初恋のお姉さんに乗せられて、初恋を汚す旅の話。
ぼたも〜
第1話 再開
親父が死んだ。 病死だった。
一昨日、今年で五十になったよと自宅の書斎で酒を飲みながら語った男は、一昨日の夜に呆気なくその人生に幕を閉じたのである。
思えばいつだって、死んだような顔をした人間だったなぁと思う。
俺の親父……長谷部蓮二は高校教師であった。 教員の職場環境はすこぶるやりがい搾取というか……まぁそんな感じ、という話は親父から聞いていたし、本や新聞を通じても知っていたので、身体がついに耐えきれなくなったとかそういうのもあったんだろう。
親父とは普段からそこまで話すような仲ではなかった。
母さんもなんだかすっかりと愛が抜け落ちてるみたいで、俺の中での親父は、同じ家に住んでいて妙に自分のことを気にかけてくる、ほどほどに距離の近い他人だった。
幼い頃から遊んだりすることなんかなかったから、イマイチ友達の言う親父像だとか、家族としてのあり方とか、そういうのに理解を示せない。
半年に一回旅行に行って、一ヶ月に何度か近況を報告し合い、週に一冊本を買ってくるのが、俺にとっての親父だったから。
そんでもって、俺は友人は程々にいたけれど、元々人と関わるのが特段大好きという性格でもなかったので、家の縁側に座って親父が買ってくる本を読んでいるようなやつだった。
結局親父との繋がりを感じていたのは本当にそれくらいだったけど、ずっと本を読んでいたから、ある種多くの時間繋がりというもの自体は感じていた気もする。
同時に親父は凄まじくゲームだとかテレビだとか、そういうデジタルな娯楽を嫌っていたので、それもまた、ずっと本を読み続けた……親父との繋がりを歪な形で感じてた幼少期を、作った要因なんだろう。
今思えば極めて退屈で……いや、今も変わらず退屈に変わりはないのだが、それにしたって現代人らしくない幼少期だった。
……まぁ、親父の話はこれくらいにしておいて、幼少期、そう幼少期といえば、明日の葬式はあの人が来るはずだ。
当時の俺にあった、数少ない楽しみというか……我が家にとってあまりに異分子的だった、あの人。
外の娯楽を躊躇なく持ち込み、俺に聞かせるJKがいた。
曰く親父の教え子だと言っていたその女──阿波野ゆめは、数少ない俺の幼少期の光のようなものだったと、そう記憶してる。
◇◇◇
案の定、阿波野ゆめは現れた。
「誠にご愁傷さまで……」
「いえいえ、恐れ入ります」
母さんが参列者の迎えをしている間、俺は近くのパイプ椅子に腰掛けて、葬式会場の供花を眺めている女性に視線を向けていた。
長く透き通った黒髪と、余分のない彼女の体つきには強烈なまでの覚えがある。
当時と違って当然制服姿ではないし、あの頃のようなハツラツさを露わにした表情は見えなかったが……。
「ほら、祐希もちゃんと挨拶なさい」
「……」
「祐希?」
「ん? あぁ、挨拶ね。 手伝う」
彼女から視線を外す。
見覚えのあるようなないような、そんな親戚の顔が、目の前にズラっと並んでいた。
そのほとんどが俺たちを……いや、特に俺を、哀れみの目で見つめている。
俺はもう高校生で、職にさえつければとっくに一人で歩けるってのに、この老人たちはあくまで俺を可哀想な子供扱いするらしい。
「恐れ入ります」
言いながら、封筒を受け取る。 一言二言同情に近しい何らかの言葉を投げかけられているような気がしたが、なんだか頭に入ってこなかった。
別に、俺は親父に支えられて生きていた訳じゃない。 金さえあれば、親父なんかいてもいなくても何も変わらない存在だったんだから。
勝手に自分の心の内を推測されて、哀れんで、自分の優しさアピールのためなのかなんなのか……彼らから発される言葉を、今まともに相手するつもりなど毛頭なかった。
「あら、貴方……ゆめちゃん?」
最初の数人を相手したくらいからだんだん作業化してきた参列者の迎え作業だったが、母さんのその一言で、虚ろであったろう俺の瞳に熱がこもる。
目の前にいたのは、たしかに阿波野ゆめだった。
目を離している隙に、参列に並んでいたらしい。
夢でも妄想でもなく、当たり前のように、俺の初恋の女性がそこにいた。
フィクションみたいにたっぷり時間を使って、ゆっくり出会うでもなんでもなく、そこに彼女はいたし、俺はそれを認知しなきゃいけなかった。
