第2話 「利息と暴力」

 警視庁生活安全課。


 戸塚誠一郎は、その肩書きを名乗った。


 40代半ば。短く刈った髪に、疲れた目。スーツは吊るしだが、靴だけは磨かれている。


「灰谷遼さんですね。スキル担保融資について、いくつか確認させてください」


 灰谷は黙って頷き、向かいのパイプ椅子を勧めた。


 御子柴が茶を出す。今日はちゃんと湯呑みだった。


「まず——」


 戸塚が手帳を開いた。


「スキルを担保にする法的根拠を教えてください」


「どこまでご存知ですか」


「概要は。ただ、詳細は専門外なので」


「分かりました」


 灰谷がデスクの引き出しから資料を取り出した。


 付箋だらけの法令集。判例のコピー。金融庁のQ&A集。国会答弁の議事録。


 戸塚の目が、その厚さに少し驚いた。


「スキル担保法第12条」


 灰谷が法令集を開いた。


「"覚醒者の保有するスキルは、無体財産権として法的保護の対象となる"。2019年の法改正で明文化されました」


「……無体財産権」


「特許権や著作権と同じカテゴリです。売買、譲渡、担保設定が可能。民法第369条の質権設定に準じます」


 戸塚がメモを取る。


「差押えについては?」


「同法第14条。"債務不履行時、債権者は裁判所の許可を得てスキルの移転を請求できる"。手続きは強制執行に準じます」


「裁判所の許可が必要、と」


「はい。勝手には取れません。法的手続きを経ます」


 戸塚がペンを止めた。


「……高金利については?」


「年利18%。利息制限法第1条の上限以内です。元本100万円未満の場合、上限は年18%。うちは100万円未満の融資が主なので、ちょうど上限ということになります」


「グレーゾーン金利は——」


「2010年に廃止されました。出資法と利息制限法の統一で。現在は18%を超えると刑事罰の対象です」


 灰谷が別の資料を差し出した。


「金融庁のQ&A集です。スキル担保融資に関する見解が載っています。"現行法上、違法とは言えない"という回答があります」


 戸塚がその資料を受け取った。


 ページをめくる。付箋が貼られた箇所を読む。


「……」


 沈黙が落ちた。


 御子柴は横で見ていた。


 ——この人、警察が来ること分かってたんだ。


 ——だから全部、準備してた。


 戸塚が資料を閉じた。


「よく調べていますね」


「当然です。商売ですから」


「……」


 戸塚が立ち上がった。


「今日のところは、これで。また何かあれば連絡します」


「いつでもどうぞ。営業時間は9時から18時です」


 戸塚がドアに向かった。


 その背中に、灰谷が声をかけた。


「戸塚さん」


「何ですか」


「何か、言いたいことがあるんじゃないですか」


 戸塚が振り返った。


 数秒、灰谷の目を見た。


「……合法と、正しいは違う」


「……」


「あなたのやっていることは、法には触れないのかもしれない。でも——」


 戸塚が言葉を切った。


「——いや、すみません。個人的な意見です。忘れてください」


 ドアが閉まった。


 足音が廊下に消えていく。


 御子柴が息を吐いた。


「……完全に論破してましたね」


「論破じゃない」


 灰谷が資料を片付け始めた。


「事実を述べただけだ」


 ---



 御子柴が湯呑みを片付けながら言った。


「でも、あの刑事さんの言葉……」


「何だ」


「"合法と正しいは違う"って」


「……」


「気にならないんですか」


 灰谷が法令集を本棚に戻した。


「正しさは主観だ。法は客観だ。俺は客観で商売する」


「……」


「"正しい"は人によって違う。ある人にとっての正義は、別の人にとっての悪だ。でも法は、誰にとっても同じ条文だ」


「それは……そうですけど」


 御子柴がデスクの横に立った。


「それ、寂しくないですか」


 灰谷の手が、一瞬止まった。


「寂しさで飯は食えない」


「……」


「御子柴。お前は何のためにここで働いてる」


「え?」


「金だろう。移転士の資格を取るための学費。それを稼ぐためにここにいる」


「……はい」


「金のために働く。それは"正しい"か?」


 御子柴が黙った。


「正しいかどうかは分からない。でも、必要だからやってる。——俺も同じだ」


 灰谷がデスクに座った。


「正しさを議論する暇があったら、帳簿をつけろ。塚本の返済スケジュールを管理表に入れておいてくれ」


「……分かりました」


 御子柴がパソコンに向かった。


 その背中を見ながら、灰谷は窓の外に目をやった。


