島崎に帰るよ

ノマノタロウ(ex 野々花子)

島崎に帰るよ

「島崎に帰るよ」

 そう母に声をかけられ、しぶしぶテレビを消して弟と一緒に靴を履く。自転車を押す母と、ランドセルを背負った僕と弟。シャッターが降りた商店街を抜け、町の中心地から海沿いの地区に向かって歩いていく。

 歩くうちに、さっきまで観ていたテレビのことはどうでもよくなって、僕と弟は路地を探検したり、信号まで競争したりして遊びだす。夜になって人気のなくなった町は寂しさよりも非日常感が勝り、僕たち兄弟の格好の遊び場だった。仕事で疲れた母は、僕らを家まで連れ帰るだけでも大変だったに違いない。

 夜八時の帰り道。僕はこの時間が大好きだった。


 子どもの頃、僕には家が二つあった。一つは、父、母、姉、弟と暮らす島崎の家。もう一つは、商売を営む本町の家。本町の家には父方の祖母と曾祖母が暮らしていた。

 島崎の家で目を覚まし、朝食を食べたら学校へ行く。学校が終わると本町の家に帰る。本町の家は酒や菓子、お中元やお歳暮のギフト(箱入りビールや日本酒の一升瓶、クッキー缶やジュースセット、調味料の詰め合わせなど)を売る商店で、母はその店を手伝っていた。

 学校から本町の家に帰ると、まず祖母の部屋に行く。月曜日なら小遣いを二百円もらって、同じ商店街にある本屋で少年ジャンプを買ってくる。月曜以外は、店の経理をしている祖母と一緒に、コタツに入りながらテレビで相撲やアニメを観た。店からスナック菓子をとってくることもあれば、奥の部屋で茶道と華道の教室をしている曾祖母に和菓子をもらうこともあった。店も事務所も台所も茶室も、所かまわず走り回って鬼ごっこをし、お気に入りのプラモデルを戦わせた。大人たちが商売に勤しんでいる横で、僕と弟は好き放題に遊んでいた。

 夕方六時になると、母が台所で料理を始める。買物や料理を手伝うこともあったかもしれないが、ほとんどは母にまとわりついていただけだろう。七時になると店を閉め、父や姉も帰ってきて、七人でぎゅうぎゅうになって夕食を食べる。食べたら後片付けをして、八時前に母が「島崎に帰るよ」と言って、歩いて島崎の家まで帰る。島崎の家では風呂に入って眠るだけ。これが幼い僕の日常だった。


 うちの家は代々商売をやっていて、当時は本町の店の他にガソリンスタンドも経営していた。従業員もいたが基本的には家族経営で、父はガソリンスタンドで働き、母は祖母・叔父とともに本町の店で働いていた。ガソリンスタンドと酒・ギフトの店のダブル経営というのも変わった商売だが、元をたどれば灯油屋だったそうで、灯油の他に食用油や調味料などを扱っているうちに酒とギフトの店に発展していったらしい。一方で元々の灯油業は、時代の流れとともにガソリンスタンドへと変化していったというわけだ。

 ガソリンスタンドで働く父は、夕食の後も仕事や商工会議所の寄り合いに行くことがあった。受験生だった姉は、集中して勉強するために夕食時以外はほとんど島崎の家にいた。だから、本町から島崎への帰り道は母と弟と僕の三人だけの記憶が強い。

 とは言え、父や姉と一緒に帰った覚えもある。時々だが父の車に乗って五人全員で帰ることもあった。歩いても十五分程度の距離なので、信号に捕まると車の方が遅いときがあり、僕だけ走って帰り、車とどちらが速いか競争したこともあった。


 何カ月かに一度、車で帰っている途中に喫茶店へ連れて行ってもらえることがあった。「こまどり」という古い純喫茶で、両親はコーヒーを、子どもたちはアイスクリームかチョコレートパフェを食べた。

 こまどりに行く夜は一大イベントだった。きらきらした器に盛られたアイスクリーム、家や学校では見ることのない洋風の家具、店内に漂う煙草のけむり、小さく流れるクラシック音楽、普段出会う大人たちとは違う雰囲気の店主。

