第1話 嫌なパーティー 前編
カトリーヌに婚約破棄が突きつけられるより一ヶ月ほど前のこと。ファーブル王国の王宮では、カジュアルな形のパーティーが開かれていた。
第一王子であるセドリックの婚約者として王妃教育を受けているカトリーヌが、教育の一環として開いたパーティーである。セドリックやカトリーヌと同世代の貴族令息・令嬢が招待され、人脈を広げる場とされているのだが――。
「やだ〜。セドリック様ったら。そういうことは二人きりの時に、ですわよ?」
実態としては、セドリック一人だけが持ち上げられる異様な場となっていた。
本来ならばパーティーの中心にいるはずのカトリーヌだが、定位置は令嬢たちを侍らせたセドリックが横柄に腰掛けるソファーの後ろだ。セドリックの命令によって、そこにじっと立っているのが、最近のカトリーヌの役目だった。
「私は王子なんだ。これぐらい問題ないだろ?」
野心のある令嬢たちは女好きというセドリックの好みを把握し、時には下品と言えるほどの接触をしながらセドリックの寵愛を得ようと奮闘している。
「もうっ、恥ずかしいわ〜」
現在セドリックにしなだれかかっている男爵家の令嬢デボラは、わざとらしく瞳を潤ませて上目遣いをすると、自らの大きな胸を押し付けた。そんなデボラの行動に、セドリックは気分が良さそうに鼻を鳴らす。
その後ろで、カトリーヌはひたすら時間が経過するのを待っていた。
(これは、コルディエ侯爵家に生まれたわたしの義務。陛下に殿下の婚約者として選んでいただいたのだから、放棄するわけにはいかない)
自分に言い聞かせる。
カトリーヌは少し社交が苦手だが、とても真面目で優秀な令嬢だ。身分的にもセドリックの婚約者に相応しく、陛下によって何年も前に婚約者として指名された。
その頃からセドリックの女癖の悪さや浪費家なところ、態度が悪いところなどが密かに噂されていたため、コルディエ侯爵は無理をしてでも婚約打診を断ろうとしていた。
しかしカトリーヌ自身が、侯爵家の立場を悪くしないために婚約者となることを了承したのだ。
(でも、早く終わってほしいな……屋敷に帰って魔道具を作りたい。早く一人になりたい)
さすがのカトリーヌでも胸中では本音が溢れていた。
そんな中でセドリックが、馬鹿にしたような笑みを浮かべて告げる。
「カトリーヌもお前ぐらい可愛げがあればなぁ〜」
これ見よがしにソファーの後ろに立つカトリーヌをチラッと見たセドリックに、カトリーヌは素直に謝った。
「申し訳ございません」
これが一番、波風を立てないとすでに学んでいるのだ。
真面目で優秀なカトリーヌは、セドリックとの相性が最悪だった。
婚約者になることが決まった初日に体を触ろうとしてきたセドリックを拒んだところで、カトリーヌはすでに嫌われ、さらに浪費に少し苦言を呈せば酷い嫌悪を向けられる。
カトリーヌがセドリックにとって、邪魔な婚約者となるのはすぐだった。しかしさすがのセドリックも、国王には逆らえない。カトリーヌも逆らえるはずがない。
そのため、二人の婚約は維持されているのだ。
「はぁ、お前と結婚するかと思うと気分が下がる」
ため息を吐いたセドリックに、デボラが猫撫で声で言った。
「私が癒して差し上げますわ〜」
「デボラはカトリーヌなんかより、よほど私に相応しいな。お前が侯爵家の生まれだったら良かったものを」
「本当に、悲しいことですわ」
「泣くな。カトリーヌと結婚したとしても形だけだ。側妃としてデボラのことを寵愛するからな」
「まあ、嬉しいです!」
この国は側妃を娶ることが禁止されていないとはいえ、本来であればここまで大っぴらにすることではない。王妃に子ができないなど、何か問題があった時の制度なのだ。
しかし、セドリックは好きなだけ側妃を娶るつもりで話を進めている。王子としての勉学から逃げているセドリックに、正しい知識などないのだ。セドリックは、自らが王となれば自らが法であると思っている節があった。
なぜここまでセドリックが増長したのか。それは国王の興味関心の薄さと、王妃の甘やかしだ。
国王は問題なく王としての仕事をこなしているが、とにかく感情に乏しいのだ。現王妃を娶ったのも身分的に一番相応しかったから。子どもを設けたのもそれが王の義務だったから。それだけである。
つまり、王妃にもセドリックにも何の情もない。それを象徴するように、国王はセドリックが生まれてから、片手で数えられるほどしか本人に会っていなかった。
そんな国王の妻となった王妃は愛に飢え、自らの息子であるセドリックに過剰な愛を注ぐようになった。セドリックのやることは何でも正しいと甘やかしたのだ。
そうして、現在のセドリックが生まれた。
「デボラ様、羨ましいですわ」
「殿下のご寵愛がいただけるなんて」
「殿下、私も殿下を癒して差し上げたいですわ」
別の令嬢たちもセドリックに群がる。
現状ではセドリックが次の王となる可能性が高く、どれほど無能な王子だとしても寵愛を得るのが得策なのだ。
貴族たちの中にはセドリックに不安や不満を抱いている者もいるが、国王の権威が強いこと、さらに第二王子がいないことを理由に、表立ってセドリックを批判するような貴族はいない。
そのため、十代の終わり頃というカトリーヌやセドリックと同年代の貴族たちは、セドリックに気に入られようと必死だ。そしてそちらに必死になれば、セドリックが嫌うカトリーヌと距離を取るのも必然だった。
カトリーヌが侯爵家の令嬢であるにもかかわらず、助ける者が現れないのはそのためだ。
「カトリーヌ様も殿下に相応しくなれるよう努力なさればよろしいのに」
「そうよね〜。もう少し愛想良くすれば少しは違うわ」
むしろセドリックを喜ばせようと、カトリーヌを馬鹿にする者たちが大半だった。
「笑い方を教えて差し上げようかしら」
「まさか、子供でも分かることができないのかしら」
カトリーヌにまで聞こえている会話は、もう慣れたものだ。
しかし、心に傷がつかないわけじゃなかった。カトリーヌはほぼ無意識に唇を引き結ぶ。
カトリーヌだって笑っていないわけではないのだ。セドリックの言う愛想がないというのは、下品な身体接触がないという意味である。カトリーヌだって最初の頃は普通に笑っていた。
今はもう、セドリックの前で普通の笑顔すら浮かべることはないが――。
それはセドリックのせいである。
「――カトリーヌは可愛らしく笑うわ」
カトリーヌを蔑む令嬢たちに向かって、思わず溢れてしまったというようにそう告げたのは、伯爵令嬢コレットである。
ほとんどの者たちに知られていないが、カトリーヌの親友であるコレットは、このようなパーティーに出るたびに強い怒りをなんとか飲み込んでいた。
「コレット様、何か仰いましたか?」
「……いえ、言っておりませんわ」
コレットは拳をキツく握りしめながら、なんとかそう返す。
カトリーヌはコレットに、自分のことを庇わないようにと強く伝えているのだ。コレットまで虐められないようにというカトリーヌの優しさなのだが、それが逆にコレットを苦しめているのかもしれない。
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