第2話「仕組まれた悪意の記憶」

 パーティー会場の隅へ、逃げるように移動する。

 壁際に身を寄せても、突き刺さるような視線からは逃れられない。同情、好奇、そして侮蔑。色とりどりの感情が渦巻く中で、私は息を殺した。


『どうして、こうなってしまったの……』


 目を閉じると、この数ヶ月の記憶が嵐のように蘇ってくる。

 エドワード殿下と私の婚約は、物心ついた頃からの決めごとだった。政略結婚。そこに熱烈な愛はなくても、次期国王を支える妃として、穏やかな信頼関係を築いていけると信じていた。

 その日常に、エリアナという亀裂が入ったのは、半年前のこと。


 平民でありながら、教会も認めるほどの強い聖なる力を持つ少女。

 その珍しさも手伝って、彼女は特例で王立学園に編入してきた。

 最初は、私も彼女に優しく接していた。慣れない貴族社会で戸惑うだろうと、声をかけ、手を差し伸べた。


『リゼット様は、とてもお優しいのですね』


 そう言って、天使のように微笑んでいた彼女の顔を思い出す。

 あの笑顔の下に、どれほど黒い感情が隠されていたのだろう。


 変化は、彼女がエドワード殿下の目に留まってから、すぐに現れた。

 殿下は、純真で少しドジなエリアナを放っておけなかったらしい。彼女の庇護者であるかのように振る舞い始めた。


 ある日、学園の中庭でエリアナが足を滑らせて噴水に落ちた。

 偶然通りかかった私は、すぐに彼女を助け起こした。

 けれど、翌日にはこう噂されていた。

『リゼット様が、エリアナさんを噴水に突き落とした』と。

 エリアナは涙ながらに『リゼット様は悪くないんです、私が自分で落ちたんです』と庇ったけれど、その健気な姿が、余計に私の立場を悪くした。


 またある日は、王太子妃教育の一環で取り組んでいた、慈善活動の寄付金が一部なくなった。

 私が管理していた金庫から。

 必死で探したけれど、見つからなかった。

 後日、エリアナの私室の、誰も気づかないようなベッドの裏から、そのお金が入った袋が見つかった。

 彼女は言った。『どうしてこんなところに……? ごめんなさい、リゼット様にご迷惑を……』

 エドワード殿下は私を厳しく叱責した。『金銭管理もできないのか。エリアナを疑わせるような隙を作るな』と。


 一つ一つは、小さなこと。

 でも、そんな小さな悪意が降り積もり、いつしか私は『嫉妬深く、平民の聖女をいじめる悪役令嬢』という、身に覚えのない役柄を押し付けられていた。


 抵抗しなかったわけじゃない。

 殿下に何度も無実を訴えた。父にも相談した。

 けれど、殿下はエリアナの涙を信じ、父は『王太子殿下に疑われるような振る舞いをするお前が悪い』と、私を突き放した。

 味方は、どこにもいなかった。

 侍女のアンナだけが、『お嬢様は何も悪くありません』と泣いてくれたけれど、一侍女の声が届くはずもない。


 仕組まれた悪意は、あまりにも巧妙だった。

 私が何かをすれば、それはすべて裏目に出る。善意は悪意にすり替えられ、親切は嫌がらせに歪められる。

 エリアナは、人の心の隙間に入り込む天才だったのかもしれない。

 可憐で、儚げで、守ってあげたくなる少女。その仮面の下で、彼女は舌を出して笑っているのだろう。


「リゼット様」


 不意に声をかけられ、びくりと肩が震えた。

 顔を上げると、そこにいたのは、今まで私を囲んで談笑していたはずの令嬢たちだった。


「ひどいですわ。聖女様になんてことを」

「ヴァインベルク公爵家の名誉に泥を塗って……恥ずかしいと思わないのですか?」


 彼女たちの目は、氷のように冷たい。

 昨日までは、お茶を飲み、次の流行のドレスについて語り合った仲だったはずなのに。

 手のひらを返したような態度に、心が軋む音がした。


「私は、何も……」


「言い訳は見苦しいですわよ」


 ぴしゃりと言い放たれ、言葉に詰まる。

 そうだ。もう何を言っても無駄なのだ。

 私は『悪役』なのだから。

 この物語は、私が断罪されて終わる筋書きなのだ。


 唇をぎゅっと結び、俯く。

 床に落ちたシャンデリアの光が、砕けたガラスのように散らばって見えた。

 それはまるで、粉々に砕け散った私の心のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る