二〇一六年、南千住の居酒屋で

ノマノタロウ(ex 野々花子)

二〇一六年、南千住の居酒屋で

 2016年の春、僕は東京の南千住駅南口にある居酒屋でAKB48総選挙の特番を見ていた。と言っても、AKB48には今も昔も興味がなく、たまたま入った居酒屋のテレビでたまたま流れていたのを、一人でご飯を食べながら見ていたのだった。


 2015年から2017年の三年間、僕は何度も東京を訪れ、そのたびに南千住にある安宿に泊まっていた。南千住駅の南口を出るとすぐに大きな歩道橋があって、それを渡ってスカイツリー方面に向かう。大通りから右に曲がって込み入った住宅街に入ると、かつてドヤ街だったエリアがあり、そこには昔連れ込み宿と呼ばれていたであろう古い旅館が並んでいる。お世辞にも治安が良いとは言えないエリアで、昼間からシャッターが降りた商店の前で飲んだくれているじいさんがいたり、小便の臭いがする通りもあった。旅館と並んで格安ホテルも点在しており、僕はその中のひとつ、一泊三千円のホテルを常宿にしていた。個室だが、中にはシングルベッドと、かろうじてノートパソコンを広げられる小さな机があるだけ。トイレ、シャワー、洗面所は全宿泊者共用。WiFiあり。


 当時の僕は精神疾患による失業、失恋、京都府北部の田舎にある実家への引き籠りというまあまあなどん底期間を経て、それでも働けることはないかと在宅ウェブライターを始め、それが運良く軌道に乗り始めたところだった。仕事が軌道に乗るにしたがって心身も回復し、僕は長い鬱状態を抜け出して、どんどん活動的になっていった。

 京都市内にワンルームの部屋を借り、そこと実家を行き来しつつ、年に四、五回は東京まで出かけていた。ノートパソコンとWiFiさえあればいつでもどこでも仕事ができたし、元々文章を書くことも読むことも好きだったので、新しく出会ったライティングという仕事に夢中になって取り組んだ。量をこなして書けば書くほど収入も増えるので、気が付くと失業前よりも月収は上がっていた。

 時間もお金もある! と思った僕は、好きなアーティストのライブを観に行くことと、普段はメールやチャットでしか交流のないライター仲間たちに会うことを目的に、たびたび東京へと足を運んだ。

 ライブのチケットを取り、その前後数日間は東京に滞在し、メトロで渋谷や新宿、銀座、秋葉原、上野、品川なんかに出かけて目的なく街を歩いた。行く先々のカフェで仕事をし、夜はライター仲間に連絡をとって飲みに出かけた。そして、最後は一人で南千住のカプセルホテルに戻って眠った。


 今思えば、ある種の躁状態にあったのだと思う。僕の疾患は双極性障害Ⅱ型と呼ばれるもので、一時的な躁状態と長期的な鬱状態を繰り返すのが特徴的な症状だとされている。引き籠り期間の鬱状態を経て、揺り返しの躁状態にあったのだろう。

 実際、はりきって東京で活動した後は決まって重たい鬱症状が襲ってきて、数日間起き上がれなくなることも珍しくなかった。そういうときは、実家に戻って一週間ほど寝て過ごした。両親と環境が許してくれたからできた生活だったが、その時期の僕はそうやって、でこぼこの地面を少しずつ均していくように、過度な躁状態と鬱状態の狭間で自分が立てる座標を探し、その足場を拡げようとしていたのだと思う。

 一度、東京の電車の中で突然ひどい鬱症状が襲ってきて、全部間違っている、死んだ方がいいという声で頭の中がいっぱいになり、どうしていいかわからずに電車を降りて座り込み、その場で母親に電話をしたことがあった。震えながら「楽しいはずなのに苦しい、治ってきているはずなのに」と繰り返し、実家に戻ってもいいか、とすがるように聞いた覚えがある。

