この案件三日で校了致します
楓月
この案件三日で校了致します
コーヒー豆の香りが包む店先で、寒さに体を揺らしながら眉を寄せる女がいた。
「ん~、やっぱり今日はモカチーノにしようかな。それとも、ホワイトモカにしようかな。」
白い息を吐きながら看板を見つめる瞳は、言葉に合わせて右へ左へと動く。
「さっさと決めろよ、楓。さっきから何十分悩んでんだよ。」
コートのポケットに手を突っ込み、身をギュッと縮めた男が楓を急かす。
僅かに怒りを滲ませた声に、楓は睨みつける。
「うるさいなぁ、蓮は。決まんないだからしょうがないでしょう。」
「寒いんだよ!」
「だったら先に行けばいいじゃん。事務所は其処なんだから!」
寒空の下、看板を前に言い合う二人。
「今日も君達は朝から元気だね。」
柔らかな声に楓と蓮が顔を向ける。
緩いパーマに黒のロングコート。穏やかな微笑みが似合う。
「おはようございます、更科社長。」
「おはよう、楓、蓮」
元気いっぱいに挨拶をする楓。その横で蓮は軽く頭を下げる。
「楓は今日も迷ってるの?」
「今日はモカチーノかホワイトモカで。しかも、かれこれ15分は迷ってるんすよ。まじでいい加減しろよ。」
冷ややかな目で楓を見つめ愚痴れば、楓も睨み返す。
そんな二人を見遣り、更科は看板を見ると楓へと目を向ける。
「ホワイトモカがいいんじゃないかな。」
「ホワイトモカですか?」
小首を傾げ聞き返す楓に更科は笑みを浮かべ頷く。
「今日の服装にも似合ってるよ。」
全く理由になってない理由に楓の視線が自分の服装を見つめると、にっこりと頷く。
「ホワイトモカ買って来ます。」
嬉しそうに店内に入って行く。
「はぁ!!」
蓮が愕然とする。
今まで迷っていて、決めた理由が服装にあってるからって……。
「わけわかんねぇ。」
呆然と呟く蓮に更科がまだまだだねぇと笑う。
「何でもいいんだよ、理由なんて。あと一押しがないから決められないだけなんだから。」
「なんだそれ……。」
理解できずに溜め息とともに吐き出された言葉。
何十分と寒空の元で待っていた身としては、納得が行くわけがない。
苦虫を噛み潰した様な顔に更科はもう一度ふっと笑っていると、楓がご機嫌に店から出てきた。
機嫌よく飲み物に口付けながら、楓達はコーヒーショップの横にある階段を登っていく。
ドアのプレートが太陽の光を受けて輝く。
「更科デザイン事務所」
最短三日で校了を謳う、小さな制作会社だ。
デザイナーニ名、営業ニ名、事務一名の五人で回している。
ドアが閉まる音に合わせて、プレートがかたんと揺れた。
「おはようございまーす!」
楓の声が事務所に響く。
「今日も随分と迷ってたみたいね。」
クスクスと艶やかに笑みを浮かべる葵に蓮が見てたんですかと尋ねる。
「えぇ。律儀に待ってて偉い偉い。」
コーヒーを淹れながら、葵は蓮を笑いながら褒めると更科にコーヒーを渡す。
「毎朝コーヒーひとつでよくそこまで迷えるな楓。」
新聞から顔上げると、三嶋が呆れた様に楓を見る。
「今日はモカチーノかホワイトモカっすよ。マジでいい加減にしろよ。」
「だから、先に行ってていいって言ったじゃない。」
蓮と楓が互いに睨み合うと、毎朝恒例の風景に大人組は呆れた様に溜め息を落とした。
「やれやれ、仕事するぞ。営業組は外回りかい?」
更科は切り替えるように三嶋と楓に視線を寄越す。
「俺は、更科のデザインを客の所に持って行って、新規で打ち合わせ二件だから戻りは夕方だろうな。」
「私は、新規の打ち合わせ一件とデザインの渡しだけなので昼過ぎには戻れると思います。」
三嶋と楓に更科は頷くと、蓮へと視線を移す。
「俺は初稿デザイン二点と再校デザイン二点です。」
「うん。じゃあ皆今日も頑張っていくぞ。」
更科の言葉で全員が一斉に動き出す。
行ってきますと出ていく楓に、後ろからついていく三嶋の転ぶなよと苦笑いする声が小さく聞こえるとドアが音を立てて閉まる。