この世界の時間の流れはみな等しく常に一定だから、久しぶりの再開だと言うのに、感動性やらなんやらの感情を持ち合わせて彼女に向き合うことが一瞬、出来なかった。
「はい……覚えていただけてたんですね」
「そりゃ忘れないわよ、沢山祐希がお世話になったんでしょう?うちの主人も……ほら祐希」
肩を二度、叩かれる。
はっとした。 この世界の時間の流れはみな等しく常に一定である……
自分の感情を、思いを、しげしげとひとりで積もらせていたかったけれど、母親も彼女も既に俺の数秒先にいる存在だった。
「ゆめちゃん、覚えてるでしょう?」
忘れるわけないだろと思った。
でも、こうして間近で、且つクリアな視界で見た時にやっと、彼女は確かに……確かに、阿波野ゆめなんだと、そう思った。
しばらく俺も彼女も何も言わず、ただ呆然と互いの姿を見つめ合うようにしていたのだが、彼女の方が先に折れる。
バツが悪そうに視線をやや下に落としてから、改めてこちらをチラリと見やり、
「久しぶりだね」
「……えぇ、」
「何年ぶりかな?」
俺に向けられた声色を聞いた時、急激なまでに記憶のフラッシュバックが起こる。
忘れかけていた思い出と、確かに覚えていたあの日のこと、なんならきっと忘れていた会話に至るまで、彼女のその声その瞳は俺の脳を再び……著しく、稼働させる。
俺が中学一年生、彼女が受験シーズンだった頃の思い出。
俺は今高校二年生だから……
「おおよそ……四年振りですかね、恐らく」
「そっか。 そんなに経ったかあ」
「えぇ、まぁ、はい」
「じゃあ、本当に久しぶりだ」
見覚えのある向日葵みたいな笑顔に、今度は俺が視線を落とす。
あの夏に何度も見てきたその笑顔を、俺は小っ恥ずかしくて……直視することが出来なかったのである。
「あのー、後続が突っ込まえすんで長話は……」
と、式場のスタッフの気まずそうな声で、俺と彼女のなんとも言えない……居心地の悪い、と言うよかたどたどしい雰囲気が破られる。
「あっ、すいません。 ……じゃあ、祐希くん。 また後でね」
「……え? また後でって……あっ、ちょっと」
また後で、という言葉が、妙に引っかかったと言うだけだったんだろう。
いや、この葬式の後にもまた色々やらなきゃいけないことはあるし、そこでいくらでも……俺と話す機会なんてあるわけだから、その時に改めて話したいこととか話そうだとか、そういう意味だったんだろうなと、彼女の腕を掴み、取り返しのつかない自分の行動を自覚しクラついてきた頭で考えた。
「……? どした」
嫌悪のない、驚きと困惑が混じった表情を持って、阿波野ゆめは俺を観た。
俺の心の内なんて、きっと覗くつもりは毛頭ない、ただ表面上だけを、彼女は観ているようだった。
俺はこの四年間、何度も、何度も、再開した今に至るまで、あなたのその表情やらなんやらを、見ていたというのに。
要するにこの、腕を掴むという行動は、思いの暴走だったんだろうなと思う。 恋は盲目であり、俺はその時ブレーキを見失っていた。
「あ、いえ……」
力を緩めて、未だ困惑しつつも「話したいことあるなら、やっぱりまたあとでだね」と立ち去っていく彼女を見送る。
もういい加減に、ある程度この恋心は忘れたと思っていた……いや、自然分解でもされているものだと思っていた。
また俺の前から消えてしまうのかあなたはという、心に強く根付いた根源的恐怖。
手の震えに気付いて、俺は咄嗟にそれをズボンのポケットに突っ込んだ。
こんな情けない姿を、どうか母親には見て欲しくなかったんだ。
なにか事情があるとかじゃない、誰だってそうだろう、自分が誰かに強烈なまでに恋をしている姿を、親になんて見られたいはずがない。 茶化される予感しかしないだろう、茶化されなかったらそれはそれで恥ずかしい。
恐る恐る振り返ると、母親はそんな俺を見向きもせずにただただ参列の迎えに勤しんでいて、俺は数秒唖然とした後、ポケットからなんとも血色のいい自分の手を解放して、母親の元へ向かった。
◇◇◇
親父の葬式は、極めて壮大に執り行われた。
どっかの芸能人の葬式か?と言ったくらいに人は集まっていたし、妙なまでに祭壇やらなんやらも凝っていた。