 隣のビルの壁。灰色のコンクリート。


 ——合法と、正しいは違う。


 戸塚の言葉が、頭の中で反響していた。


 ——知ってる。


 ——だから、法を選んだんだ。


 ---



 昼過ぎ。事務所の電話が鳴った。


 御子柴が取る。


「はい、灰谷質店——あ、塚本さん? どうしました?」


 灰谷が顔を上げた。


 御子柴の表情が変わっていく。


「え……いつですか? 今朝? 何人……」


 灰谷が立ち上がり、受話器を取った。


「灰谷です。何があった」


 電話の向こうで、塚本の声が震えていた。


『灰谷さん……俺、どうしたらいいか……』


「落ち着いて。何があった」


『さっき……男たちが来て……』


「何人だ」


『3人……スーツ着てて……名乗らなかった……』


「何を言われた」


『"灰谷に返すな、うちで借り換えろ"って……』


 灰谷の目が細くなった。


『断ったら……"お前の嫁の手術、事故が起きるかもな"って……』


「……」


『俺、どうすれば……嫁は来週手術なんです……もし何かあったら……』


「塚本さん」


 灰谷の声は、平坦だった。


「今日、うちに来れるか」


『え……』


「直接話す。来れるなら来い」


『……分かりました。夕方なら……』


「待ってる」


 灰谷が電話を切った。


 御子柴が横で聞いていた。


「……鰐淵、ですか」


「だろうな」


「警察に——」


「無駄だ」


 灰谷がデスクに座った。


「"民事不介入"と言われる。脅迫罪で告訴するにも、証拠がない」


「でも、塚本さんの証言が——」


「証言だけでは弱い。"言った言わない"になる。物証がいる」


 御子柴が唇を噛んだ。


「じゃあ、どうするんですか」


 灰谷は答えなかった。


 代わりに、ホワイトボードの前に立った。


 マーカーを手に取り、何かを書き始めた。


 ---



 夕方5時。塚本が来た。


 顔色は昨日より悪かった。目の下の隈が濃くなり、頬がさらにこけている。


「すみません、わざわざ呼び出して……」


「座れ」


 灰谷がパイプ椅子を勧めた。


 塚本が腰を下ろす。手が膝の上で震えている。


「詳しく聞かせろ。最初から」


 塚本が話し始めた。


 今朝9時頃、自宅アパートのインターホンが鳴った。宅配かと思ってドアを開けたら、スーツの男が3人立っていた。全員、顔が強面。ヤクザかと思った。


『灰谷質店で借りただろ? うちで借り換えねえか。金利安くしてやるよ』


 そう言われた。断ったら、笑い方が変わった。


『お前の嫁さん、来週手術だってな。——大きな病院は事故も多いからなあ。気をつけろよ』


 それだけ言って、帰っていった。


「……その後、電話も来ました」


 塚本がスマホを見せた。着信履歴。非通知が12件。


「出ると、何も言わずに切れる。ずっとそれの繰り返しで……」


 御子柴が灰谷を見た。


 ——どうするんですか。


 その目が問いかけている。


 灰谷は塚本の話を最後まで聞いた。


 そして言った。


「塚本さん。提案がある」


「提案……?」


「次に男たちが来たら——」


 灰谷がホワイトボードを指した。


 そこには図式が書かれていた。


【録音】→【証拠化】→【法的請求権】→【債権譲渡】


「——録音しろ」


 ---



「録音……?」


 塚本が目を瞬いた。


「スマホでいい。ポケットに入れて、録音アプリを回しておけ」


「でも……それで何が……」


「脅迫の証拠を取る」


 灰谷がマーカーで図式を指しながら説明した。


「証拠があれば、刑事告訴ができる。告訴しなくても、民事で慰謝料請求ができる。脅迫による精神的苦痛、業務妨害。相場は50万から200万」


「慰謝料……」


「ただし、リスクはある」


 灰谷が塚本の目を見た。


「録音がバレたら、相手は怒る。暴力に発展する可能性もある」


 塚本の顔が青ざめた。


「だから、対価を払う」


「対価……?」


「録音に成功したら、あなたの借金を半額にする」


 塚本が息を呑んだ。


「50万が25万になる。利息も半分だ」


「……」


「さらに、もう一つ条件がある」


 灰谷がA4の紙を取り出した。手書きの契約書だった。


「慰謝料請求権を、俺に譲渡してくれ」


「譲渡……?」


「録音が成功したら、俺がその証拠を使って相手に請求する。あなたの代わりに。回収額の30%はあなたに渡す」


 御子柴が口を挟んだ。


「ちょっと待ってください」


 灰谷が振り返る。


