番外編「その瞳に映る、ただ一人の君」

 俺、キリアン・アシュフォードが、リゼット・フォン・ヴァインベルクという少女を初めて意識したのは、10歳の誕生日を祝う宮廷の茶会でのことだった。

 同年代の貴族の子弟が集められた、退屈な社交の場。

 大人たちの顔色を窺い、お利口に振る舞う子供たちの中で、彼女だけが違っていた。


 一人で輪から離れ、庭の隅でしょんぼりと項垂れているライラックの花に、彼女はそっと話しかけていた。

『どうしたの? 元気がないのね。お水を、もっとどうぞ』

 小さな手にジョウロを持ち、一生懸命に世話をする姿。

 その光景が、なぜか俺の心を強く捉えた。

 翌日、気になって同じ場所を見に行くと、あのライラックは、まるで命を吹き返したかのように、見事に咲き誇っていた。


 その時から、俺の世界には、彼女という光が灯った。

 学園で彼女の姿を見かけるたびに、目で追った。

 彼女が王太子であるエドワードと婚約したと聞いた時は、胸に冷たい何かが突き刺さるような痛みを感じた。

 だが、ヴァインベルク公爵令嬢と、アシュフォード公爵家の次男坊(当時)では、身分が違いすぎる。俺にできることは、ただ遠くから彼女の幸せを祈ることだけだった。


 風向きが変わったのは、俺が公爵位を継ぎ、そして、エリアナという少女が現れてからだ。

 リゼットが、あの女によって少しずつ追い詰められていくのを、俺は歯噛みしながら見ていた。

 エドワードは愚かにも、偽物の涙に騙され、リゼットの訴えに耳を貸さない。

 彼女の瞳から、日に日に光が失われていく。

 もう、見てはいられなかった。


『彼女を、俺が救う』


 そう決意した日から、俺は全てを懸けて行動を開始した。

 エリアナの身辺を洗わせ、彼女がリゼットを陥れている証拠を集めさせた。

 公爵家の力を最大限に使い、あらゆる情報を手に入れた。

 全ては、いつか来るべき日のために。彼女を、あの愚かな王子から奪い取るために。


 そして、卒業記念パーティーの夜。

 断罪され、誰にも信じてもらえず、たった一人で絶望に耐える彼女の姿を見た時、俺の中で何かが切れた。

 もはや、計画も段取りもどうでもよかった。

 今すぐ、この腕で彼女を抱きしめなければ。

 この世界から、彼女を守らなければ。


「ならば、俺が君を娶ろう」


 衝動的に口から出た言葉だった。

 だが、それは俺の偽らざる本心。

 驚きに見開かれた彼女の菫色の瞳が、俺を映した瞬間、俺の長い長い恋が、ようやく報われる予感がした。

 腕に抱き寄せた彼女の身体は、驚くほどか細く、震えていた。


『もう大丈夫だ、リゼット』


 心の中で、何度も繰り返す。

 これからは、俺が君の盾になる。君の剣になる。

 君を傷つけるもの全てから、俺が君を守り抜いてみせる。


 俺の瞳には、昔も、今も、そしてこれからも、ただ一人、君だけが映っている。

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