スキル質屋 ―担保は、お前の才能だ―
モッピー
第1部
第1話 「担保査定」
雑居ビルの3階。エレベーターは故障中、階段は電球が二つ切れている。
灰谷遼は、その薄暗い廊下の突き当たりにある6畳の事務所で、壁に看板を掛けていた。
「灰谷質店——スキル担保融資、即日審査」
白地に黒文字。装飾なし。下部に小さく「貸金業登録番号 関東財務局長(1)第〇〇〇〇号」と記載がある。
「……本当に来るんですか、客」
後ろで段ボールを開けていた女——御子柴まひろが、疑わしげな目で看板を見上げた。22歳、移転士見習い。三ヶ月前に灰谷が拾った。
「来る」
灰谷は振り返らずに答えた。
「金に困っていて、スキルしか資産がない人間。この国に推定14万人。うち、既存の金融機関から借りられない層が約6万人。さらに、スキル担保という選択肢を知らない層が——」
「数字はいいです」
御子柴が遮った。
「聞きたいのは、この……」
事務所を見回す。壁紙は剥がれかけ、窓は隣のビルの壁しか見えない。デスクは中古、椅子はパイプ椅子。唯一新品なのは、壁に掛けられた貸金業の登録票だけだ。
「この場所に、本当に来るのかって話です」
「場所は関係ない」
灰谷がホワイトボードにマーカーで数字を書き始めた。
「顧客獲得経路は三つ。一、ネット広告。二、士業からの紹介。三、口コミ。店舗の立地が影響するのは三だけだ。そして初期は三に頼らない」
「……」
「むしろ好都合だ。隣が空きテナント、下が倉庫。叫び声が出ても苦情が来ない」
「叫び声?」
「差押えの時だ」
御子柴の顔が引きつった。灰谷は気にせず、ホワイトボードに事業計画を書き続けた。
想定顧客単価:80万円
想定年利:18%(上限)
想定デフォルト率:35%
差押えスキル平均転売益:140%
「デフォルトした方が儲かる計算になってません?」
「なっている」
「……最悪ですね」
「最悪じゃない。最適だ」
灰谷がマーカーのキャップを閉じた。
「明日、開業届を出す。広告は今夜から回す。——御子柴、契約書のテンプレート、全部印刷しておけ」
「何部ですか」
「百部」
「来るわけないでしょ、百人も」
「来なかったら経費で落とす。来たら足りなくなる。どちらにしても刷っておく意味はある」
正論なのか詭弁なのか分からない理屈を聞きながら、御子柴は段ボールから複合機のインクを取り出した。
開業前夜。灰谷質店には、まだ一人の顧客もいなかった。
---
翌朝9時。
事務所のインターホンが鳴った。
「……え、本当に来た」
御子柴が目を丸くする。灰谷はデスクから立ち上がり、ドアを開けた。
男が立っていた。
32歳前後。くたびれたジャンパー、色褪せたジーンズ。目の下に濃い隈があり、頬はこけている。
「あの……スキル担保融資、ここですか」
「はい。灰谷質店です。どうぞ」
灰谷が男を事務所に招き入れた。御子柴がパイプ椅子を勧め、お茶を出す——と言ってもペットボトルの緑茶だが。
「お名前を」
「塚本……塚本修一です」
「塚本さん。ご希望の融資額は」
「50万……いや、借りられるなら、もう少し……」
「まず50万で伺います。ご用途は」
塚本が俯いた。
「妻の……手術費です。一部だけでも、今月中に払わないと」
「保険は」
「効かない手術で……自由診療なんです」
灰谷は表情を変えなかった。ボールペンでメモを取りながら、淡々と続ける。
「現在のご職業は」
「無職です。半年前まではダンジョン探索者でしたけど……怪我して、免許更新できなくて」
「収入源は」
「失業保険が少し……あと、妻のパート」
「担保にできる資産は」
「ないです。家は賃貸、車もない。あるのは——」
塚本がポケットから一枚のカードを取り出した。
プラスチック製、名刺サイズ。中央に国の紋章。下部に「スキル等級証明書」の文字。
灰谷がカードを受け取った。
スキル名:嗅覚強化
等級:E
登録番号:SK-2019-XXXX-XXXX
取得日:2019年4月12日
E級。最低ランク。赤いスタンプが押されている。
