NOAH-ノアのハコブネー

北山 連

プロローグ:Silence in the Dust

世界が失われたあとに残ったのは、砂、灰、そして機械だけ。

その静寂の奥で、ひとつの“揺らぎ”が生まれようとしていた。


風が砂を削る音がした。

その響きは、死んだ文明のどこかにまだ残っている

“微かな鼓動”のようでもあった。


世界はとうに終わっているのに、

砂だけが過去を擦り続けている。


色を失った空は、

その下に広がる灰色の地表と同じ温度をしていた。


何も育たず、

何も残らず、

数百年の空白がただ風に運ばれていく。


――かつて、この星には色があった。


青い海。

夕暮れの橙。

人々の声が街路で重なり、

窓越しに生活の光がこぼれるあの温度。


古いログに残された映像は、

どれも“過ぎ去った幸福の断片”として再生される。


湿度のある風。

川の匂い。

子供の笑い声。

どこにでもあった光景が、

いまの世界では信じられないほど遠い。


もっと古い記録を開くと、

人類がまだ“原始的”だった頃の姿がある。


核という熱を手にしていながら、

それを扱う思想も、倫理も、構造も未成熟で、

影に怯え、互いに反応し、

その果てに自分たちを焼き尽くしてしまった文明。


国家という巨大な器官。

軍という暴力の筋肉。

抑止の名を借りた恐怖の連鎖。

そのどれもが、一夜で崩れ落ちた。


残ったのは砂漠化した地表と、

機械が命を維持するために作られた

“人工子宮のような”シェルターだけだった。


2200年代。

人間が生きられる陸地は、

高山の一部と人工区画だけになっている。


その中を、俺は歩いていた──。


白色照明の廊下。

酸素濃度モニターの赤い点滅。

空調の規則的な呼吸音。


すべてが管理され、均質で、

“人間の温度”を排除している。


靴の底が床に触れるたび、

そのわずかな接触音が、

この世界で唯一の“揺らぎ”として反響する。


人工記憶の奥にある“家族の記憶”を探る。

しかしその風景には匂いがなく、

光の濃淡も風の温度も曖昧だった。


まるで、誰かが作った“よくできた模型”を覚えているような違和感。

その代わりに残ったものは──孤独。


廊下の最奥で、扉が静かに開いた。


白ではない。

深い青銀色の光が漂う空間。


培養槽。

その中心に、彼女はいた。


A.I. TYPE-07。

細胞培養で構築された、ほとんど人間と変わらない“女性”。


呼吸があり、脈があり、

人工血液が皮膚の下で淡い光となって揺れている。


だが──完璧だった。

整いすぎていた。

生命特有の“ノイズ”がどこにも存在しない。


未使用の肌。

影を知らない輪郭。

成熟と無垢が重なる矛盾。


その胸がわずかに上下した。

“呼吸”だった。


息を呑むより先に、

視界がその揺らぎを捉える。


「……アイ」


登録すらしていない名が、自然に口を突いて出た。


――その瞬間。


天井から割れたノイズ。


「——…情…演算……地上区画……エラー…」


ラムダの演算異常。

世界のほころびの始まり。


彼女の微かな目覚めと、

この世界の終焉の予兆が、

同じ一点で触れ合ったかのようだった。


その揺らぎは、

砂と灰に覆われた世界に

初めて灯る“小さな火”だった。

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