「やっと静かになった。」
蓮はそっと呟き、眼鏡をかける。
モニターに映し出されたデザインを、営業の指示書に目を通しながら手直しを進めていく。
淀みなく手を動かす蓮を視界に映すと、更科も手を動かし始めた。
「でかっ……。」
楓はそびえる会社を見上げ、唾を飲む。
中小企業相手が多い楓。
知る人ぞ知る企業名にびびりつつ、楓は中へと入った。
通された待合室はの壁には歴代のイメージモデルを務めた女優のポスターが貼ってある。
"Arcelle―アルセル—"
20代の女性をターゲットにした化粧品メーカーだ。
ガチャリと扉があくと、楓と同じ20代半ばの女性が入ってきた。
緩く纏められた髪、耳元にはピアスが揺れる。
ポスターに見惚れていた楓は慌てて立ち上がる。
「本日はお時間いただきありがとうございます。
アルセルのマーケティングを担当しています、竹下琴美と申します。」
「更科デザイン事務所、営業の小鳥遊楓と申します。」
互いに名刺交換を終えると、竹下は楓に椅子を勧める。
「えっと……、今回はどういった案件のご依頼でしょうか?」
タブレットを取り出すと、楓はペンを握り早速ヒアリングを始める。
「実は来週の頭に、弊社の展示会が行われる事になっているんです。」
竹下は手帳を見ながら、依頼の経緯を話し始めた。
アルセルは来週、初の香水と創立30周年を記念した大事な展示会を控えていた。
ポスターなどの準備が着々と進み、全てが順調に揃った時、予想だにしない問題が起こったのだ。
「実は……先日部長から急にポストカードを作るという指示がありまして。それに香水の香りを染み込ませて、来場者に配ろうと。」
困惑する竹下。楓はメモを取りながら気持ちは軽かった。
そんな依頼も日常茶飯事で多く受ける更科デザイン事務所。慣れたものだと聞いていた楓が次の言葉で、動いていた手が固まる。
「……ポスターと一緒だと面白くないから、全く違うデザインで香水のイメージに合うようにと。」
楓がタブレットから顔を上げると、反対に竹下は申し訳なさそうに俯向く。
「因みに納期は?」
楓が恐る恐る尋ねる。
「4日後の午前中です。それまでにデータを工場にお渡ししないといけなくて。」
「つまり……今日を除いて3日後には校了ということですか。」
「はい。他では無理だと断られてしまって。お願い致します。更科デザイン事務所が最後なんです。」
頭を深く下げる竹下。
大事な展示会で用意出来なかったとはあってはならない失態。追い詰められている竹下を見ると、楓は難しいとも言いづらい。
楓は目を瞑り、思わず天井を仰ぐ。
年に一回あるかないかの爆弾依頼。
……ごめん、蓮。爆弾依頼引いちゃった。
楓は蓮の顔を思い浮かべ、そっと心で手を合わせる。
その後、楓は竹下からデザインのヒアリングを進めていくと、データを事務所へと送る。
「では、初稿ができましたらお持ち致しますね。」
「はい、宜しくお願い致します。」
楓は竹下に頭を下げると、会社を後にした。
その後、他社にデザイン案を渡した楓は昼過ぎに事務所へと戻ってきた。
蓮、怒ってるだろうな……。
溜め息をつき、事務所に入るのを躊躇していると声がかかる。
「楓、何してんだ。」
「三嶋さん!戻り早くないですか。」
夕方戻りだと思っていた三嶋の姿に楓が驚き声をあげる。
「1件リスケしてな。で、お前は何やってんだ。」
「爆弾依頼を引いてしまいまして……入るに入れなくて佇んでいます。」
肩を落とす楓に三嶋はなんだそんな事かと呆れる。
「蓮もプロだろ。そんな事でいちいち怒んねぇよ。ほら、寒いんだから入った、入った!」
三嶋に押される様に事務所へと入る。
「ただいま戻りました……。」
心なし小さな声に葵が優しく迎えてくれる。
「おかえりなさい。寒かったでしょう。」