「こんなゴミスキル、担保になるわけないですよね……」
塚本が自嘲気味に笑った。
「ダンジョンじゃ何の役にも立たなかった。鼻が良くなっただけ。モンスターの匂いが分かっても、戦えなきゃ意味ない」
御子柴が灰谷の顔を見た。断るのか、と目で問うている。
灰谷は無言でタブレットを取り出した。
指がスクリーンの上を滑る。データベースを検索している。
30秒。1分。
「塚本さん」
灰谷が顔を上げた。
「あなたのスキル、査定させてください」
---
灰谷がタブレットの画面を塚本に向けた。
「【嗅覚強化】の市場データです。現在の保有者数、1,247名。うち、スキルを活用した就業者数、89名。就業率7.1%」
「……やっぱり、使えないスキルなんですね」
「違います」
灰谷の声は平坦だった。
「就業率が低いのは、"使えない"からじゃない。"使い方を知らない"からです」
塚本が目を瞬いた。
灰谷が画面をスクロールする。
「用途その一。ダンジョン産トリュフの探知」
「トリュフ……?」
「ダンジョン内に自生する希少キノコです。地上のトリュフより香りが強く、高級レストランで需要がある。キロ単価8万円。年間取引量は増加傾向」
画面に相場グラフが表示された。右肩上がりの曲線。
「現在、トリュフ探知に使われているのは訓練された豚か犬です。しかし、動物は迷宮内でパニックを起こしやすい。人間の探知要員が求められている」
塚本の目が少し大きくなった。
「用途その二。都市ガス保安業務」
「保安……?」
「ガス漏れ検知です。現在、ガス会社は検知器に頼っていますが、機械が反応しない微量漏洩がある。人間の嗅覚——特に強化された嗅覚なら、検知器より早く察知できる。大手ガス会社三社が、スキル持ち採用枠を設けています」
画面に求人票のスクリーンショット。
「年収420万〜580万。福利厚生あり」
「……」
「用途その三。警察・税関の麻薬探知補助。犬より安定した判断力。公務員採用枠あり。用途その四。食品工場の品質管理。異臭検知による不良品排除。用途その五——」
「待ってください」
塚本が手を上げた。
「俺のスキル……そんな使い方があるんですか」
「あります」
灰谷がタブレットを置いた。
「塚本さん。あなたは自分のスキルを"戦闘"でしか考えていなかった。だから"使えない"と思った。でも、スキルの価値は戦闘力だけじゃない」
「……」
「嗅覚強化の市場価値は、E級の中では上位です。転職支援会社に登録すれば、三ヶ月以内に年収400万以上の職に就ける確率は78%」
塚本が息を呑んだ。
灰谷が一枚の紙を取り出した。A4サイズ、査定報告書。
「査定結果です。【嗅覚強化】の担保価値——180万円」
「ひゃく……」
「融資可能額は掛け目50%で90万円。ご希望の50万円は、問題なく融資できます」
塚本の目に、初めて光が戻った。
「俺の……俺のスキルに、そんな価値が……」
「スキルに貴賤はありません」
灰谷が言った。
「市場があるかどうか。それだけです」
御子柴が横で見ていた。
——この人、今、すごくいいこと言ってる風だけど。
——結局、担保として取り上げる気満々なんだよな。
その感想は、口には出さなかった。
---
契約書は8ページあった。
灰谷が条項を読み上げる。御子柴がICレコーダーで録音している。
「金利は年利18%。利息制限法の上限です。返済期限は6ヶ月。元利一括返済」
塚本が頷く。
「返済方法は銀行振込。期日に入金が確認できない場合、翌日から遅延損害金が発生します。年利20%」
「……はい」
「返済が30日以上遅延した場合、または返済不能を宣言した場合——」
灰谷が一度、言葉を切った。
「スキルの差押えを執行します」
塚本の喉が動いた。
「差押え後、スキルは当店が指定する移転士によって第三者へ移転されます。移転先は当店が決定し、あなたに拒否権はありません。異議申立ても不可」
「……」
「スキル移転後、あなたは非覚醒者となります。再度スキルを獲得する保証はありません」
