第11話「小さな灯火」
暁の宣言によって、屋敷内の風当たりは少しだけ和らいだ。しかし、都の人々の反発は依然として根強く、儀式の中止を求める声は鳴り止まなかった。
俺は再び厨房に立つ決意をしたものの、一度砕けた心はそう簡単には元に戻らなかった。食材を前にしても、どんな福巻きを作ればいいのか、全くアイデアが浮かばない。焦れば焦るほど、頭は空っぽになっていく。
『俺の料理で、本当に人々を幸せにできるんだろうか』
自信を失ったまま、時間だけが過ぎていく。そんな俺を見かねてか、ある日、暁が思いがけない提案をしてきた。
「伊吹、少し出かけよう」
「え?でも、外は……」
「案ずるな。俺がついている」
暁はそう言うと、俺に頭からすっぽりとかぶれる外套を渡し、半ば強引に屋敷の外へ連れ出した。人目を忍ぶように裏道を進み、俺たちがたどり着いたのは、懐かしい場所だった。
「ここ……は……」
そこは、俺がかつて営んでいた食事処「木漏れ日」だった。休業中の店の前には、しかし、見慣れた顔がいくつも並んでいた。近所で暮らすおじいさんや、行商人のおばさん、かつてのなじみの客たちだった。
俺の姿に気づくと、彼らは一斉に駆け寄ってきた。
「伊吹さん!」
「大将!ずっと心配してたんだよ!」
俺は驚きと戸惑いで、立ち尽くす。Ωだと知られても、彼らは変わらずに接してくれるのだろうか。そんな不安を打ち消すように、なじみの一人である左官屋の親方が、がははと笑った。
「変な噂が流れてるが、俺たちは信じねえよ!あんたがΩだろうが何だろうが、関係ねえ!」
「そうだよ。あたしたちは、あんたの作る飯が好きなんだ。あの温かい味噌汁が、また飲みたいんだよ」
行商人のおばさんが、涙ぐみながら言う。
彼らは、都の噂など意にも介さず、ただ純粋に俺の料理を求め、俺自身のことを心配してくれていたのだ。
「みんな……」
胸がいっぱいになり、言葉が続かない。
俺は一人じゃなかった。俺の料理を、待っていてくれる人たちがいた。その事実が、凍てついていた心の深いところを、じんわりと溶かしていく。
「伊吹さん、これ。うちの畑で採れたばかりの大根だ。煮物にでも使ってくれ」
「こっちは、いい卵だよ。だし巻きにしておくれ」
皆が次々と、食材を俺の手に持たせてくれる。どれも立派なものではない。けれど、そこには、どんな高級食材にも代えがたい、人の温もりが詰まっていた。
「ありがとうございます……本当に……」
俺は深々と頭を下げた。涙で視界が歪む。
失いかけていた、料理人としての原点。誰かの「美味しい」という笑顔のために、心を込めて料理を作る。そのシンプルな喜びを、俺は今、確かに思い出した。
帰り道、俺は暁に尋ねた。
「暁さん。どうして、みんながここに……」
「俺が、少しだけ声をかけた。お前に会いたがっている人たちがいる、と」
暁は、少し照れくさそうに視線を逸らした。彼の優しい心遣いが、胸に沁みる。
屋敷に戻った俺は、もう迷わなかった。
皆がくれた食材を手に、まっすぐ厨房へ向かう。
俺が作るべき福巻きの姿が、ようやくはっきりと見えてきた気がした。それは、決して豪華絢爛なものではない。けれど、誰の心にも届く、温かくて優しい光を灯すような、そんな福巻きだ。
小さな灯火が、いくつも集まって、大きな光になる。
俺はもう一度、立ち上がることができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。