楓は気まずく蓮を見ると、視線が合う。
無言で手を差し出す蓮に楓は不思議そうに瞬きをする。
「パッケージとか持って帰ってきたんじゃねぇの。」
絶対に怒ってると思っていたのに、普段と変わらない蓮の声。
楓は慌てて鞄からパッケージ等のデザイン資料を取り出すと蓮へと渡す。
「何?」
じっと見つめる楓に蓮は訝しげな視線を向ける。
「いや、絶対怒ってると。」
気まずそうに呟く楓に蓮は呆れた様に息を吐き出す。
「仕事だろ。別に怒んねぇよ。」
くだんねぇこと考えてないで仕事しろと言い捨てると、蓮はモニターへと戻っていく。
「なっ、言ったろ。」
楓の頭を三嶋が小突く。打ち合わせするぞと声掛け、会議室へと入っていく。
「はいっ!!」
元気いっぱいに復活すると、楓も手帳を抱え三嶋の後を追う。
「……ほんと世話やけんだから。」
バタバタと横をすり抜けていく楓を蓮は横目で見送り、溜め息を落とすと仕事へと戻っていった。
次の日、楓が出社すると蓮は事務所で仕事をしていた。
「蓮、早いね。もしかして、徹夜?」
「いや、早目に出社しただけだよ。」
ぐっと体を伸ばす蓮に、楓はコーヒーを渡す。
淹れたてのコーヒーの香りが二人を包み、疲れた蓮の気持ちをゆっくりと溶きほぐす。
「大丈夫?」
少し疲れがみえる蓮の顔を、楓が心配そうに覗き込む。大きな瞳が蓮の瞳と合うと、蓮がスッと視線を外す。
「目元変えたの?」
視線を外したまま尋ねる蓮に、一瞬きょとんとなると楓の顔がぱぁつと明るくなる。
「すごい!蓮、よく気づいたね。アイシャドウのサンプルもらったの。綺麗でしょ。」
見て見て!と顔を近づける楓。
楓から甘い香りがふわり香ると、蓮は急に立ち上がる。
「一服してくる。」
「えっ!?」
蓮は足早に事務所のドアから出ていった。
呆然と立ち尽くす楓。
すると、ドアが開き更科達が出社してきた。
「蓮のやつ、どうしたんだ。慌てて屋上に上がっていったけど。」
立ち尽くす楓は首を傾げる。
「……一服してくるって言ってましたけど。」
疑問を含む様な言い方に、葵達は顔を見合わせる。
「あっ!葵さん達もコーヒー飲みますか?」
楓が横を通り抜けた時、甘い香りに葵が楓に尋ねる。
「楓ちゃん、香水つけてる?目元もいつもと違うけど。」
「わかります!?サンプルを竹下さんから貰ったんです。」
嬉しそうに報告する楓に葵はくすりと笑うと、よく似合ってると伝える。
そして、察した様になるほどねと呟く。
葵の呟きに更科と三嶋も蓮が慌てて出てきた理由を察する。
「蓮って意外と純情だよな。」
「確かにな。誂ってやるなよ。」
三嶋に更科がやんわりと釘を刺す。
「えっ、どういことですか?」
1人理解が追いついていない楓に三嶋は呆れた様に視線を送る。
「お前は1人平和だな。」
くしゃりと髪を撫でられ、苦笑いで落とされた言葉に楓は顔を顰めるしか出来なかった。
「こちらが初稿のデザイン案です。」
午前中、楓はアルセルへと来ていた。
蓮から預かった原稿を竹下へと渡す。
「うわぁ!凄く素敵ですね。虹の下で咲く花とボトルがアルセルらしくて。」
デザイン案を見て目を輝かせる竹下。
自分が作ったわけでもないのに、楓はどこか誇らしくなる。
「早速、部長を呼んできますね。」
竹下が部長を呼びに部屋から出ていくと、楓は机の下でガッツポーズをする。
……意外と爆弾依頼ではなかったんじゃない。
いい感じの手応えに楓の頬が緩む。
ドアが開く音に、楓は慌てて緩んだ頬を引き締める。
竹下と入ってきたのはふくよかな体格に眼鏡をかけた50代後半ぐらいの男性だった。
竹下から部長の指原だと紹介された。
「いかがでしょうか。」
楓がデザイン案を見せると、指原はじっと原稿を見つめる。落ちた間に、楓の喉がゴクリと音を立てる。
「うん、凄く素敵でいいんじゃないかな。アルセルらしくて。」
指原の返答に楓の目が輝く。
……よしっ!!