事務所が静まり返った。
窓の外で、カラスが鳴いた。
「塚本さん」
灰谷が契約書の最終ページを示した。
「署名欄です。サインすれば、契約は成立します」
塚本の手が、微かに震えていた。
「……サインしたら、戻れないんですね」
「戻る必要がありません」
灰谷の声は、冷たくも温かくもなかった。ただ、事実を述べているだけだった。
「6ヶ月で50万円と利息を返せばいい。それだけです。あなたのスキルは、あなたのままだ」
塚本がペンを握った。
数秒の沈黙。
そして、署名欄に名前が書かれた。
塚本修一
「契約成立です」
灰谷が契約書を回収した。
「融資は本日中に実行します。——御子柴、振込準備」
「はい」
御子柴がパソコンを操作し始めた。
塚本はまだ椅子に座ったまま、自分の手を見つめていた。
---
銀行ATMの前。
灰谷がスマートフォンを操作し、振込を完了させた。
「塚本さん。口座を確認してください」
塚本がATMで記帳した。通帳に「500,000」の数字が印字される。
「……入ってる」
「当然です。契約ですから」
塚本が振り返った。目が潤んでいた。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます。これで、妻の手術が……」
「感謝は不要です」
灰谷が通帳から目を逸らさずに言った。
「6ヶ月後、59万円を返済してください。それで終わりです」
「はい……必ず。必ず返します」
塚本が何度も頭を下げながら、銀行を出ていった。
その背中を見送りながら、御子柴が呟いた。
「……あの人、返せると思います?」
「確率62%」
灰谷がスマートフォンの画面を見せた。計算式が表示されている。
P(返済) = f(年齢, 前職, スキル等級, 借入額, 家族構成, 失業期間...)
「悪くない数字だ」
「悪くないって……」
御子柴が眉をひそめた。
「38%は?」
「回収だ」
「…………」
「何だ、その顔は」
「いえ」
御子柴が目を逸らした。
「人の人生を、確率で見てるんだなって」
「見ている」
灰谷が歩き出した。
「確率で見ないと、判断を間違える。判断を間違えると、金を失う。金を失うと、俺が終わる」
「……それ、銀行にいた時から?」
灰谷が一瞬、足を止めた。
「……銀行は関係ない」
それだけ言って、また歩き出した。
御子柴は、その背中を見ながら思った。
——この人、何があって銀行クビになったんだろう。
聞ける雰囲気では、なかった。
---
帰り道。商店街を抜けながら。
「一つ聞いていいですか」
御子柴が口を開いた。
「あの査定、わざと高くしましたよね」
「……」
「180万って言ってましたけど、本当はもっと低いんじゃないですか。E級スキルの相場、私も調べましたよ。平均は80万くらいです」
灰谷が足を止めた。
「……調べたのか」
「従業員ですから。騙されたくないので」
「騙してない」
灰谷が振り返った。
「査定は正確だ。平均は80万。だが【嗅覚強化】は用途が広い。上位互換のスキルが少ない。希少性を加味すれば180万は妥当だ」
「……じゃあ、なんでわざわざ用途を全部説明したんですか」
「……」
「普通、担保取る側が、担保の価値を教える必要ないでしょ。知らないままの方が、安く査定できる」
御子柴が灰谷の目を見た。
「それって……優しさですか?」
灰谷は数秒、黙っていた。
それから、表情を変えずに言った。
「違う」
「じゃあ何ですか」
「担保価値が高いほど、差押え時の転売利益が大きい」
「……は?」
「説明しないと、塚本は自分のスキルを80万程度だと思い込んだままだ。差押えになった時、80万で売るしかなくなる。でも、本人が180万の価値を理解していれば——」
「……待ってください」
御子柴が片手を上げた。
「つまり、親切に教えたのは、取り上げた後に高く売るため?」
「そうだ」
「…………最悪ですね」
「最悪じゃない」
灰谷が歩き出した。
「最適だ」
御子柴は、その背中を睨みながらついていった。