 母は「好きなときに帰ってきたらいい」と言ってくれたが、内心、呆れたり情けなかっりしたのかもしれない。


 それでも、東京の街を歩き回ったあの日々は何にも代えがたく楽しかった。

 Perfumeのツアーに何本も行った。千葉公演で最前列が当たったのに、安宿のベッドで首を寝違えて、直立不動で観た。

 ライター仲間数人と朝まで飲んでカラオケに行った。僕がPerfumeの「チョコレイト・ディスコ」を踊ったら、別のライターさんがももクロを歌って踊ってくれた。

 東京駅の近く、蕎麦屋の隣にあるスタバで何本も原稿を書いた。

 相対性理論の武道館公演に行った。武道館公演なのに、やくしまるえつこの雰囲気に呑まれて二階席はみんな最後まで着席したまま観ていた。

 急な原稿の直し依頼が来て、九段下のカフェで夜中に作業をして間に合わせた。

 東京駅近くの喫茶店で何時間も話し込んだ友人、井の頭公園を案内してくれた友人、たまたま同じ本を読んでいて盛り上がり終電を逃した友人、みんなライティングを通じて知り合った。

 品川に住んでいるという友達に会いにいったら、実際はほぼ蒲田だった。

 銀座でめちゃくちゃ迷った。

 横浜アリーナでBUCK-TICKを観た。前に横アリに来たのはいつだろう? と考えたら、ブランキ―ジェットシティの解散ライブだったことを思い出した。

 一人で歌舞伎町を歩き回って、夜の店やバーに入る勇気がなく、結局エスニックを食べて帰った。

 南千住の居酒屋で一人、AKB48総選挙を見るともなく見た。



 2016年、僕はSNSにこんな風に書いている。

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東京に行った。最近、よく行く。

そこで会った人が、「ここは、昔から何でも受け入れて、だからこんなにぐちゃぐちゃになっちゃって、良いことも悪いこともあるけれど、そういう優しい街なんですよ」と言っていた。

それはまるで、「根は優しい人なんです」と恋人をはにかんで紹介するような口ぶりで、その人が東京という街を好きなのがよく分かった。

最近本当に気が滅入るニュースばかりで、マジで世界はどぉなっちゃってんだよ、人生がんばってんだよ、俺たちが人生がんばってんのに、お構いなしにディストピアSFで描かれた世界に近付いてて、すげえな俺たちホントに未来に生きちゃってんぜ、ってよく思う。


東京はいつでも、日本の他の都市より数年未来を生きていると思う。

良いとか悪いとかの話じゃなくて、そういう性格を、役割を、付与された街なんだと思う。東京と京都と、京都の田舎の海を頻繁に行ったり来たりしていると、2020年と、2016年と、1999年くらいを行ったり来たりしているような気分になる。

東京を訪れることは、まるで少し先の未来を訪れることのようで、そこはやっぱりディストピアで、ジョージ・オーウェルが、村上春樹が、大友克洋が描いた世界とよく似ていて、でも、やっぱり全然違う。

現実の東京を歩いていると、ひどい未来も悪くないな、という気分になる。

住人でもなく、観光客でもない、その感覚を何と名付けたら良いのだろう。異邦人とか?クソダサいな。

クソダサい異邦人の感覚で、もっと色んな場所に行きたい。


場所を移動することは、時間を移動することでもある。

――――――――――――――――――――


 現実の2020年は想像以上のディストピアで、2026年を迎えた現在では「ひどい未来も悪くないな」なんて呑気なことはもう言っていられないくらい、それはどんどん加速している。

 僕は東京には年に一、二回しか行かなくなり、ライター仲間の多くが家庭をもったこともあって、彼らと飲みに行くことはほとんどなくなった。

 Perfumeはコールドスリープという名の活動休止を決め、相対性理論はもう何年も活動しておらず、BUCK-TICKはボーカルの櫻井敦司さんが亡くなった。

 AKB48の総選挙はいつの間にかやらなくなって、ガールズグループは順位付けなんてせずに、高らかに自己肯定を歌うようになった。


 南千住の安宿を調べたら、僕が泊まっていた部屋は六千円になっていた。

 次に東京を訪れるときは、泊まってみるのも悪くないかもしれない。

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二〇一六年、南千住の居酒屋で ノマノタロウ(ex 野々花子) @nonohana

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