 大人になってから冷静に思い返せば、よくある昭和の純喫茶で、店主も夜職風の四十代頃の女性だったのだが、子供心にはすべてが金曜ロードショーで観る洋画のように見えていた。こまどりに連れて行ってもらえるのは、別に何かのご褒美ではなく父のきまぐれで、「今日、こまどり行くか」と車中で突然言われる驚きも相まって、言われた瞬間に「行く!」「やったあ! アイス食べたい!」と姉も僕も弟も叫び出す、本当にスペシャルな夜だった。


 やがて僕は中学生になり、家族と一緒に帰らなくなった。夕食の後は一人で散歩したり、友達の家に寄ってから島崎の家に帰った。高校生になると、さらに夜遅くまで遊び歩いた。特別な理由はなく、多くの中高生がそうであるように、家族といるより友達といたかったし、家にいるより放課後の部室やたまり場になっている友達の部屋にいる方が、ずっと楽しくて刺激的だった。それだけのことだ。それだけの、当たり前の中高時代を過ごすうちに、本町の家にいる時間は減り、祖母や曾祖母との会話は減り、家族と一緒に夕食を食べる回数は減っていった。

 そうしているうちに、本町の家と店は取り壊された。

 大型ショッピングセンター建設とそれにともなう地域開発で、商店街の一部が立ち退くことになり、本町の家も店もきれいに更地になった。祖母と曾祖母は島崎の家の隣に移り住み、僕の家は一つだけになった。

 生まれてからずっと二つの家を行き来するのが当たり前だった僕は、家が一つになったことに慣れる間もなく、数か月後に大学に進学し、遠い街で一人暮らしを始めた。


 あれから二十年以上経った今でも、地元に帰ると、本町の家があった場所から島崎の家まで、一人で夜の散歩をすることがある。大人の足で歩いてみると、その距離の短さに驚く。商店街はすっかりシャッター通りに変わり、町を歩く人影はますます少なくなった。人や灯りが昔より少ない分、潮の匂いと、波の気配が濃くなったような気がする。

 何もかも変わってしまったとも、何一つ変わっていないとも思いながら、歩く。



――――――――――――――――――――



「島崎に帰るよ」

 お母さんがそう言って僕らをせかす。いつも七時半から八時の間に言われるから、僕と弟は好きなアニメを最後まで見られない。それが本当に嫌だ。

 でも、おばあちゃんとひいおばあちゃんにおやすみを言って外に出てしまえば、夜の町を歩くわくわくが待っている。お母さんが引く、ちょっとさびた緑色の自転車。ついこの前まで弟はこの自転車の後ろにちょこんと座っていたのに、今では僕と同じランドセルをしょってとなりを歩いている。

 本町商店街はどの店も七時ぴったりに閉まるから、もう全部シャッターが下りていて、昼のにぎやかさが嘘みたいにがらんとしている。駄菓子屋とベビー用品の辰巳屋とクリーニング屋と浪江書店のある四つ角を曲がって、海の方に歩き出せば、明かりが少なくなって、どんどん道が暗くなる。でもそのかわり、星がぐっときれいに見える。

 スナックの前を通るときは、なぜか恥ずかしくて急いでしまうし、消防署の前を通るときは、消防車や救急車や手書きの看板が気になって歩くのがゆっくりになる。

押しボタン式の信号を渡ると、海が見えてきて潮のにおいがしてくる。テニスコート裏の公園まで行けばもっと海も星も近いけど、公園までは行かない。その手前の角を曲がったら、島崎の家だ。

 二階の窓が明るいから、先に帰ったお姉ちゃんが勉強しているんだろう。もう少ししたら、お父さんも車で帰ってくる。町に十時を知らせる鐘が鳴るまでに、僕と弟は布団に入って寝ないといけない。でも、「もうちょっとだけ、お風呂がわくまで」とお母さんに言って、本町の家でしていた遊びの続きをする。今日が終わるぎりぎりまで、僕らは遊ぶ。

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島崎に帰るよ ノマノタロウ(ex 野々花子) @nonohana

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