気ままな神様たちの回覧板

未之るい

第1話 おっちょこちょいな神の使いと回覧板

​「あー、寒い…。」

​ 吐き出した息が、一瞬で白く染まって消えた。

 一月半ば。夕暮れになり、肌を刺すような冷たい風が吹き抜ける。

 俺は今、父に頼まれた細々とした日用品を近くの百均で買い、その帰り道にいた。

 スーパーのレジ袋がカサカサと音を立て、中に入った乾電池やガムテープが歩くたびに膝に当たる。

​ そんな時だった。


 ふと、いつもは風景の一部として意識すらしていなかった神社が、妙に鮮明に目に入った。

​ 「そういや、こんなとこにあったな…。興味なくて毎回素通りしてたっけ。」

 この道は何百回と通っているはずなのに、なぜか今日に限って、その薄鼠色の鳥居が「こっちへ来い。」と手招きしているように見えた。

 (…まあ、ついでだしな。たまにはお参りでもして、少しは運気でも上げていくか。)

​ 俺は吸い込まれるように、コンクリートの地面から砂利道へと足を踏み入れた。


​ 鳥居をくぐってすぐ右側には、冬の寒さのせいか、それとも元々なのか、ひび割れて乾ききった池があった。

 殺風景な眺めだ。

 さらに数歩進むと、参道の両脇に古びた灯籠が並んでいる。

 夕闇が迫る境内は静まり返り、風が木の葉を揺らす音しか聞こえない。


​ 「…ん? なんだ、あそこ。なんか光ってね?」

​ 左側にある灯籠の足元。

 枯れ葉が溜まった隅っこで、何かが異常に眩い光を放っていた。

 まるでLEDライトを直視したような、あるいは小さな太陽がそこに落ちているような、非現実的な輝きだ。

 俺は引き寄せられるようにそこへ歩み寄り、膝をついた。

​「落とし物か…? にしては、光りすぎだろ…。」

​ 目を細めながら、恐る恐るその「光る四角い板」に手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間。

 パッと弾けるように眩しさが消え、代わりに手に残ったのは、どこにでもあるような、いや、どこか懐かしい「質感」だった。


​「回覧板…?」

​ 光を失ったその物体は、まごうことなき回覧板だった。

 全体的な地の色は、高貴な、けれど少し渋みのある紫。

 ど真ん中に力強い筆致で『八幡回覧板』と横書きされている。

 文字の下には鮮やかな赤色の鳥居が描かれ、その中にちょこんと白いハトが鎮座していた。

 さらに右上には、意匠化された金色の大きな花――おそらく菊か何かの紋だろうか――が、鈍い光を放っている。

​「なんだこれ。ご近所の回覧板にしては、ずいぶん凝ったデザインだな。」


​ それにしても、さっきの光は何だったんだ。

 俺は周囲を見渡すが、仕掛けらしきものは何もない。

​ 「落とし物…だよな。神社の関係者のやつか?」

​ 参道の左側に目を向けると、古びた社務所が視界に入った。

 俺は得体の知れない回覧板を脇に抱え、社務所へと向かう。


 受付の窓口は閉まっており、人気(ひとけ)はない。

​ トントン。

 木製の窓枠を軽く叩いてみる。

​ 「すみませーん! 誰かいませんか? 境内で落とし物を拾ったんですが。」

​ 返事はない。

 奥から足音が聞こえる様子もない。

​ 「いないのか? まだ昼前……じゃねぇわ、もう夕方か。でも、居ないのが当たり前なのか? そんなに神社来ねぇから分かんないけど…。」

​ 困った。このまま地面に戻しておくのも気が引けるが、持ったまま帰るわけにもいかない。

 「しっかし、この回覧板どうすっかなぁ。」

​ 俺が途方に暮れて、手元の紫色の板を見つめていた、その時だった。


​ 「あーっ! 失くしたと思ってた回覧板!」

 「うおっ!?」

​ 鼓膜を直接揺らすような高い声に、俺は飛び上がった。

 心臓が口から出そうになるのを抑えながら、声のした方へ勢いよく振り向く。

​ 誰もいない。

 …いや、視界をずっと下へ下げたところに、いた。

​ 見たこともない、真っ白な毛並みの犬が。

​ 「は? 犬…?」

 「えっ? 見えるんですか?」

​ 犬が、小首を傾げた。

 今、こいつ、喋ったよな?