内心では握った拳。
「それでは、こちらでーー。」
校了と言いかけた時、指原がうーんと唸り声を出す。
「やっぱり、ここの文字なくしたほうがいいかな……。」
眉間に皺を寄せ、呟く声に楓が聞き返す。
「何か気になる点がありましたか。」
タブレットを開くと、楓は原稿を映し出す。
「ここのアルセルって文字なんだけどね、失くした方がボトルが目立つ様な気がするんだよね。」
楓は、タブレットを扱ってアルセルの文字を消してみる。
「あぁ~!良いね。スッキリするし、ボトルも目立つし。あと、花の色もこの色じゃなくて、アルセルにちなんで7色とか、こうもっと華やかな方がいいんじゃないかな。」
どんどんと追加される修正という名の要望。
指原と並んで座っていた竹下は、事前のヒアリング内容と食い違う指示が出るたびに視線を外し、またかと小さく溜め息を漏らした。
「化粧品メーカーとしては、やっぱり華やかさは無いと、他社に負けてしまうからね。」
最初の感触はどこに行ったのか。
修正をタブレットにメモる。楓ズキズキとするこめかみをそっと押さえながらも、楓は1つ1つ丁寧に汲み取っていく。
想像力が乏しい楓。
楓自身も出来上がった原稿を見て初めて、具体的にこうしたら良いな等の要望が出てくるからだ。
但し、営業として再々校までは行かないように此処でしっかりヒアリングをする。
タブレットを使い、出来るだけイメージに繋がりやすい様に楓は進めて行った。
「では、出来ましたらメールでお送りしますね。」
楓は、笑顔で締めるとアルセルを後にする。
そして、そのまま近くのカフェと入った。
席に着くと、早速先程の打ち合わせの修正依頼を纏めていく。時折、考える様に手が止まるとまたペンを動かす。
デザイナーである蓮がスムーズに作れるように細かく指示書を作成し終えると、楓はデータを送信する。
ひと仕事を終え、ほっと息をつくと少し冷めてしまったコーヒーへと口をつけた。
蓮のタブレットに通知が届く。作業を止めて、中身を開くと蓮は思わず「げっ!」と声をあげる。
「どうかしたかい、蓮。」
珍しく声をあげた蓮に、更科がモニターから顔を覗かせる。
「楓からアルセルの初稿の戻しが返ってきたんですけど……」
首に手を当て、深く息を吐き出す様子に更科は立ち上がり蓮のデスクへと行く。
蓮がタブレットを見せると、更科の目が僅かに見開く。
「ほぼ全部修正だね。最初のヒアリングともだいぶ違っているみたいだけど。」
前回のヒアリング内容を確認し、今回の報告書にも目を通していく更科の目が、ある一点で止まる。
それは、初回のヒアリングの際にはいなかった指原部長という文字だった。
……ふむ、ちょっと面倒くさい案件になりそうだな。
考える様に視線を落した更科が蓮と声をかける。
「アルセル以外の抱えてる案件は僕に回してくれるかい。時間もないから、アルセル1本に集中するといいよ。」
ふわりと笑いながらも、異論を唱えづらい雰囲気に蓮は頷くしか出来なかった。
夕方、楓のタブレットに蓮からの再校が届いた。
修正内容を反映したデザイン。そして、それとは別に修正内容に沿いながらも、指原が迷っていた所を上手く掬い取った別のデザイン。
デザイン案を見た楓の目が大きく見開くと、思わず息が漏れる。
「すごい……。これ、綺麗で好きだなぁ。」
蓮からのデータに楓はしばし見惚れると、はっとなり慌てて竹下へとデータを送る。