——この人、本当に人間なのかな。
——いや、人間だからこそタチが悪いのか。
商店街の雑踏の中、二人の影が伸びていた。
---
夜8時。事務所に戻ると、明かりが点いていた。
「……消したはずですけど」
御子柴が呟く。
灰谷が無言でドアを開けた。
男が座っていた。
パイプ椅子ではない。自分で持ち込んだらしい革張りの折りたたみ椅子に、足を組んで座っている。
50代後半。白髪混じりのオールバック。スーツは仕立てが良い。腕には金の時計。
灰谷を見て、にやりと笑った。
「よお。待ってたぜ、灰谷——だっけか?」
「……どちら様ですか」
「名刺、置いといた。そこ」
デスクの上に名刺が一枚。
灰谷が手に取った。
鰐淵興業株式会社
代表取締役 鰐淵剛三
裏面には住所と電話番号。そして小さく「一般社団法人東京都貸金業協会会員」の文字。
「貸金業……?」
「おう。正規の登録業者だ。お前と同じだよ」
鰐淵が立ち上がった。灰谷より頭一つ高い。
「スキル担保融資、面白いことやってんじゃねえか」
「……何の御用ですか」
「用? そうだな——」
鰐淵が一歩、近づいた。
「挨拶だよ。俺のシマで商売始めた奴がいるってんでな」
「シマ?」
灰谷が眉を上げた。
「ここは中央区です。暴力団の縄張り主張は、暴力団排除条例で禁止されていますが」
「……」
鰐淵の目が、一瞬だけ細くなった。
それから、大きく笑った。
「ハッ——条例ね。いいねえ、お前。法律好きだろ」
「好きというか、守っているだけです」
「そうかい。なら——」
鰐淵が灰谷の肩に手を置いた。重い。
「教えてやるよ。法律の外側にも、ルールはあるんだ」
「……」
「お前がどんだけ正規の手続き踏もうが、な。この街で金貸しやるなら、通さなきゃいけない筋がある。分かるか?」
灰谷は答えなかった。
鰐淵が手を離した。
「まあ、今日は顔見せだ。——近いうちに、また来る。その時は、もうちょっと"具体的な話"をしようや」
革張りの椅子を畳み、鰐淵がドアへ向かう。
「あ、そうだ」
振り返って、鰐淵が言った。
「お前のとこの客——塚本だっけか。あいつ、うちにも借りに来てたんだよ。断ったけどな」
「……」
「理由、分かるか?」
灰谷は黙っていた。
「担保がねえからだよ。スキルを担保にするなんて、うちじゃやってねえ。——でも、お前はやった」
鰐淵がドアを開けた。
「面白い商売だと思ったぜ。だから潰す気はねえ。ただ——」
廊下の薄暗がりに、鰐淵の影が伸びた。
「"俺の流儀"ってもんがある。それだけは、覚えとけ」
ドアが閉まった。
足音が遠ざかっていく。
御子柴が、ようやく息を吐いた。
「……あれ、ヤクザですよね?」
「分からない。名刺上は正規の貸金業者だ」
「でも、明らかに——」
「明らかでも、証拠がなければ意味がない」
灰谷がデスクに座り、名刺を見つめた。
鰐淵興業。聞いたことがない。だが、「シマ」という言葉を使う時点で、堅気ではない。
——法律の外側のルール、か。
灰谷の指が、名刺の角を弾いた。
——なら、そのルールも査定してやる。
「御子柴」
「は、はい」
「明日、鰐淵興業について調べろ。登記簿、役員、取引先、過去のトラブル。全部だ」
「……何するんですか」
「査定だ」
灰谷が名刺をデスクに置いた。
「敵の担保価値を、査定する」
---
翌朝。
事務所のインターホンが鳴った。
御子柴がドアを開ける。
男が立っていた。スーツ姿。だが、鰐淵とは空気が違う。背筋が伸びていて、目に職業的な鋭さがある。
胸ポケットから、手帳を取り出した。
「警視庁生活安全課です。灰谷遼さんですね」
灰谷がデスクから立ち上がった。
「……何か?」
「スキル担保融資について、少しお話を伺いたい。——お時間、よろしいですか」
鰐淵の「流儀」が来る前に、国家の「規制」が来た。
灰谷質店、開業二日目。
すでに、二正面作戦を強いられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます