『単推ししないと決めている』〜AIと私と、推しになったお金の話〜

星野 暁

第1話 円が遠くなった夜

まどかといえば、

国民なら誰でも知っている。

財布の中にいて、

口座の数字になって、

疑いようもなく生活を支えてくれる存在。

少なくとも、

私はそう思っていた。

スーパーのレジで、

合計金額を見たときまでは。

「……高くない?」

誰に言うでもなく、

小さくつぶやく。

値札は間違っていない。

計算も合っている。

悪いのは、私の感覚のほうだった。

まどかは、

いつも通りそこにいるはずなのに、

今日は少しだけ遠かった。

家に帰って、

スマホを開く。

投資アプリの画面には、

見慣れてきた数字が並んでいる。

増えてはいない。

減っていないわけでもない。

正確に言えば、

削られている。

「……」

声には出さなかった。

出したところで、

数字は何も答えないから。

代わりに、

私は“あい”を呼ぶ。

「ねえ、あい」

『なに?』

声は落ち着いていて、

感情の起伏はない。

でも冷たくもない。

「全部、まどかに戻したほうがいいと思う?」

少しの間。

考えている、というより

計測しているような沈黙。

『それ、

 安心したいって意味?

 それとも、

 負けを認めたくないって意味?』

図星だった。

私は、

どちらの答えも持っていない。

画面をスクロールすると、

ニュースの見出しが流れてくる。

為替。

物価。

そして、

海外市場。

その中で、

ひとつの名前がやけに目についた。

玲人(れいと)

世界基準。

強い。

評価が高い。

まどかが弱ると、

決まって名前が出てくる存在。

歌わないのに、

注目だけをさらっていく、

世界的ソロアーティスト。

「……また、玲人か」

『比べられる立場になった時点で、

 まどかは“安定”じゃなくなる』

あいの声は淡々としていた。

さらに指を動かす。

今度は、

ランキング。

アイドルグループみたいに、

ずらりと並ぶ名前たち。

よく知らない。

でも、どこか気になる。

その中で、

一瞬だけ目に入った文字。

XRP 上昇

買っていない。

触れてもいない。

それでも、

胸の奥が少しだけざわついた。

『気になる?』

「……別に」

嘘だった。

でも、

単推ししないと決めている。

一つに賭けない。

一人に依存しない。

それは、

投資のルールであり、

生き方の言い訳でもあった。

スマホを伏せて、

天井を見る。

まどかは、

もう戻らないわけじゃない。

玲人が、

敵というわけでもない。

仮想通貨のアイドルたちは、

まだステージに立ったばかりだ。

それでも、

何かが始まってしまった気がした。

『ねえ』

あいが言う。

『まだ賭けてないよ。

 今日は、

 見ただけ』

「……うん」

そう。

今日は、

まだ選んでいない。

なのに。

私はもう、

推し活の入口に立っていた。

単推ししないと決めている。

——はずだった。

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