それから程なくして、竹下からの返事が届いた。
部署内でも大変好評だった事や指原もまた凄く良いと褒めていた事が綴られていた。
今度こそ上手くいきそうだと思う一方で、言いしれぬ不安が楓を包み込んでいた。
「また、修正にならなければいいけど……。」
ぽつりと呟いた不安は、数時間後に現実となる。
深夜の自室。蓮は煙草に火をつけると溜め息と共に天井へ向けて、ふっと煙を吐き出す。
「あぁ~くそ。終わりが見えねぇ。」
帰る間際に貰った修正依頼。
通常、再々校ともなれば微調整レベルでほぼ最終確認である。だが、今回もまた修正依頼の内容はほぼ作り直しのレベルだった。
眼鏡を外し、目頭を押さえる。
校了まであと2日。先方の確認の時間を考えると、提案できるのはあと4案が限度だろう。
じりじりと追い詰められていく感じに、蓮は煙草を深く吸うとゆっくりと吐き出した。
校了まで残り2日。
気怠そうに蓮は事務所のドアを開けると、纏う黒いオーラに葵があらあらと呟く。
結局、朝方近くまでデザインを描いていた蓮。
パソコンを立ち上げる蓮に楓が心配そうに近づく。
「大丈夫?」
「ん?問題ねぇよ。それより、デザイン案送っといたから。」
いつもなら目を向けて話す蓮。しかし、こちらを見ずに話す蓮に楓の瞳が寂しそうに揺れる。
その日の午後、先が見えず、終わらない修正依頼に蓮の気持ちが爆発する。
「楓!この修正依頼なんだよ!作り直し何回させんだよ。ちゃんとヒアリングしてんのかよ。」
「してるよ。でも、毎回言ってることが変わるの!」
朝、先方に渡したデザイン案。
いつもの様に指原は、良いねぇと感嘆の声をあげる。
そして、そのままじっと見つめるとあぁだこうだと悩み始める。
今回もまた作り直しになる修正依頼に蓮は大きく溜め息をつくと、楓のデスクへと向かったのだ。
「大体、俺言ったよな。ここはこの色じゃないと意味がねぇし、文字も柄も大きくしたんじゃメリハリがなくなるって。ちゃんと伝えたのか。」
睨む蓮。一方的な物言いに楓もカチンっとくると、言葉強く言い返す。
「言いました。でも、先方がそれじゃ駄目って。」
「先方の願いをなんでもかんでも聞けばいいわけじゃないだろ。それでも営業かよ!」
ピリつく蓮と楓。
「蓮がこだわりすぎてるから無駄に時間がかかってるんじゃないの!」
「はぁっ!?」
言い合う声の大きさがどんどんと増してきた時、更科と三嶋が二人の頭を軽く叩く。
「いい加減にしろよ。楓、言い過ぎだ。デザイナーが1つデザインを仕上げる為にどれぐらい労力使ってるかお前だって分かってるだろ。」
楓が唇を噛み締める。泣かないように力を込めた目は、一点をじっと見つめる。
「蓮の言い分も一理あるぞ。相手の要望をきちんと聞き入れながらも、こちらの意見もきちんと伝えるのも営業の大事な役目だろ。」
「はい。申し訳ありません。」
頭でわかっても飲み込めない感情。
三嶋はじっと楓を見つめる。
「外回り行ってきます。ついでに頭も冷やしてきます。」
小さく呟かれた言葉を三嶋は普段通りに受け止める。
「行ってらっしゃい。」
コートを掴み足早に事務所を出ていく楓の姿を三嶋はそっと息を吐き出して見送る。
「蓮も言い過ぎなんじゃないか。楓の修正依頼はいつもきちんと細かくヒアリングされてるよ。デザインが迷わなくていいようにね。」
