴを吹っ飛ばしたんだ。
もう聞こえないだろうけど、教えてあげよう。
「救われたんだ。僕は彼女に、神を見た」
時は遡る。
◇◇◇
東京の端っこには妖怪がいる。僕だ。
二四時間営業のファミレスに潜む、店長という名前の妖怪である。
なんともメルヘンな店だ。タイムカードの記録を参照すると誰一人働いていないのに、営業中なのである。
どうやら本社は、定時を過ぎた雇われ店長を人間ではないと思っているようだった。人間じゃないなら勤怠記録は要らない。エキセントリックな労働基準法の守り方だ。
人手不足で店を閉めたら怒られる。けれど、残業しても怒られる。ならば妖怪になるしかないのだ。妖怪『客が来ない深夜営業キッチンでスマホいじいじ店長』の出来上がり。
誰か、祓ってくれ。
予算不足で変えられない蛍光灯がジジ、と鳴った。オーブンもレンジも使っていないせいで、ステンレスに囲まれた空間がうっすら寒い。ちょっとだけ暖かい食洗機のそばに移動した。
ショート動画を縦にスワイプ。結束バンドを使ったライフハックは見飽きた。知らない女の子が踊ってる。スワイプ。変な外国人が銃の解説をしている。スワイプ。有名アニメの無断転載。スワイプ。スワイプ。スワイプ。
どの動画も二秒しか見ていないのに、塵が積もって一時間になる。
僕は、なんの為に生きているんだ。
画面上の時間が『0:00』になった。僕の誕生日。二六歳になってしまった。
二四歳で雇われ店長になってから、ずっとこんな調子。前の誕生日もキッチンで迎えた。あの頃は、ショート動画を六〇秒きっちり観ていた気がする。
なんか、思っていた大人と違う。
社会の歯車、量産品。そんな風に思っていたけど、なんかニュアンスが違った。
無個性とかじゃない。ストーリー性がないんだ。
何かをする体力もないし、自我を出すメンタルの余裕もない。ただ空っぽな二秒を注ぎ続けて時間を終えるだけの命だ。
我ながら、ショート動画以下の人生だ。
スワイプスワイプ。きっと、僕の一生を眺めている神様がいるとしたら、二秒でスワイプすることだろう。
◇
帝国歴1917年01月07日 08時31分
最前線 第四セクター突出部 支援塹壕
――なんだ、この記憶は。
ダグアウト――塹壕の側壁に掘られた、比較的に安全な地下室――だったものの中で、僕は細い息を漏らした。
朝食時を狙って始められた苛烈な砲撃で、ダグアウトが崩落したのだ。生き埋めになり、じっと目を瞑って耐えていたら、急にフラッシュバックしたのだ。
幻覚にしてはいやに鮮明だった。
鍛冶職人の倅として生まれた僕が知らないはずの世界を、はっきりと思い出せる。もしかすると、前世ってやつなのかもしれない。
こんな、死にそうなときに思い出してもな。
胸に固くて重たいものが載っていた。息が出来ない。
またストーリー性のない人生だった。これで終わり、スワイプスワイプ。
諦念がへらりと唇を曲げる。それと同時に、土を掻く音が耳に飛び込んで来た。
「――――か!?」
鋭い声。聞き覚えのある女性の声だ。硬質でよく通る、鉄琴のような響きを持っている。 地獄みたいなこの塹壕で、僕ら騎士挺身小隊五〇名を率いるシャーロッテ・フォン・ブランディス少尉殿だ。
押し潰された胸が、ゆっくりと解放されていく。口元の泥が払われ、冷たい空気が肺に流れ込んだ。
ようやく目が開く。視界を覆うのは、真っ黒になった丸太だった。ダグアウトの梁に使われたものだろう。それが持ち上げられていき、朝の陽光が差し込んできた。
梁が投げ捨てられる。青空と逆光の中、目が覚めるような美貌が僕の顔を覗き込んだ。
いっそ機械じみて見えるほど端正な作りをしている。だというのに、瞳は不安に揺れ、目の端に涙を溜めていた。
「生きているか……?」
問う声は細い。
「部隊長殿」
僕が掠れた声で辛うじて言うと、ブランディス少尉は頷いた。
ブランディス少尉は泥の中で膝を折り、馬体を寝かせてまで僕の頬に手を伸ばす。
「生きていて良かった、私の兵よ……。ああ、死なせてたまるものか。衛生兵!」
細く冷たい指の感触に、魂が震えた。
美しき支配者が、生まれながらの戦場の覇者が。
二秒程度の価値しかない僕を案じて、目に涙を浮かべている。
物語だ。
僕の命が、初めて物語の舞台に引き上げられたのだ。
女神の指が、ストーリーを与えてくれた気がした。
――なんの為に生きているんだ。
明確になった。この人の為に生きて、死ぬ。僕という存在の物語が、はっきりと決まった瞬間だった。
少尉の手が僕を引き寄せ、胸元に抱きしめる。少尉は僕を軽々と抱え上げた。
「衛生兵、いるか!」
声に兵士が集まる音が聞こえる。
僕は力強い柔らかさに包まれながら、泥と油と硝煙の臭いすら心地よい気がしていた。
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