もしお経を唱える坊主ではなく、ギターを響かせるギタリストが来ていたのならば、この人数、この部屋の大きさ、ライブハウスさながらになって大盛り上がりだろうなとしょうもないことを考えていたけれど、残念なことにお経にサビはないらしくて、ナマンダブツナマンダブツと定期的に唱えられてることくらいしか分からなかった。
体感一時間近くのそれが終わると、棺に花を添えてやるパートに入ったらしく、俺もよく分からない花を親父の顔の横に置いてやった。
葬式だと男性でも化粧をするのか、と思った。 いつもより遥かに血色が良かったから。 でも、いつもより元気は無さそうだった、そりゃそうか、死んでるんだもんな。
あぁ、親父って死んじゃったんだな。 そう思いつつ、最後の表情を見届ける。 親父の表情をあまり知らないけれど、薄ら笑いみたいな、でも親父なりに全力で笑おうとしてるんだなって顔が好きだったから、最後にそれが見れないのは惜しかった。
今のこの状況がつまらなさそうな、そんな顔だった。
再びお経が始まる。 立って多少回復したと思ったけれど、ケツは変わらず痛かった。
親父は贅沢者だと思う。 こんなお前の死を悲しんでる人間がいるのに。
こんな俺すら、お前のこと好きでもなんでもない俺すら、このケツの痛みくらいは耐えてやるかと思ってやってるんだから、笑って死ねよと思った。
◇◇◇
「あ、お疲れ様」
「……ん、あぁ、はい。 お疲れ様です」
色々と葬式のプログラム(と称していいのかは分からない)が終了し、会場の外で背を伸ばし、痛んだケツを腰痛めてる人がよくやってる容量で拳で叩いていると、後ろから声をかけられる。
「なんか、おじさんみたいなことをするようになったね?」
阿波野ゆめだった。
目が1.8倍くらい一気にガっと開いて、慌ててその手を前に突き出す。 俺はおじさんじゃない、という証明だった。
「長く座ってたもんで、血流が」
「そっか、君は抜けれないか」
「え?」
「私は適当なとこ座ってたから。 花添えて途中で抜けたの」
通りで清々しい顔つきだと思ったわけだ。 俺に限らず、母親ですら腰を気にして表情を崩してたんだから。
ゆめさんは、雲ひとつ、いやふたつ、みっつ? あぁ、そうなると快晴とは言えないんだった……よく晴れた晴天に手をかざす。 なんだか妙に憂いげだった。
「なんか、微妙な顔してたね、せんせー」
「親父はいつもあんな顔でしたよ」
「そうかな、割とバリエーションに富んでなかった?」
「確かに顔に出やすい人ではありましたけど……」
「イジってるとね、露骨に嫌そうな顔とかするんだよ。 人間味に溢れてたね、せんせーは」
阿波野ゆめは、やはり長谷川蓮司の教え子だった。
俺からしてみればただのつまんない親父だったけど、彼女からすれば大した人間だったんだろう。
いわゆる恩師みたいなものだよと、あの夏に教えてくれたことを覚えている。
「まぁでも、恵まれてるよね、せんせーは」
「あぁ、それは同意します」
「沢山人が来てるし、何より私も来たわけだし」
「?」
俺がキョトンとしていると、彼女は前髪を整えつつ、
「死ぬ時は、教え子に葬式に来て欲しいって、せんせーはいつも言ってたから」
まるで記憶を辿りながら、ゆっくり優しくその思い出を抱きしめるような言い方で、阿波野ゆめは言った。
彼女からすれば大切な思い出なんだろうけど、俺からしたらそんなものは酷くどうでも良くて、親父ってそういう趣味でもあったのかなとか適当なことを思う。
「喜んでると思いますよ、地獄で」
「そうだね、せんせーは流石に地獄行きだ」
俺たちの影は落ちない。 建物の外だけど、俺のしばらく上空には、この立派な建物の長い屋根がある。 俺たちの影はその大きな影に覆われてた。
目の前にある日光の照らす場所に母親も親戚も集まっていて(これは単に今が十月で、日光を浴びれば程よい暖かさを感じられるからなんだろうけど)、俺と阿波野ゆめだけが、この日陰に身を置いていた。
「そういえば」
ゆめさんの言葉に、視線をおばさんたちから彼女に移す。 約七十年の視覚的タイムスリップ。 余計に彼女の瑞々しさというか、麗しさが際立つ。
「実は、私は君の約束を果たすためにも、ここに来たんだ」
「はい? 約束?」
それこそ、あの夏に結んだ約束の話らしかった。
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