楓が出ていったドアを見つめながら、更科が蓮に言葉をかけると、蓮をしっかりと見つめる。
「こだわるのはいいけど、納期に間に合わないなら意味ないよ。それが仕事だよ、蓮。」
「わかってます。すみません。」
「まぁ、個人的には女の子を泣かすのはいただけないなぁ。」
くすりと笑い席に戻る更科に、三嶋は呆れた様に見ると外回りへと出かけていく。
席に戻ると、蓮は楓から貰った修正依頼を見つめる。
丁寧に書かれたコメントの一つ一つに蓮の心は自己嫌悪に沈んでいった。
誰もいない事務所。
時計の針の音に混ざり、マウスの音が響く。
デザインを作っては消してを繰り返す蓮の手がふと止まると、サンプルで貰った香水へと手が伸びる。
蓋を開けるとふわりと香る甘い香りに蓮は楓を重ね合わせる。
シュッと軽く宙へと吹きかけると、香りは強さを増す。背もたれに体を預け、腕で目を覆うと纏う香りと共に楓の姿にが思い浮かぶ。
丁寧にこなしていく仕事姿も、上手くいかず悔しくて泣きそうになる姿も校了して笑う姿も、その一つ一つが楓が積み重ねてきたものだというと事を蓮はずっと見てきた。
今回の修正依頼も、一つ一つ丁寧に解き汲み取っていたのは見て取れる。
香りと共に浮かぶ楓の姿を蓮はデザインへと無意識に落とし込んでいく。
成長していく女性の未来が七色に輝き、アルセルがその架け橋となりますようにという願いを込めて付けられた社名。
腕をおろすと、蓮は体を起こしパソコンへと夜遅くまで向かった。
校了まで残り1日。
楓はアルセルの待合室にいた。
目の前には指原部長と申し訳なく座る竹下の姿。
朝一で貰ったデザイン案の原稿を二人の前に差し出す。
「いかがでしょうか。」
楓の硬さが残る声。差し出された原稿に思わず竹下と指原の声が重なる。
「ほぉ!」
「……素敵!」
修正内容を汲み取りつつも、今までとガラリと変わったデザイン。
「凄く素敵です!!弊社のアルセルという名前や社名に込められた想いが映し出されてるようで!」
竹下が興奮気味に楓に伝える。
「うん、凄く良いね……。ただね……。」
それでも迷う指原。限られる時間に竹下から焦りの色が見える。
「何か気になる事ありますか。」
「やっぱり社名をもう少し大きくした方が……。」
毎度の如く出る指原の迷い。まただと俯向く竹下。しかし、楓は困った顔は一切せずに前の原稿案を出し、一つ一つに丁寧に答えていく。
デザイナーのこだわりや想いを伝え、その上で指原の中にあるイメージを具現化出来る様に……。
無理だと断ることをせず、限られた時間の中で出来る限り寄り添っていく。
「うーん、どうしようかな……。」
指原が原稿を見つめながら、それでも迷い続ける。
その時、ガチャリとドアが開いた。
ノックもなく開いたドアにぱっと視線を向け驚く三人。そして、開けた本人も驚いた様に三人と視線が絡む。
「おやおや、部屋を間違えたかな。申し訳ないね。」
たぷっとしたお腹が揺らし、申し訳なさそうに顔を顰める姿。楓の誰だろうという視線に竹下が慌てて立ち上がる。
「弊社の代表取締役 川北です。」
竹下の紹介に楓も慌てて立ち上がる。
「展示会のポストカードのデザインを依頼してます、更科デザイン事務所の小鳥遊様です。」
楓は名刺を社長へと差し出す。
川北はにっこり笑って名刺を受け取ると、テーブルの上に並ぶ原稿に目を通す。
