0004 - 掲示板とメール

 夜は静かだった。

 静かすぎて、逆に耳が痛い。瑞希は、自分の部屋の机に頬杖をつき、スマートフォンの画面を呆然と眺めていた。部屋の電気は点けていない。必要ない。今の瑞希には、その画面の白さだけで、充分だった。


 数日前に突然現れた黒いウィンドウは、今は消えている。

 数字も、音も、何もない。それでも、頭の奥に残っている。


 祝福の音。表示された数値。

 意味が分かってしまった感覚。


「……あれ、なんだったんだ」


 独り言は、壁に吸われた。

 おもむろに、検索窓に指を伸ばす。一度、止まる。検索したところで、何が出てくるというのか。幻覚。ストレス。ショック症状。大体予想はつく。


 それでも、瑞希は入力した。


[黒いウィンドウ 見える]

[殺したあと 画面]

[特異値 数値 表示 幻覚]


 検索した候補がずらりと並ぶ。

 どれも、信用に値しない言葉ばかりだった。


 スクロールしていくうちに、古びた掲示板に辿り着いた。

 背景は黒。文字は赤。無駄に大きいフォント。読みづらいが、見覚えのある時代遅れの形式。匿名で、無責任。だからこそ、正直な場所だ。


 瑞希は、スレッドを立てるまでに三十分掛かった。

 文面を考えては消し、悩んでは消す。余計な情報を書けば叩かれる。少なすぎれば、釣り扱いされる。それでも、確認せずにはいられなかった。


=====

【相談】変な画面が見えたんだが【病気?】


1 :風とともに名無し

正当防衛で、人を殺した。

その直後に黒い画面みたいなのが出た。

名前とか、よく分からん数値とか、注意書きみたいなのが表示された。

夢ではないと思う。同じような経験した奴いない?

=====


 投稿した瞬間、胃の奥がきゅっと縮んだ。

 消そうか、と一瞬思う。

 だが、その指は止まらなかった。

 数分後、レスが付く。


=====

2 :風とともに名無し

糖質定期


3 :風とともに名無し

病院行け。マジで


4 :風とともに名無し

創作乙

最近そういうラノベ流行ってるけどさ


5 :風とともに名無し

正当防衛(自称)

創作なら、設定甘いだろ

=====


 予想通りだった。

 瑞希は、少しだけ肩の力を抜いた。期待していない分、落胆もしない。

 だが、スクロールする指が止まる。


=====

27 :風とともに名無し

黒い画面って具体的にどんな?

数値は、HP・MP?

注意書きは?

=====


 質問が来た。否定でも、嘲笑でもない。

 瑞希は、しばらく迷った。書き込む理由を、自分の中で探す。答えは単純だった。自分だけじゃないか、確かめたい。慎重に、言葉を選んでいく。


=====

28 :風とともに名無し

 >>27

 ゲーム画面みたいな派手な奴じゃない。

 黒地に文字だけ。数値は、特異値。

 あと「変質は回復しません」みたいな文言があった。


29 :風とともに名無し

え、ちょっと待て

その文言マジ?


30 :風とともに名無し

釣りじゃないなら怖いんだけど


31 :風とともに名無し

変質って何が?


32 :風とともに名無し

 >>28

 それが見えたなら、君はもう「こちら側」だ。

 掲示板で答えを探す段階は終わっている。

 これ以上は危険だから、聞くな。

=====


 最後までスクロールして、瑞希の目が、画面に吸い付いた。

 短い文。煽り口調でもない。断定的なのに、誇示がない。まるで、事実を述べただけのような書き方だった。


 続けて、レスは来ない。

 誰もその書き込みに触れない。空白のような沈黙。

 瑞希は、画面を見つめたまま、動けなかった。


「こちら側って、一体何なんだよ……」


 瑞希は、ブラウザを閉じた。

 スマートフォンを伏せると、部屋は急に暗くなったように感じられた。答えは得られなかった。だが、確信だけは残った。自分と同じものを見た人間がいる。しかも、その人間は――危険だから聞くな、と言った。


 何が危険なのかは分からない。

 だが、善意の言葉なのは、はっきりしていた。


「……聞くな、か」


 小さく呟く。

 警告なのか、選別なのか。あるいは、その両方か。

 瑞希は天井を見上げた。黒いウィンドウは現れない。音も数字もない。それなのに、頭の奥が妙に冴えている。眠れる気がしなかった。


 病院に行くべきなんだろうか。

 それとも、もう手遅れなんだろうか。


 思考が堂々巡りを始めた、そのとき。

 スマートフォンが、短く震えた。通知音。メール。瑞希は、一瞬だけ動けなかった。この時間に、個人宛てのメールが来る心当たりはない。


 画面を伏せたまま、深呼吸する。

 そして、裏返した。差出人は、見知らぬアドレスだった。件名はない。本文だけが、淡々と表示されていた。


=====

特異値について知りたいのなら、私が教えよう。

だが、メールでは教えられない。

直接会って、話をしよう。


気が向いたら、返信してくれ。

私は君にとって、有意義な人間だ。

それを頭の片隅に入れてもらえれば、それでいい。

=====


 瑞希は、画面を見つめたまま、瞬きを忘れていた。

 名前はない。署名もない。ただ、内容だけが、真っ直ぐに刺さってくる。否定もしないし、煽りもしない。脅しですらない。それが一番、厄介だった。


「……勝手だな」


 そう言いながら、指は画面から離れなかった。

 返信する理由は、山ほどある。返信しない理由も、同じだけある。どちらを選んでも、何かが変わる。


 瑞希は、スマートフォンを握り直した。

 黒いウィンドウは、まだ現れない。

 だが、確かに次の扉は、開いていた。

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