​ 「しゃ、しゃ、喋ったー!? 犬が喋ったぞおい!」

 「失礼ですね! ただの犬じゃないので話せます!」

 「…幻覚か。そうか、俺、仕事の疲れでついに脳がイカれたんだな。…うん、そうに違いない。」

​ 俺は現実逃避気味に天を仰ぐ。百均のレジ袋を握る手に変な汗が滲む。

 ​「幻覚じゃありません!! 私はここの神社の狛犬の、メコです!」

 「狛犬……? 石像じゃなくて、その、ポメラニアンみたいな見た目で?」

 「メコです!!」

​ 「やっぱり、これ、俺が疲れてるだけだわ。」

 変なもん拾ったから脳がバグったんだ。帰って寝よう。風呂入って寝れば明日には治ってる。

​ 「うん。帰ろ。さよならメコさん」

 「あっ、待ってください! 帰るのは良いですけど、その回覧板は持ち帰らないでください!」

​ 出口の方へ足早に歩き出した俺の前に、メコが信じられないスピードで回り込み、仁王立ち(四つ足だけど)で立ちふさがった。

​ 「…ああ、これ、メコさんのやつなの?…どうぞ。返しとくわ。」

​ 俺は半ば投げやりに回覧板を差し出した。

 メコは「ふんす!」と鼻を鳴らすと、器用に口でその角をくわえ取った。

 そして、くわえたままぺこりと一礼し、テクテクと短い足を動かして本殿の方へ歩いていく。

​ 「…夢だよな。そうだ、夢だ。回覧板があんなに光るわけないしな。あそこから全部、俺の妄想だったんだ」

​ 自分に言い聞かせながら、今度こそ鳥居を抜けようとした、その瞬間。


​ ゴォッ!!

​ 背中から突き飛ばされるような、強烈な突風が吹いた。

 思わず足が止まり、買い物袋が激しくバタバタと音を立てる。

​ 「…そこの人間」

​ 風の音に混じって、地響きのような野太い男の声が聞こえた。

​ 「???…気のせい、だよな。絶対気のせいだ」

 「気のせいではない。そこのお前に声をかけているのだ」

​ はっきりと、耳元で囁かれたような感覚。

 俺は恐怖で首筋を凍らせた。

​ 「幻聴…さっきよりヒドくなってきてる…。早く帰らねぇと、病院行かないと…。」

​ 震える足で一歩を踏み出そうとするが、再び壁のような風が吹き、俺の進路を遮る。

​ 「幻聴だとかグズグズ言ってる、買い物袋を持った、そこのお前だと言っている」

 「…お、俺か!? 俺のことなのか!?」

​ たまらず後ろを振り返った。

 けれど、やはりそこには誰もいない。冬の静かな境内が広がっているだけだ。

​ 「なんだ。やっぱり誰もいねぇじゃねぇか。あー、怖っ。早く…。」

 「幻聴ではないと言っているだろう!」

​ 俺の独白を遮るように、空気が震えた。

 ツッコミのキレが良すぎる。

​ 「とりあえず本殿の方に来い。話はそれからだ」

 「⋯はぁ。」

​ もはや抵抗する気力も失せ、俺はため息のような返事をした。

 この「幻聴」が収まるのなら、言う通りにするしかない。


​ この神社は、鳥居から突き当たりまで進んで右に曲がると、拝殿が見えてくる造りになっている。

 俺は導かれるように、拝殿の前まで辿り着いた。

 特に変化はない。古びた鈴の緒が垂れ下がり、お賽銭箱が鎮座しているだけだ。

​ ただ、拝殿の扉が少しだけ開いていた。

 その奥、さらに本殿の扉もかすかに開いている。

 暗い隙間の向こう側に、一点の曇りもない「神鏡」が鈍く光っているのが見えた。

​ なぜだろう。その鏡から目が離せなくなった。

 俺は吸い寄せられるようにお賽銭箱に身を乗り出し、その鏡の奥を覗き込もうとした。

​ ――キィィン、という高い音が脳内に響く。

​ 鏡が、夕日を反射したなんてレベルじゃない光を放ち始めた。

​「うわっ!」

​ 強烈な閃光。俺はたまらず両腕で顔を覆い、固く目を瞑った。

 全身の感覚がふわっと浮き上がり、冷たかった風の音が消える。

 代わりに鼻を突いたのは、心地よい「畳と線香」の匂いだった。


​「……おい。いつまで目を閉じている。」

​ 恐る恐る目を開ける。

 そこは、境内の外からは想像もできないほど広い、天井の高い和室だった。

​「よく来たな。回覧板の拾い主よ。」

​ 目の前に、二人の男が座っていた。

 一人は、筋肉隆々とした体躯に、古風だが豪奢な装束を纏った男。おそらく先ほど境内で俺を呼び止めた声の主だろう。その威圧感は尋常ではない。

​ そしてもう一人は、対照的にすらっとした細身の身体つきで、龍の刺繍が入った着物を着流している。

​ 俺は手に持った百均の袋をぎゅっと握り直した。

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