「ほぉぉ、どれも素敵だね。特にこれなんて。いやぁ、お客様も喜ぶだろうね。楽しみ楽しみ。」
ほっ、ほっ、ほっとお腹を揺らし笑うと、川北はお邪魔したねと部屋から出ていった。
風のように現れて、サッと去っていった川北に楓が少し驚いていると、指原が1枚のデザインを手に取る。
「うん、これがいいね。小鳥遊さん、このデザインで校了してくれるかな。」
「えっ……。」
突然の事に楓は指原をじっと見つめる。
「このデザインでいいんですか。」
確認するようにおずおずと尋ねる楓に指原は満足そうに頷く。
「これが良い。」
指原の言葉に楓は校了完了の書類を取り出す。
「こちらに署名を戴きますとこれ以上の修正は出来ませんが……。」
尚も念をおす楓に指原は大丈夫だと頷きながらサインをする。
「それでは、この案件こちらで校了とさせて戴きます。」
冬風吹く寒空の下、屋上で楓と蓮は缶ビールをぶつける。
「校了、お疲れ様でした!」
プシュッと音を立て、缶を開けるとそのまま喉へと流し込む。
「はぁー!!おいしっ!」
美味しそうに息を吐き出す楓に蓮はおっさんかと笑う。
「でも、まさかこんな終わり方になるなんてね。」
楓が思い出して苦笑する。
「そんなもんだろう。」
蓮もふっと息を吐き出すと、ビールを傾ける。
最終的に決まったデザイン。
それは、蓮が初稿で出したものだった。
川北がこれいいねと言ったデザイン。
その話を三嶋に伝えると、だろうなとあっさりと頷いた。
「自分よりも強い役職からの最後の一押しであっさりと決まるもんだからな。そういう時って。」
いい経験になっただろうと笑う三嶋に楓はなんとも言えない気持ちだった。
夕方、アルセルから連絡があり一番最後に出したデザインも受け取りたいとの事で、結局2案を渡す事となった。
夜の景色を見つめながらご機嫌でビールを口づける楓。
蓮はその横顔をじっと見つめる。
「楓、今日うちで飯食わない?」
楓が蓮へと視線を移す。
「んー、でもなぁ。見たいドラマあるし。」
「うちで見ればいいだろう。楓の好きなパスタ、作るけど。」
「ほんと!?あぁ、でもなぁ……。」
一喜一憂するが如く悩み始める楓。
「明日も仕事だし……。」
「なら尚更、うちの方が近いだろう。」
軽く右の頬を膨らませ、視線を下へと傾ける楓がだってと小さく呟く。
「何?」
「だって……寝かしてくれないじゃん。」
蓮の瞳が大きく開くと、その場に固まる。
微かに赤くなり、恥ずかしそうに視線を外す仕草で小さく呟かれた言葉は、破壊力抜群で蓮の心を鷲掴みにする。
風が二人の沈黙を攫うと、蓮が楓の手を掴む。
「ほら、帰るぞ。」
蓮に握られた手は、熱を持つ。
「まだ、決めてないんだけど……。」
尚も迷う楓。蓮は立ち止まり振り向くと、楓を真っ直ぐに見つめる。
「俺が今日、楓といたいんだよ。それじゃ、駄目?」
耳まで真っ赤になって固まる楓に蓮はふっと笑う。
「早くしないとドラマ始まるぞ。」
誂う様に話す蓮に、楓が我に帰る
「えっ!早く帰ろう。リアタイで見たいんだって!」階段を駆け降りて、荷物を取ると事務所の扉を締める。わちゃわちゃと楽しそうに話しながら階段を降りていく二人の掛け合いを風が空へと舞い上げていった。
この案件三日で校了致します 楓月 @fugetu_0327
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