「塚本さんを囮にするんですか?」


「囮じゃない。協力者だ」


「でも、危険なことに——」


「対価を払う。成功すれば借金半額。失敗しても、元の条件のまま。怪我をしたら治療費を全額負担する」


 灰谷が塚本に向き直った。


「どうする。選ぶのはあなただ」


 塚本は黙っていた。


 御子柴が塚本の顔を見た。


 ——断ってください。


 そう願っていた。


 だが、塚本は顔を上げた。


「……やります」


「塚本さん!」


「やります」


 塚本の目に、何かが灯っていた。


「俺、ずっと逃げてきたんです。ダンジョンで怪我して、免許失って、職も失って。妻に迷惑かけて。ずっと……誰かに助けてもらうのを待ってた」


「……」


「でも、待ってても来なかった。助けてくれたのは、灰谷さんだけだった。——金貸しなのに」


 御子柴が何か言おうとした。


 塚本が続けた。


「俺にできることがあるなら、やりたいんです。嫁を守るために」


 灰谷が塚本の顔を見た。


 数秒の沈黙。


「——契約書を読め。納得したらサインしろ」


 塚本がペンを取った。


 ---



 塚本が帰った後。


 御子柴が声を荒げた。


「あの人を危険な目に遭わせるんですか!」


「危険は説明した。本人が選んだ」


「選ばせたんでしょう! 借金半額なんて言われたら、断れるわけない!」


「断る選択肢はあった。俺は強制していない」


「でも——」


「御子柴」


 灰谷の声は静かだった。


「じゃあ、どうする」


「……」


「警察は動かない。鰐淵は法の外で動く。俺には暴力がない。金もまだ少ない。使えるのは、法と契約だけだ」


 御子柴が黙る。


「塚本を守る方法があるなら言ってくれ。俺はそれを採用する」


「……」


「ないだろう。だから、これが最適なんだ」


 灰谷がホワイトボードの図式を見た。


「暴力には暴力で対抗できない。だから、証拠にする。証拠を法的請求権に変える。請求権を金に変える。——それが俺の戦い方だ」


 御子柴の手が握りしめられていた。


「……塚本さんが怪我したら」


「治療費を払う」


「死んだら?」


「……」


 灰谷は答えなかった。


 御子柴が詰め寄った。


「死んだら、どうするんですか」


「……想定していない」


「してないって——」


「死亡確率は低い」


「低いって、ゼロじゃないでしょう!」


 灰谷がデスクに座った。


「ゼロの選択肢はない。生きてる限り、何をしても死ぬリスクはある」


「それは詭弁です」


「詭弁じゃない。事実だ」


 御子柴が唇を噛んだ。


「……私、この仕事向いてないかもしれません」


「辞めるか?」


「……」


 御子柴は答えなかった。


 灰谷は、それ以上何も言わなかった。


 ---



 夜9時。


 塚本のアパートは、住宅街の外れにあった。


 築30年の木造2階建て。外壁のペンキは剥がれ、階段の手すりは錆びている。


 塚本は自室の前に立っていた。


 ポケットにスマホを入れた。録音アプリを起動してある。


 妻は病院に付き添いで外泊中だ。今夜はひとり。


 ——本当に来るのか。


 灰谷はそう言っていた。


『今夜来る可能性は高い。昼に断られた相手は、夜に来る。相手のホームで、相手が弱っている時間を狙う。——基本だ』


 その予測が、当たらないことを祈っていた。


 だが。


 階段を上がってくる足音が聞こえた。


 複数。3人か、4人か。


 塚本は息を殺した。


 階段の上に、影が現れた。


「——よお、塚本さん」


 スーツの男が3人。今朝と同じ顔ぶれ。


「考えは決まったか?」


「……」


「返事がねえな。まあいいや。今日はもう一人、連れてきたんでね」


 男たちの後ろから、別の影が現れた。


 白髪混じりのオールバック。金の腕時計。


 鰐淵剛三だった。


「よお、塚本さん。初めましてだな」


 鰐淵が笑った。


「俺が直接来たんだ。——じっくり、話そうや」


 塚本のポケットの中で、スマホが静かに録音を続けていた。


 ---



「まあ、立ち話もなんだ。部屋に入れてくれよ」


 鰐淵が塚本の肩に手を置いた。


 重い。


「……どうぞ」


 塚本は鍵を開けた。


 6畳のワンルーム。布団が敷きっぱなし。流しには洗っていない食器。妻の入院で、生活が荒れていることが見て取れた。


 鰐淵が部屋を見回した。


「いい部屋じゃねえか。——嘘だけどな」


 手下たちが笑った。


「まあ座れよ」


 鰐淵が座布団の上に腰を下ろした。塚本も向かいに座る。


