明日も晴れますように

幸まる

雪に埋もれた魔法のランプ

リーリンは、ほう、と白い息を吐いた。

キンと空気の冷えた夜。

見上げる暗い空に、白銀の月は殆ど姿を隠している。


ユキガ フルヨ


シャラシャラと薄貝が擦れるように、耳にくすぐったいを届けるのは、風の精。

リーリンは大きな新緑の瞳を瞬いた。


「積もる?」


思わず勢いよく問い返す。

だって、こんなタイミングで初雪が降るなんて。


ウン ウン


たくさんの肯定の意が、シャラシャラと降ってくる。

リーリンはサッと身体を反転させ、赤い屋根の家に駆け戻る。

揺り椅子に座っていた婆様が、驚いて扉の方へ顔を向けた。


「なんだい、びっくりしたよう」

「うん、ごめん」


それだけ言って、リーリンは備蓄品を置いてある納戸の扉を開け、中から予備のランプを取り出す。

続いて食品棚から、淡い桃色の砂糖菓子が入った小瓶を掴んで下ろした。


「リーリン」


二つを抱えて、再び出て行こうとする彼女の後ろ姿に、声が掛けられた。

肩越しに振り返れば、揺り椅子に座ったままの祖母がこちらを見ている。

まだまだ現役の精霊士であり、リーリンの師匠でもある祖母の眼差しには、優しくも力がある。


祖母は一度何かを言いかけたが、口を居心地悪そうに動かして、明らかに言いかけた言葉とは違うものを口にした。


「温かくしてお行き」

「分かってる」


リーリンは答えて、急いで扉の側にかかっていた白い上着を取った。

防寒に最適な、厚くてふわふわな上着。

婆様に言われなかったら、そんな存在はすっかり忘れていた。



リーリンは家を出て走りながら、この集落で一番大きな木を目指した。

地にしっかりと根を下ろし、四方へ枝葉を大きく伸ばした大樹。


足を止め、息を切らし、鼓動が落ち着くのを待つ。

ザザと鳴る葉。

白いものが舞った。


雪だ。

初雪。


落ち着きを取り戻そうとしていた心臓が、また強く跳ねた。


リーリン ユキダヨ


「うん、そうだね」


ダイジョウブ ツモルヨ


「……うん」


シャラシャラと小さな声を聞きながら、手にしていたランプを、冷たい根元に置いた。

ドキドキしすぎて、硝子の細い火屋ホヤが震える。

その震えのまま、反対の手に持っていた瓶から砂糖菓子をひとつ摘んで、わがままな願いを口にし、火屋ホヤの中に入れた。


光を灯すはずのランプにはそぐわない、コロンという小さな音。


分かっている。

だいそれた願いを叶えようとしている。

他人の人生を勝手に決めようとしているのだ。


それでも、それでも……。


舞う雪は多くなってきた。

吹き付ける風が、ザザと鳴る葉音と共に、強く雪の粒をリーリンの顔に押し付ける。


リーリン アソブ? 


ぶるぶると震えながらランプを見ていたリーリンは、キュッと顔をしかめた。


「ごめん、遊ぶのはまた今度ね」


凍えてしまいそうなのもあるが、地面をうっすらと白く染め始めた雪が、ランプを隠し始めるのをこれ以上見ていられなかった。

踵を返し、来た道を戻る。

早足が自然と駆け足になり、吹き付ける雪から目を庇って、俯き加減になった。



ドンと大きな何かにぶつかった。


「あっ!」

「危ない!」


リーリンは勢いのまま倒れそうになったが、大きな手がリーリンの腕を取り、濡れた地面にお尻を落とす前に腰を支えた。


「前見て走れよ」


その声にドキリとして顔を上げる。

アナンだった。

いつだって会いたい相手。

でも、今一番会いたくなかった相手。


力強く引き上げられて、立ち上がる。

小さく「ごめん」と言いながら、リーリンは何に謝っているのか分からなくなった。

だって、願いは口にして、もうランプは置いてしまった。



「なんだ、上着も着ずに。雪が嬉しくて、風の精と遊んでたか?」

「う、うん、そう」

「ガキンチョめ」


くくっと笑って、アナンはリーリンが持ったままだった上着を取り、付いた雪粒をパンッと強く払ってから、彼女の肩に掛けた。

温かさが、肩から、背中から、リーリンの身体に染みてくる。

不意に手を握られた。


「冷え切ってんじゃないか。帰るぞ、ちょうど師匠の所に行くとこだったんだ」


返事も出来ない内に、手を引かれて歩き出す。

「つめてぇ」と言いながら、アナンは握ったリーリンの手ごと自分の手をポケットに突っ込んだ。

それだけでリーリンの心臓はまた跳ねたのに、温めようとしてくれるのか、中で何度も握り直されるので、徐々に顔に熱が上る。

その顔を見て、カナンはにやりと笑った。


「温かいだろ?」


何も答えられずに、うんうんと首を縦に動かすだけのリーリンの耳に、風の精の声がシャラシャラと降る。


アッタカイネ ヨカッタネ 

リーリン アナンダイスキダモンネ


精霊の声がアナンに聞こえなくて良かった!

そう思いながら、リーリンはただ足を動かした。

寒いのに、温かくて温かくて、泣きたくなる。


家に着かなければ良いのにと頭の片隅で考えた時には、赤い屋根の家に帰り着いていた。

アナンはあっさりとリーリンの手を離して、扉を開けた。




「寒かっただろう」


そう言って、婆様は温かいスパイスティーを淹れてくれた。

精霊士の婆様は、不肖の弟子リーリンが何をしに外へランプを持ち出したのか分かっているはずだが、何も聞かないでいてくれる。

リーリンが湯気の立つカップを手にした時、爺様と話すアナンの声が聞こえた。


「穀物運搬の荷馬車に乗せてもらえることになったから、明後日に発つよ」


温かいものが全て抜け落ちていくみたいに、リーリンの体温が頭の先から下がったように感じた。




薬師である爺様に、アナンが隣の集落から弟子入りしたのは八歳の頃。

薬師の跡は継ぎたくないと、リーリンの父は役所の勤め人になってしまっていたので、薬師家系もここで終わりかとがっかりしていた爺様は大喜びした。


その頃五歳だったリーリンはといえば、精霊士の素質があることは分かっていたが、術のセンスはあまりなさそうだと婆様に苦笑いされていた。

母には精霊士の素質がなく、成り手はやはり、リーリンしかいなかった。


共に、精霊士と薬師夫妻のたった一人の弟子。

自然と一緒に過ごす時間も増え、兄妹のように日々を過ごした。

互いに近く、側にいるのが当たり前で、心地良い関係。



時は過ぎ、アナン十八歳、リーリン十五歳。


リーリンは、精霊士としてはまだ半人前で、完璧に出来ることといえば天気読みくらいだったが、精霊祈願やまじないの文化も廃れてきた昨今では、それも良いだろうと婆様は笑う。

対してアナンはといえば、既に一年前に爺様から、「もう教えられることはない」とお墨付きを貰っていた。


そんなアナンを誇らし気に思っていたリーリンに、彼は突然宣言した。

来年、首都へ行くと。

首都には、国が設立した唯一の薬学専門学校がある。

アナンはそこに入学するのだという。


他所から入ってきた医術というものが広まり、それの浸透と共に、世界中で年々薬師の数が減っている。

このままではいずれ、学べる場所もなくなってしまうのかもしれない。

そうなる前に、薬学をもっと深く学んでおきたい。

そして、師匠を超える立派な薬師になりたい。

それがアナンの主張で、夢だった。



いやだ。

行かないで、行かないで。

爺様に学んだことで十分じゃない。


リーリンはそう言いたかったし、何度も口に出しかけたが、言えなかった。

高い志だと喜ぶ爺様と、この集落から将来有望な薬師が誕生するのだと盛り上がる近隣の人々の影で、口を閉じるのが精一杯だった。


泣きそうだった。

だって、気付いたのだ、行って欲しくない理由。


リーリン アナンダイスキダモンネ


これまでに、風の精に何度も言われていたのに。

その“ダイスキ”がどういうものか。

この時に、やっと気付いたのだ。


言えない。

「行かないで」って口に出したら、どうして行かないで欲しいのか、気付いてしまった胸の熱さも痛みも全部全部、吐き出してしまいそう。


困らせたら。

呆れられたら。

引かれたら。

…………拒絶されたら。


絶対、言えない。



そうしてリーリンは、何一つ気持ちを口に出せないまま、アナン出発間近のこの日を迎えていたのだった。





早朝。

まだ太陽が顔を出していない時間に、今度はちゃんと上着を着て、リーリンはそっと家を抜け出した。


「積もってる……」


ウン ウン


仲良しの風の精のおかげで、天気読みは外さない。

分かっていた。

足首が埋もれる程には積もること。


降り積もった真っ白な雪に、ギュ、ギュと足跡をつけながら、リーリンは大樹を目指した。

昨日と同じように、鼓動が速い。

音が全て消えてしまったような世界に、リーリンの息遣いと、雪を踏む音だけが響く。


そこに、微かに高く細い音が混じった。


リーリンは目を凝らす。

大樹の根元、雪に埋もれたランプが、白銀の光を滲ませていた。


成功した!