 手下たちはドアの前に立ったまま。退路を塞いでいる。


「さて」


 鰐淵が煙草を取り出した。


「吸っていいか?」


「……どうぞ」


 鰐淵が火をつけた。煙が天井に昇っていく。


「塚本さんよ。お前、灰谷って男に金借りたんだって?」


「……はい」


「50万。嫁さんの手術費。——泣かせる話だな」


「……」


「でもな、あいつは危ねえよ」


 鰐淵が煙を吐いた。


「スキル担保だろ? 返せなかったら、お前のスキル取られるんだぜ」


「……契約通りに返せば——」


「返せるか?」


 鰐淵が塚本の目を見た。


「無職で、嫁は入院。失業保険ももうすぐ切れる。——6ヶ月で59万返せると思ってんのか」


 塚本は答えられなかった。


「俺のとこで借り換えろ」


 鰐淵が灰を落とした。


「金利は同じ18%だ。でも、担保はいらねえ」


「担保、いらない……?」


「いらねえよ。お前みたいな真面目そうな奴は、逃げねえからな。——信用ってやつだ」


 塚本の頭が混乱した。


 ——担保なしで貸す?


 ——何か裏があるはずだ。


「返済が遅れても、いきなりスキル取ったりしねえ。相談に乗る。——灰谷と違ってな」


 鰐淵が笑った。


「あいつは計算しか頭にねえ。お前を"確率"で見てるんだよ。返済確率62%ってな。——38%は回収対象だ」


 塚本の背筋が冷たくなった。


 ——なんで、その数字を知ってる。


「考えてみろ。お前は人間だ。数字じゃねえ。——俺はそれを分かってる」


 鰐淵が立ち上がった。


「今すぐ決めろとは言わねえ。3日やる。考えろ」


 ドアに向かう。


「あ、そうだ」


 振り返った。


「嫁さんの手術、うまくいくといいな。——事故がなければ」


 塚本の心臓が跳ねた。


「大きな病院は設備がいいけどよ、人の出入りも多いからな。何が起きるか分からねえ」


「……」


「まあ、俺のとこで借り換えれば、そういう心配はいらなくなる。——分かるな?」


 鰐淵がドアを開けた。


「3日だ。いい返事、待ってるぜ」


 足音が遠ざかっていった。


 塚本は、しばらく動けなかった。


 ポケットのスマホが震えた。


 着信。灰谷。


 塚本は震える手で電話に出た。


「……録れました」


『全部か』


「全部……多分」


『内容は』


「借り換えの提案……担保なしで貸すって……でも最後に、妻の手術のこと……」


『脅迫か』


「直接は言ってない……でも、分かるように……」


 電話の向こうで、灰谷が黙った。


 数秒の沈黙。


『塚本さん。明日、うちに来れるか』


「……はい」


『その録音を聞かせてくれ。——それと』


 灰谷の声が、少しだけ低くなった。


『よくやった』


 電話が切れた。


 塚本はスマホを見つめた。


 ——よくやった。


 その言葉が、不思議と胸に残った。


 ---


 翌朝。


 灰谷質店。


 灰谷は塚本のスマホを再生していた。


 鰐淵の声がスピーカーから流れる。


『事故がなければ』


『何が起きるか分からねえ』


『俺のとこで借り換えれば、そういう心配はいらなくなる』


 御子柴が横で聞いていた。


「……これ、脅迫として成立しますか?」


 灰谷が再生を止めた。


「グレーだ」


「グレー?」


「直接的な害悪の告知はない。"事故がなければ"は仮定の話として言い逃れできる。"何が起きるか分からない"も一般論。——刑事では難しい」


 塚本の顔が曇った。


「じゃあ、意味なかったんですか……」


「いや」


 灰谷が立ち上がった。


「刑事は難しい。だが、民事は別だ」


「民事……?」


「脅迫未遂。威力業務妨害。精神的苦痛に対する慰謝料請求。——勝てるかは分からないが、訴えることはできる」


 灰谷がホワイトボードに新しい図式を書き始めた。


【録音証拠】→【内容証明郵便】→【交渉】→【示談 or 訴訟】


「鰐淵は"法に触れないギリギリ"を狙っている。だが、ギリギリということは——」


 灰谷がマーカーを置いた。


「線を一歩越えれば、落ちる」


「どうやって越えさせるんですか」


「越えさせない」


 灰谷が振り返った。


「こちらから揺さぶる。反応を見る。——敵の"流儀"を、査定する」


 御子柴が眉をひそめた。


「また、塚本さんを使うんですか?」


「いや」


 灰谷がコートを取った。


「今度は、俺が行く」



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