一層速くなる鼓動に合わせ、足早に近付いて膝をつく。

そっと雪を掻き分けると、間違いなくリーリンの置いた細いランプが、淡く桃色を滲ませる白銀の丸い明かりを灯していた。


途端に、高い音が大きくなる。


タスケテー タスケテー


風の精よりもずっと高いで、リーリンは僅かに顔をしかめた。

これは、ランプに閉じ込められた雪の精の声だ。

ランプの中をよく見れば、丸い明かりは時折薄翅はねのようなものを震わせている。


リーリンはゴクリと喉を鳴らして、ランプをそっと持ち上げた。

雪に埋もれていたランプは氷のように冷たかったが、構わずギュッと握りしめる。


イヤー タスケテー 

オネガイ タスケテー


「ごめん、駄目。砂糖菓子を食べたでしょう? 私の願い事、分かったよね?」


リーリンはランプを顔の高さに持ち上げて、中の雪の精を覗き込んだ。


これは、精霊士に伝わるまじないだ。

初雪が積もる時、願い事を込めた砂糖菓子をランプに入れて、一晩置く。

ランプが雪に埋もれて、雪の精を捕まえることが出来たら、丸一日逃さないように置いておくこと。

そうすれば、雪の精の霧散と共に願い事は叶う……。



キンキンと一層高い音が、リーリンの耳を刺した。

空から飛んできた光が、頭の周りをくるくると回る。


ダシテアゲテー オネガイ オネガイ


リーリンは驚いて一歩下がり、光をよく見た。

リーリンの頭とランプの周りを、慌てた様子で行ったり来たりする光は、ランプの中の明かりと良く似ている。

これも雪の精なのだろう。


オネガイ タスケテー

ダシテー オネガイ


ランプの中と外で、高い声が休みなく訴えてくる。

リーリンは表情を歪めたが、首を横に振った。

縛っていない黒髪が揺れ、いやいやと主張する。


「だって、どうしても叶えて欲しいの。分かるでしょ」


精霊士がこのまじないをする時は、心から叶えたい願い事をする時。

なぜなら、これが許されるのは一度きりだからだ。

二度精霊を捕らえれば、精霊から見放され、二度と声を聞くことは出来なくなる。

精霊士として、終わるのだ。


オネガイ タスケテー

ダシテー オネガイ


繰り返される雪の精の嘆願を、リーリンは必死で聞こえないふりをして、そのまま家に戻ろうとした。



オネガイ ソラニカエシテー



ビクリと身体を震わせて、リーリンは足を止めた。


ソラニカエシテー オネガイ カエシテー


唇を噛む。

ランプを持つ手が震える。

『帰して』

それはリーリンが無視できない願い。


お互いを求めるように、硝子の火屋ホヤ越しに二つの光が寄り添う。


この雪の精たちも、離れたくないんだ。

私が願いを叶えたら、この子たちは、二度と、二度と一緒にはいられない……。



リーリンは長い時間、そこで立ったまま動けないでいた。


やがて日が昇り、新しい一日を告げる眩しい光がリーリンに届く。

スン、と鼻が鳴った。

気が付けば、リーリンはランプの火屋ホヤを持ち上げていた。

開放されて飛び出した光が、もう一つの光と合わさる。

一度明るさを増し、くるりとリーリンの周りを一周すると、また二つになって空へ昇って行った。


アリガトー アリガトー


遠く、聞こえなくなるまで、何度も雪の精が感謝の言葉を降らせた。

青空に昇る光を追って、呆けたように見上げていたリーリンは、声が聞こえなくなってようやく顎を引いた。



「逃がしたんだ?」

「っ!?」


直ぐ側にアナンが立っていて、息が止まるかと思うほど驚いた。


「どっ、どうして、ここに?」

「爺様に朝採りの薬草届けに行くとこ。今日が最後だからさ。そしたら、リーリンを見付けた」


『今日が最後』という言葉に胸が痛んで、リーリンはギュッと唇を引き絞った。

アナンが眉を下げる。


「なあ、リーリン。なんで言わないんだ?」

「……言わないって、何を?」

「俺が首都行きを決めてから、『分かった』としか言わねぇ。なぁ、『行かないで』って、最後まで言わねぇのかよ」


ひくっとリーリンが息を詰めた。

アナンは、気付いている。

リーリンが胸に秘めたままのものに、とっくに気付いているのだ。


アナンはランプを持ったままのリーリンの腕を取る。


「なぁ、このまじないで何を願うつもりだった?」

「それは……」

「なんで逃がしたんだ? 言えよ! 俺が行っちまってもいいのかよ」

「やだよ!……っ、やだぁ……」


リーリンの目から涙が溢れて、落ちる涙の粒と一緒に、そのまま座り込んだ。


「行かないで欲しいって、思ってたよ! ずっとここにいて欲しかったもん……!」

「なら、なんで言わねぇんだよ」

「邪魔できないでしょ!」


リーリンはもう我慢出来ずに叫んだ。


「アナンの夢でしょ! 邪魔できないじゃない。言って困らせたくなかったんだもん!」


そんなことを言っても、こんな風に泣きながら座り込むなんて、やっぱり自分は子どもだ。

きっと、アナンを困らせている。

リーリンは恥ずかしくて、顔を伏せた。


アナンはガリガリと頭を掻いて、溜め息を落とした。


「じゃあ、なんで今更こんなまじないまでして願おうとしてたんだよ」

「……行かないで欲しいって、願ったんじゃないもん」

「なら、何を?」

「…………」

「リーリン」


アナンが側に屈む気配がした。

全部吐き出すまで、離してくれるつもりはないのだろう。

観念して、リーリンは砂糖菓子に込めた願いを口にする。


「アナンが帰って来ますようにって、願った……」

「は?」

「だから、学校を卒業したら、……私のところに帰って来ますようにって」

「なんだそれ、帰って来るに決まってんだろ」


呆れたアナンの声に、リーリンは更に声を上げる。


「だって、だって! 田舎から首都に出て行った人は、ほとんど帰ってこないじゃない! アナンは頭もいいし、かっこいいし、もしかしたら向こうで誰か良い人が出来たら、もうこんな田舎なんかに! 私、なんかに……」


言いながら、何だか言わなくていいことまで口に出しているんじゃないかと思いあたり、リーリンの声が小さくなる。

アナンは呆れたように笑い、そして、少しだけ照れたように鼻を擦った。


「あのな、俺の夢は師匠を超える立派な薬師になることだ。それで、この集落で唯一の精霊士を嫁さんにして、爺様と婆様みたいな年寄り夫婦になることだよ」



精霊士を嫁さんに……



その言葉がゆっくりとリーリンの頭に染み込んで、ようやく速い瞬きをする。

身体中が急にカッカと熱くなってきて、リーリンはそろりと顔を上げた。


途端に近付く顔。

唇に、彼の唇が柔らかく触れる。


驚きすぎて目も閉じられなかったリーリンは、アナンの右眉の側には小さなホクロがあるんだ、なんて意味もないことを考えた。

そして、間近で開かれた瞳があまりにも澄んだ薄青で。

この朝の空みたいに、眩しくて、綺麗で……。


「なぁ、精霊士は初キスした相手と絶対結婚するってまじない、ないの?」


冗談交じりに言いながら濡れた頬を拭かれて、リーリンはぷっと笑いながら、「多分ある!」とアナンに抱きついた。




リーリン リーリン

キョウハ ハレダヨー

リーリンモ ハレタネー


シャラシャラと、風の精のが楽し気に降ってくる。


うん、そうだね。


リーリンは風の精に心の中で返事をして、出発の明日もどうか晴れますようにと、心から祈った。




《 終 》



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